橋場日月橋場日月2022年06月13日 14:13↑ リトークさせていただきます。 このお写真を拝見して、僕は仁王像を連想した。筋骨隆々の金剛力士像。 東大寺南大門の阿形像・吽形像が有名だが、同じ東大寺でも三月堂の仁王様=執金剛神が被って見える。 対となる仁王像を持たない、孤高の仁王像。 見開いた目には悲しみと怒りが漲り、己れと皆を励ますとともに叱咤するのだ。 いとうせいこう・みうらじゅん両氏の『見仏記』ならぬ『見見記』だな。
橋場日月橋場日月14時間前↑承前。では桶伏に変わって登場した遊興費回収のシステムは何だったのか。それが「付け馬(付き馬)」だ。回収者が債務者の家まで付いて行き、金銭をひっぺがしていく。これなら短時間がらちがあくというものだ。1
橋場日月橋場日月14時間前そもそもは馬に揺られて江戸市中と吉原の往復する遊客の、その馬の馬子に依頼して代金回収させていたというが、馬子の仕事に従事する者はもともと定着率も低かったのだろう、代金を横領持ち逃げされるケースが多く、妓楼や茶屋が直雇いした者を債務者に付けて家まで回収に行かせるようになったと言う。名称は「付け馬」のままで。1