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    不思議な紀行文でした。

    遺作と知っていたので総括的な内容なのかと構えて読んだけれど、読み易くて面白かった。
    街の景色やそこに生きる人々に対する鋭い視点は健在だが、浮かない感情が全体を包んでいる為、結論に至らないまま書く事を放棄しているような印象を受けた。
    更には藤本和子さんの軽やかな言葉が本書全体の寂寥感を強める効果となっています。

    複雑な感情は単純化され、誇張やユーモアに対する危惧も感じられる文体は、読み進めるほどに心地良い。
    これは、ブローティガンの中にあった(であろう)、表現における一種の羞恥心のせいだろう。

    それと、仏教や東洋哲学の暗喩表現が多い気はしたが、日本人ならスッと腹落ちすると思う。
    書いた人しか分からない感覚に触れる事が読書の楽しみだし、血肉化されている言葉だからこそかも知れないけれど。

    全てのエピソードが現実に起こった事だとは思わないが、不運な女性達に思いをはせているうちに、最終的に死への渇望に繋がったのかも知れない。
    カッコよく言えば、他人の人生を通して、自分の人生の到達点を見つけたって感じですね。

    今年読んだ本の中では現時点でトップ。

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    「きょうの特製はミート・ローフだろう」とエドワーズ先生がいった。
    「そう。灰色の日にはミート・ローフが一番。それがあたしたちのモットー!」と彼女は答えた。
    みんな笑った。おかしかったもの。
    (Rブローティガン『西瓜糖の日々』 河出文庫)

    「きょうは挽肉向きの日だと思うけどねぇ。外を見てごらんよ。曇ってる。雲の中には雨が入ってるんだ。あっしなら挽肉にするね」と彼がいった。
    「やめとく」と彼女はいった。
    (Rブローティガン 「サン・フランシスコの天気」『芝生の復讐』 新潮文庫)

    ブローティガンの小説に関する感想は中々書けない。
    語彙力とかそういう問題でもない。
    さっぱりわからないからだ。
    けれど、現実でも絶対にあり得ない会話でもない。
    だから何度も読んでしまう。

    昔、早逝した編集者が「私は物語を守る者でありたい」と語っていたが、正しくそういう作品だと思うし、守る、イコール安易に触れない事だと思う。

    人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。
    そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」
    (カート・ヴォネガット・ジュニア『スローター・ハウス5』 ハヤカワ文庫)

    ブローティガンもそうだが、「足りないもの」を補ってくれるであろう作品はあるにはあるが、絶版のものが多い。
    サブスクの映画も同じ事が言えるけれど、何とかならないものかなぁ。
    本当の意味で物語を守って欲しいものだ。

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    19歳から21歳まで、某大手レンタルチェーンでバイトしていました。
    その店のルールというか特典に、新作以外の洋画は何本持ち帰ってもOKというシステムがあり、映画を観るという事に相当時間を費やしていた貧乏学生には有難かったです。

    最初は手当たり次第に観ていたけれど、洋画コーナーの責任者になってからはPOPを書いたり、リコメンドコーナーを作るために半ば仕事の為に観ていた気がするが、それでも充実した楽しい日々を過ごせていました。

    その頃に観た中で印象的だった2作品を、最近サブスクで見つけました。
    フリッツ・ラングの『M』は、ナチスが上映禁止にしたいわく付きだけれど、現代にも十分通じる普遍的恐怖が主題。
    ジャン・ルノワールの『ピクニック』は、ジョルジュ・バタイユ本人が出演しているなど、資料としても貴重な作品。
    どちらも辛うじて戦禍を生き延びた映画でもあります。
    前回「物語を守る者」という言葉を使ってサブスクのチョイスを批判したけれど、今回は素直を謝ります。

    欲を言えばベルイマンの作品と、70年代アメリカ映画をもう少し配信してくれればいいんだけどなぁ。

    まぁ気長に待ちます。

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    絵画売買のシーンから物語は始まります。
    先生と呼ばれる老人は家族の肖像画に関するコレクター。
    好きなものに囲まれ静かに暮らしているが、頽廃的な美を結集した自宅からは生命力を感じない。
    ただ一箇所、隠し部屋を除いては。
    これら一連の描写は、作品の「心象風景」です。

    いい映画って、風景や音楽も、作品のモチーフや登場人物の内面と共鳴しているもの。
    ヴィスコンティの作品には常にこれを感じます。

    物言わぬ家族(肖像画)に囲まれながら静かに暮らす老教授の日常。
    バート・ランカスターの抑えた演技は、複雑な過去から成る現実を重層的に見せてくれます。
    豪華なデザインとヘルムート・バーガーの粗野で謎めいた人物をスパイスに、ヴィスコンティは家族の本質を残酷に執拗に描写しているのです。

    久しぶりに観たけれど、初見当時は74年イタリアの政治的背景を知らなかったので、晩餐会後の会話を理解出来なかった。
    今観るとコンラッドが知性や審美眼を持ち合わせながら、何故破滅的な人生を送っているのかが理解出来ます。
    そして老教授の母親が作った隠し部屋の目的や行動が意味するもの、「政治と道徳のバランス」を語る教授の寂し気な表情
    全てがスッと入ってくる。
    歴史を勉強すると映画、特にヨーロッパ物は楽しめますね。

    ラストの足音もそういう事なんですが、余韻が長く残る作品のひとつです。

    『無防備都市』、『自転車泥棒』、『道』、『王女メディア』
    最近、若い頃に観た印象的な作品をリピートしています。
    アマプラに感謝。

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    物語としては、ごく普通のファンタジー。
    天使を主眼とし、天使の行動によりカラーとモノクロが入れ替わる作りとなっている。
    終盤
    永遠の命を捨て、生身の人間になると決めた旧天使ダミエルに、行き場を失ったマリオンが告白するシーン
    ここでの映像はカラーだ。
    観ているこちらが恥ずかしくなる程の甘々なシーンだが、無機質なベルリンの街と市民生活を、終戦直後のリアル映像を挿入しながら徹底的に見せ続けたためか絶品と感じる。

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    初見は89年頃だったと思う。
    当時は「新月は決断の時」などの詩的な台詞に感銘を受けて、DVDで何度も観たけれど、ヴェンダースのインタビューを読む度に単なるファンタジーではない事に気付かされました。
    あるインタビューで「我々も歴史の呪縛から解放される時だと考えている」と語っている。
    このドイツ人監督は単に恋愛物をとりたかったのではなく、ホロコーストのせいで自国の歴史を肯定的に語れなくなった国民性に変化を与えたかったんだと分かりました。

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    この作品の真の主役は分断された都市に住む市民達で、その市民達の生活に色彩を取り戻したいという希望の映画である。
    共同脚本のハントケは、2019年にノーベル賞を受賞している文学者
    父親がナチス党員だった事もあり、暗い影を背負って生きて来た影響も反映されている様に思う。
    だからラストも「Fin」ではなく「continue」としたのです。

    4K版がサブスクに置いてあったので観ましたが、ヴェンダースは成就しない恋愛モノの方が得意かも。