トシユキマントシユキマン2020年09月08日 14:55『憂鬱でなければ、仕事じゃない』という 尊敬している見城社長の言葉を大切にしている。 最初は憂鬱? 憂鬱なんてないほうが、いいんじゃないか。 と半信半疑だった。 仕事を自ら責任をもって成し遂げる立場になり、最近はその意味も少しずつ分かってきた。 自分の中で、こう考えている。 今まで経験したことやできることをやっても大きな成長は望めない。 自分のできることから、逸脱したことを成し遂げて、過去の自分からの成長が見込める。 憂鬱なものは、成長の要素をもったものだ。 そして、人間は、変化を嫌う生き物だ。 楽に生きてると、憂鬱を避けてしまう。 憂鬱は成長を活性化するエネルギーの原石である。 今日も憂鬱という暗闇に、震えながら自分からダイブする。
トシユキマントシユキマン5ヶ月前今日も見城さんのお言葉にココロが踊った。最近は常に見城さんの755を見ながら、自分に喝を入れるのが習慣になった。僕のなかで、仕事と755は切っても切り離せないものになった。朝起きて気合いを入れて、仕事の移動時間、休憩中に見て気合いを入れて、寝る前にまた明日の英気を養うために見る。今日の痺れた言葉以下、引用"死ぬなら戦いのリングで死ぬ。殴られ続けてリングに這いつくばる。真っ白な灰になって永遠に眠る。“今の自分には殴られ続けてリングに這いつくばる気持ちがあるだろか?戦いに入っていき、這いつくばるしかない!ボロボロになってになって泣いても、進み続ける!1156
トシユキマントシユキマン5ヶ月前見城さん、おはようございます。お忙しいところリトークいただきありがとうございます!朝からココロがウキウキ致しました。今日も見城さんとみなさまの戦いを755で感じながら自分自身も一歩一歩進んでいきたいと思います。15
トシユキマントシユキマン5ヶ月前今の自分の境地では、ほとんど理解できない言葉だったが、見城さんの景色では見えている言葉なのだと理解。間違えているかもしれないが、なんとく宇宙の真理というか、生の原理や美しさのようなものを感じました。写真とお言葉がマッチしていてとても美しい。1
トシユキマン4ヶ月前見城徹見城徹腕立て伏せでも懸垂でもバーベルでもいい。限界まで行って、もうこれ以上はダメだとなってからの一回、二回。体は極限状態で悲鳴を上げている。これをやるか?やらないか?人生も同じだ。261317
トシユキマントシユキマン4ヶ月前三島大社のしめ縄と見城さんのアロハシャツと佇まいが、なぜか凄くマッチしている!見城さんの大地に強く根を張り巡らすような存在感と大社の宇宙が重なったのかもしれない。三島が恋しくなってきた。三島で生まれて、一年に一回しか帰れてない。週末に三島に帰って自分のアイデンティティとは何か?、幼少期のピュアな部分に立ち返ることをしよう。それが仕事、ビジネスに良い影響を出していように感じる。25
トシユキマン3ヶ月前見城徹見城徹若者たちよ。動け、動け、動きながら考えろ。考えながら、動け、動け。そのうちに照準が合って来る。動かなければ何も始まらない。僕の20代、30代、40代はただただひたすら動いた。動いた量はやがて質を高め、本質を抉る。それを体感せよ。無茶をやれ。不可能を選んで向かえ。その中で考え抜け。その中で葛藤しろ。絶望しろ。そして、それでも尚、動き続けろ。ダイナミックにスウィングして生きろ。勘違いするなよ。スウィングしながら自己検証、自己嫌悪、自己否定を忘れずにね。23924189