ログイン
詳細
橋場日月

↑ てんあつさんの秀逸なコメントに刺激されて元ネタ(?)をリトークさせていただいておきます。 戦国時代の梟雄の一角に挙げられることも多い出雲の尼子経久。 彼は話し相手から自分の持ち物を褒められるとすぐそれをプレゼントしてしまい、墨跡も衣服も太刀も刀も馬も鞍も手放すだけでなく、年末には挨拶にやってくる家来にそのとき着ている服さえ次から次に脱ぎ与えたために、毎年薄綿の小袖1枚で年末年始の数日を過ごすハメになったという。 あるとき、庭の松を褒めた客にはその松を掘り起こして贈ろうとしたが、客が「我が屋敷は狭く、この見事な松は入りません」と断ると、彼は松を細かく断ち割り、切り分けて運び込ませた。 (『塵塚物語』) 経久は稀代の謀将と呼ばれるが、大欲は無欲に通じる。見城社長の無欲も「無私の大欲」の裏返しではないでしょうか。 経久は78歳まで現役で働いたわけで、見城社長にもまだまだまだ熱狂して生きていただきたいです。

前へ次へ
橋場日月のトーク
トーク情報
  • 橋場日月
    橋場日月

    で、その松葉屋。
    幕府公認の遊里・吉原に対し、非公認の遊里は「岡場所」と呼ばれたが、そのうち深川は「辰巳芸者」で知られる殷賑ぶりだった。
    「富岡深川草」はだいたい「べらぼう」と同時代の深川ガイドブックで、その中にこれも「松葉屋」がある。こちらは遊女屋ではなく茶屋(遊女を呼び出して客と遊ばせる)だが、筆頭の規模を誇ったらしい。
    吉原の松葉屋は郭内にいくつも支店(分家?のれん分け?)を持っていたが、この深川の松葉屋もそれだろうか。
    だとすれば、気軽に遊べる岡場所に押されがちだった吉原の経営者が、リスク分散のために深川にも拠点を構えた、とも考えられる。
    ドラマの松葉屋半左衛門さんは茶々なるニャンコにうつつをぬかしておられたが、実際はとんでもない戦略家だったのかも。

  • 橋場日月
    橋場日月

    書き足しとくと、松葉屋は小芝風花さん演じる花の井(のちの5代目瀬川)が属する遊女屋である。

  • 橋場日月
    橋場日月

    「べらぼう」第一回では蔦重が大きい桶の中に閉じ込められる折檻を受けていたが、これは「桶伏(おけぶせ)」と呼ばれる私刑で、吉原で支払いが滞った客を責める方法だった。
    ただし蔦重の時代より1世紀も前に絶えたと考えられているので、まだ移転前の元吉原末期までかも知れない。
    つまりこれはドラマの創作なのだが、うまく挿入したものだ。

  • 橋場日月
    橋場日月
    投稿画像

    桶伏に処されている男、髪が乱れもみあげも伸びて、いかにも放蕩かつ金払いが悪い半端者っぽくて良い。

  • 橋場日月
    橋場日月

    それでは、桶伏仕置きが無くなったのは見せしめ効果による無銭飲食の絶滅によるものやだろうかというと、そうではない。

  • 橋場日月
    橋場日月

    早い時期に「桶伏」が消滅したのは、何日も懲罰しても肝心の回収にはつながらない、回収できるまでのタイパが悪い、という至極ごもっともな理由からだったろう。