愛愛4日前撃沈した事例検討会の影響か、自分の学業への取り組みに対して自信をなくしてしまっています。私は体調を崩さないように、目標を低く低く設定して、取り組んできました。いや生来の大雑把さも手伝っていると思います。今日すごく頑張っている後輩の修論相談を聞いていて、私これでいいのかなって思いました。何を大事にするかだとは思うのです。そんなことを考えながら、大学近くでひとり飲んでいます。61
愛愛1日前「体は全部知っている」※とよく思う。例えば昨日よく眠れなかったことも、今日あまりやる気がないことも、全部体がコーディネートしたことではないかと思う。その方が私にとってトータルとして良いから、そう布置されているのだ。そう思うと、人生に無駄なことはない。例えそれがどんなに苦しい経験だったとしても。だから体に従えばいい。やる気がないなら、やる気がないなりに過ごせばいい。少しやる気が出て来たなら、少しだけ動けばいい。自分を信頼する、自分を愛するって、そういうことな気がする。※吉本ばななさんの同名の著書からヒントを得ています。156
愛愛1日前あともうひとつ書きたかったこと。自己愛について。先日外部実習のカンファレンス記録を読んでいて、「自己愛を諦める」という記述があり、それがずっと気になっていた。チャッピーに聞いたら、それは「特別であろうとする自分を手放して、そのままの自分でいることを引き受けること」だと教えてくれた。まさに私がずっとしようとしていることだと思った。そうか、自己愛って、(人によってはだけれど)「諦める」べきものだったんだ。目から鱗だった。思えば私にとって私は、そもそも特別なものである。誰かの特別になんかならなくていい。そう改めて思いましたとさ。ちゃんちゃん。(古い。)161
愛愛8時間前今、うつ体験の持つ意味、という題で修士論文を書いています。うつ体験には目的があるのではないか、個性化を促すものなのではないか、という内容です。うつ体験は死ぬほど苦しいです。でもそれが実は自己理解と変容を促すものであったなら。うつは無意識からのメッセージかもしれない。そういう論文です。うつ体験を美化するつもりはありません。ただ、うつには意味があると思うのです。それがうつ体験を耐える力にならないだろうか、そう思って、願って、書いています。62