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ヤスナガのトーク活動再開
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  • ヤスナガ
    ヤスナガ

    エラーを楽しむ能力


    近頃、思うことがある。AIというのは、デザインや作曲といった、人の感性に触れる仕事が苦手らしい。それらしいものは作る。だが、その先へは出てこない。その域は越えられないというのが三年以上使い倒した所感だ。アートにはならないという方が正しいかもしれない。


    一方で、計算や法律のように、正解が決まっている仕事には強い。受験も資格も、おそらく同じだろう。感性の領域に手が届くのは、まだ先の話だ。


    人間は、日々エラーだらけで生きている。狙った通りにはいかない。見当違いの方向へ転がることもある。厄介なのは、そのミスの方が、案外いい。予定調和が崩れたところに、良いものが顔を出す。


    これは、AIには分かりにくい感覚だろう。正解を目指すことはできても、「悪くない失敗」を測る物差しは、まだない。効率と再現性を積み重ねた先に、偶然というものをどう据えるか。誰も答えを出していない。


    正しさのはっきりした仕事は、AIに任せればいい。エラーや偶然が味になる領域は、人間が引き受ける。感性とは、つまるところ「エラーを楽しむ能力」なのだとしたら——それは永遠に、人間だけの特権ということになる。

  • ヤスナガ
    ヤスナガ

    必然を編む共犯者


    久しぶりに、昔の仕事仲間と酒を酌み交わした。東京の電車に揺られ、大都会のオフィスビルのエレベーターに乗り、ちょっと小洒落た海鮮居酒屋へ。18時前だったから人もまばらで、先に来ていた1人と早めの乾杯。


    話題は、AIのことや最近の仕事の悩み、進め方など。40代前後だから、まだまだ鼻息が荒いなと感じながら受け答えした。とりわけ、彼らの中でもAIは話題の中心だ。聞いていると、導入は進み、使ってはいるものの使いきれていないと感じているらしい。


    その部分は仕方ないと伝えたが、僕から見れば「AIの勃興」はすでに始まっている。インターネットの登場のとき以上に。かつてAIは、計算機という名の箱の中にいた。僕たちは「論理は機械のもの、感性は人間のもの」と線を引き、自分たちだけの聖域に安住していた。しかし、この数年でその境界は崩壊した。膨大なデータと演算力は、知識という名の岩盤を掘り返し、人間が数千年かけて積み上げた論理の壁を、いとも簡単に突き崩してしまった。


    今やAIは「必然を編む共犯者」へと進化した。曖昧さを削ぎ落とし、最短距離で最適解を導き出す。人間が迷い、揺らぎ、偶然という名のエラーに身を委ねている間に、AIは確率の海から「最も正しい次の一手」を確定させていく。そんな相手に、中途半端な気持ちや片手間で挑めば、焦るのも当然だ。


    「エラーを楽しむ」ことが人間の特権なら、「必然を編む」ことはAIの独壇場だ。使うなら中途半端に使うのではなく、人間側がもっと考え抜いた問いを立てられるようにならなければならない。どう共生し、どの部分を任せるか——そこが問われている。


    そんな話を、幾分やんわり伝えて、歳を重ねる楽しさの話に切り替えた。「50歳になると新幹線がバカ安になる」みたいな話へ。久しぶりの東京を、少し楽しみたかったのもある(笑)。

  • ヤスナガ
    ヤスナガ

    見城さんの言葉に触れた方、対面で話をされた方、多くの人の心の奥底にその時の言葉はずっと刻まれているのだと思います。

  • ヤスナガ
    ヤスナガ

    東野圭吾が亡くなった


    一瞬、頭の中の整理がつかなかった。タイムラインを見て「本当か?」というのが最初の疑問。急いで指を走らせ、事実確認をした。亡くなったのは先週の23日とのこと。亡くなる直前まで新作の発表や連載を続けられていたという。闘病していることは、伏せられていたのだろう。何より驚いたのは、すでに68歳になっていらしたこと。時間は残酷だ。

    「卒業」——加賀恭一郎シリーズが、自分にとっては最初の出会いだった。それから「ブルータスの心臓」「変身」「探偵ガリレオ」「秘密」「白夜行」「手紙」「容疑者Xの献身」「新参者」、最近読んだ「白鳥とコウモリ」。もう、あげればキリがない。緻密な本格ミステリーから、人間の心理に迫る社会派サスペンス、ファンタジー要素のある温かい物語まで。作品の幅広さには、いつも驚かされてきた。

    溜め息。人はいずれ朽ちる。わかっているが、抗いたい。止まったままの世界であれ。「本を読み慣れていない人でも一気読みできる、とにかく面白いエンタメ」——それを徹底的に貫きましたね。理系らしい、ユーモアたっぷりのエッセンスが大好きでした。

    心よりご冥福をお祈りいたします。