ヤスナガのトーク活動再開
トーク情報- ヤスナガ
ヤスナガ プロローグ
「資格はAIの下請けになる」
それは、ある朝の何気ない通知から始まった。
「本日の業務はAIアシスタントにより最適化されています。担当者は確認・承認のみを行ってください。」
画面に浮かぶその一文を、彼はしばらく見つめていた。
確認と、承認。かつて「専門職」と呼ばれていた自分の仕事が、たった二語に圧縮された瞬間だった。
彼の名刺には、いくつもの資格が並んでいる。国家資格、業界資格、更新講習の履歴。若い頃から時間と金と努力を注ぎ込み、「この一枚があれば、食いっぱぐれない」と信じてきた証だった。だが今、その名刺はただの身分証に近い。業務の中心にいるのは、資格を持たないAI。人間はその出力を“なぞる”役割に追いやられていた。
かつて資格とは、能力の証明であり、信頼の代替装置だった。
「この人は試験に通った」「この人は一定水準以上だ」——そう社会に保証するための、便利なラベル。だが、AIが“常に”“誰よりも正確で”“休まず”“感情を挟まず”仕事をする時代に、そのラベルは急速に色褪せていった。
判断はAIが下し、分析はAIが行い、提案もAIが出す。
人間に残されたのは、責任の署名と、形式的なチェックだけ。
彼はふと、かつての上司の言葉を思い出す。
「資格はゴールじゃない。スタートだ。」
だが、スタート地点に立つ前に、レースそのものが終わっていたのだ。
オフィスの窓の向こうでは、都市が静かに動いている。物流、金融、医療、法務、監査——あらゆる分野でAIが“本体”となり、人間は“補助装置”として配置されていた。資格を持つ者ほど、皮肉にも真っ先に置き換えられた。業務が定義され、手順が標準化され、ルールが明文化されていたからこそ、AIにとっては最も「学習しやすい仕事」だったからだ。
「資格は、AIの下請けになる。」
誰かがそう言ったとき、彼は笑い飛ばした。極論だと思った。だが今、その言葉は現実になり、しかも静かに、誰にも抗議されることなく進行している。
人間の価値は、どこに残るのか。
試験に受かることでも、正解を出すことでもないとしたら。
彼はモニターを閉じ、深く息を吸った。
資格を積み重ねてきた人生が、無意味だったとは思いたくない。だが同時に、確信していた。——この時代において、「資格を持っている」という事実そのものには、もはや何の優位性もない。
残るのは、問いを立てる力。
意味を見出す力。
そして、AIが答えを出した後に、「それで、本当にいいのか」と問える、人間の側の覚悟だけだった。
この物語は、資格を失った者たちの終わりではない。
それは、“資格の時代”が終わった後の、人間の始まりについての物語である。 - ヤスナガ
ヤスナガ 第1章 資格という“信頼装置”の正体
彼が見つめていたのは、単なる業務通知ではなかった。
それは、一つの時代の終わりを告げる文面だった。
「確認と、承認のみを行ってください。」
この二語に、自分のキャリアが圧縮されている。
それを理解した瞬間、胸の奥で、何かが静かに崩れた。
彼は、無能だったわけではない。
怠けていたわけでも、時代に背を向けていたわけでもない。
むしろ、模範的だった。資格を取り、研修を受け、ガイドラインを学び、ルールに忠実に仕事をしてきた。
——それなのに、なぜ自分は“なぞる側”になったのか。
その問いの答えは、彼自身の能力の中にはなかった。
問題は、「資格」という仕組みそのものにあった。 - ヤスナガ
ヤスナガ 1.資格は、能力を測る道具ではなかった
私たちは長いあいだ、「資格=能力の証明」だと信じてきた。
試験に合格すれば、その分野の専門家。
資格を持っていれば、一定水準以上の仕事ができる。
だから企業は、採用要件に資格を並べ、昇進条件に資格を組み込み、教育投資を資格取得に集中させてきた。
だが、冷静に見れば、そこには別の目的があった。
企業が資格を重視してきた最大の理由は、能力を正確に測るためではない。
**人を“管理しやすくするため”**である。
・誰を採るかを簡単に決められる
・業務品質を「一定水準」に揃えられる
・教育を外部の制度に委ねられる
・「資格を持つ者に任せた」という形で、責任を制度に預けられる
資格とは、信頼の代替装置であり、同時に、組織を安定運用するための管理ツールだった。
彼の名刺に並んでいた資格の列も、
「この人は優秀だ」という証明であると同時に、
「この人は想定通りに動く」という保証でもあったのだ。 - ヤスナガ
ヤスナガ 2.資格が生み出した「優秀だが、同質的な人間」
資格制度がもたらした最大の成果は、能力の可視化ではない。
能力の平均化である。
業務はマニュアル化され、判断基準は明文化され、成果物は定型フォーマットに落とし込まれる。
そのうえで、「この試験に合格した者だけが、この仕事を担当できる」という仕組みが作られた。
こうして企業は、
**「一定水準以上だが、ばらつきの少ない専門人材」**を大量に確保することに成功した。
これは、組織にとって理想的だった。
品質は安定し、リスクは減り、管理は容易になる。
だが同時に、企業はある能力を切り捨てていた。
・この仕事は、本当に必要なのかと疑う力
・前提条件そのものを組み替える発想
・ルールの外に出る覚悟
資格が保証するのは、「正しく処理できる人間」であって、
「仕事そのものを再設計できる人間」ではない。
彼が積み上げてきた努力は、
“正解を出す能力”を磨くことに、ほとんどすべてが注がれていた。
だが、時代が求め始めたのは、
**「何を正解にするのかを決める力」**だった。 - ヤスナガ
ヤスナガ 3.なぜ、資格業務は真っ先にAIに奪われたのか
彼の仕事を代替したのは、単純な自動化ではない。
高度で、専門的で、かつては「人間にしかできない」と言われていた判断だった。
会計、監査、法務、契約レビュー、リスク分析、経営資料の作成。
いずれも、資格が必要とされてきた領域である。
だが、そこには共通点があった。
・ルールが明文化されている
・判断基準が言語化されている
・過去データが大量に蓄積されている
・「正解/不正解」の境界が比較的明確である
つまり、AIにとって最も“学習しやすい構造”を持つ仕事だったのだ。
皮肉なことに、
資格によって標準化され、制度化され、整備されてきた業務ほど、AIにとって最も代替しやすい。
資格は、人間の専門性を高める装置であると同時に、
「この仕事はアルゴリズムに落とせる」と社会に宣言してきた制度でもあった。
彼が「正しい手順」を学び続けてきたことは、
結果的に、AIに仕事を引き渡すための準備でもあったのだ。 - ヤスナガ
ヤスナガ 4.「人が責任を持つ」という構造の崩壊
もう一つ、決定的な変化がある。
これまで、資格は「責任を人に持たせるための根拠」だった。
「資格を持つ者に任せた」
「業界基準に従って判断した」
「ガイドライン通りに処理した」
これは、意思決定の正当性を、個人ではなく制度に帰属させる仕組みだった。
だが、AIが判断し、分析し、提案する時代になると、この構造は反転する。
・判断するのはAI
・実務を行うのもAI
・しかし、責任だけは人間が引き受ける
人間に残されたのは、署名と承認という“形式”だけである。
資格を持つ者は、意思決定の主体ではなく、
**「責任を引き受けるための名義人」**に変わっていく。
これこそが、
「資格はAIの下請けになる」という言葉の、現実的な意味だった。