ログイン
詳細
森貴代江

2012年4月28日に前身の権屋を閉店し、そこから改装準備に入りました。 当時、母が社長だったので母の意向を強く受けて改装の構想が始まりました。 ただそもそも母は私が飲食を続けることに反対だったので、決して前向きな話し合いではありませんでした。続けたい私と、本当はやめさせたい母との会話は建設的ではありませんでした。 そんな中でもなんとか店舗名は先祖代々の名前を使わせて欲しいとお願いし、厨七代目松五郎となりました。 母の年齢の人がゆっくり食事できるレストランを渋谷にというテーマが与えられ、お店づくりは始まりました。 サービスマネージャーには、都内5つ星ホテルの料飲部マネージャーを置き、藤井はサービスの2番手でした。 料理は、大阪のホテルから和食の料理人が来ることになっていました。 紆余曲折あり9月19日にオープンが決まり、プレスリリースも出しました。 ところが。。。 9月1日に着任するはずだった料理長は、前日に「やっぱり僕には荷が重い」と突然辞退しました。 もう絶望でした。 料理人がいない?!どうすればいいんだ。 目の前が真っ暗になりました。

前へ次へ
飲食店を開業して今年で15年なので、少しまとめてみようかな
トーク情報
  • 森貴代江
    森貴代江

    4日間で改装が終わり、無事に再オープンとなりました。

    そのタイミングでメニューもガラッと大きく変わりました。

    一品メニューの種類を大きく増やし、500円タパスを24種類作りました。フライドポテトの種類もたくさん作りました。
    すき鍋だけじゃなく、つまみを楽しんでもらいお酒も飲んでもらう。

    お客様たちには、
    「すき焼きとフライドポテトが食べられるお店なんてないですよね?それが私たちの特徴です。」
    なんてお話しさせていただいていました。

    肉じゃがをイメージしてください。ほら、すき焼きとフライドポテトの相性バッチリですよね!

    なんて話したり。。。

    みんな、このお店面白いね〜と言って徐々にお客様の数が増えていきました。

  • 森貴代江
    森貴代江

    当時のメニューを久しぶりに見ると、美味しそうだなぁ。。。笑

    このメニューに変更してから、本当に売上がどんどん上がっていきました。

  • 森貴代江
    森貴代江

    2014年12月の売上は、前年比150%まできました。単月黒字を達成できたのもこの時でした。本当に嬉しくて胸が苦しくなりました。

    そしてそれと同じ頃、見城さんからお店にお電話いただき予約を入れていただきました。

    著書や755で会食の予約はご自分で電話をされると書いてありましたが、まさか本当に本人が電話をかけてきてくれるとは思っていなかったので、受話器から「見城です。」という声が聞こえた瞬間に直立不動になったのを覚えています。

  • 森貴代江
    森貴代江森貴代江
    見城徹
    来年、伺います。755の水野あたりと。

    やじコメ、ありがとうございます。
    とても嬉しいです。
    心よりお待ち申し上げております。

  • 森貴代江
    見城徹見城徹
    森貴代江
    多忙な中のコメントに本当に感謝しています。これからも毎日読ませていただきます。また時より勇気を振り絞ってコメントさせてください。長々とやじコメしてしまい申し訳ありません。ありがとうございました。

    気軽にコメントして下さい。お店はとても美味しそうで、一度行きたいと思っています。それから、僕は大した男ではありません。自分の狭量さに辟易して毎日を過ごしています。そんな僕のトークでも刺激になれば幸いです。

  • 森貴代江
    森貴代江

    当時を昨日のことのように思い起こせます。

    私の奇跡はここからスタートしたんだと思うと、とっても不思議な気持ちになります。

    755で見城さんとの出会いがなければ、いまの私は確実にいないですし、いまの松五郎もないと言えます。

    これがどれほどのことか。
    語彙力がなくてうまく表現できませんが、この奇跡に心が震えています。

  • 森貴代江
    森貴代江

    2015年2月1日、見城さんが初めて渋谷の松五郎にお越しくださいました。
    秋元康さんと箕輪さんと水野さんとご一緒に。

    その日のことは全てノートに書いてあります。見城さんが何を飲まれて、何を召し上がって、どの料理を気に入ってくださったか。
    見城さんだけではなく、その日同席されていた皆さんのことが記されています。

    あの日はとにかく緊張していて、気持ちが昂ってしまっていました。
    その時に提供した料理はすき焼きとしゃぶしゃぶでした。実は見城さんからしゃぶしゃぶを食べたいとリクエストいただき、しゃぶしゃぶをご用意していました。いま思うと何か運命的なものを感じてしまいます。
    ポン酢はざくろのポン酢がお好きと755にあったので、事前にざくろに行きどんなポン酢なのか下調べをして藤井が作り準備しました。
    またアレンジダレとして、山芋のベッコウ餡もお出ししたところ大変気に入ってくださりそのつけダレを2度お代わりしてくださいました。
    しゃぶしゃぶの〆はおじやをお作りしました。やはりその時も大変褒めてくださいました。全てが今に繋がっているとつくづく思います。

    お帰りになる時に、姿が見えなくなるまでというより車が見えなくなるまでお見送りをさせていただきました。
    見城さんにお越しいただけるなんて2度とないかもしれないと思いながら、お見送りをしました。