大介大介2023年03月18日 11:52病院見学で福岡に来て、 久々に住吉神社を訪れた。 浪人時代毎夜ここに来ては、この正門前の石段に腰掛けボーッと過ごした。 決まって真っ暗な夜だったが、熱心な参拝客が度々訪れ、ヤンキーのように座っている僕に向かって深々と頭を下げて帰っていった。その光景がなんだかおかしかった。 その当時の僕は腐りきっていて、 自分の置かれた境遇を嘆いては、社会を恨み、 神様なんかいるもんか、いたらなぜ俺はこんなにも地獄のような日々を過ごさなきゃならんのだ?神なんかクソ喰らえと、 今の僕では信じられないようなことを当時の僕は本気で思っていた。 もちろん数えきれないほどここには来ていたが、お参りなんか一度もしたことなかったし、しようとも思わなかった。 数年後、心の傷が癒え、少しずつ自分の人生を歩み出した時、何かの用事で福岡に来たついでにふと住吉神社に立ち寄った。 あの時のご無礼をお許しください。お世話になりました。と初めて手を合わせた。 涙が勝手に溢れてきたことを覚えている。
大介大介1年前その日は溶けるように眠りについた大変な病院に来たもんだと思ったが、初めて自分から勉強しなきゃ、もっと勉強したいと思った初めて担当した患者さん、ただそばにいて声掛けすることしかできなかったでも帰る時、手を握ってありがとうと涙しながら言ってくれた何にもしてあげられなかったけどなぁと思いながらも、やっぱり嬉しかった忘れられない一日になった17
大介大介1年前明日から地獄の救急ローテが始まる不安しかないが、ここまできたら地獄を味わい尽くしてやろうと思う笑いつか、あんなこともあったなって笑って話せたらいいなひとまず心を病まないようにだけ気をつけて1ヶ月を過ごそう
大介1年前見城徹見城徹↑ 強烈に何かを失う覚悟がなければ、大きな決心なんか出来ないよ。人はリスクと引き換えに新たな地平を獲得する。人生はその連続だ。それが辛いなら自分を殺して生きればいい。生きながら死ぬか、死を覚悟して自分の道を生きるか、だ。そういう僕も大きな決心の前で足踏みをしている。人生は生きようと意志する者に残酷だ。8716722
大介1年前見城徹見城徹欲しいのは金や成功じゃない。死に向かってひた走る自分の命の燃焼だ。虚しさと切なさを埋める熱狂だ。その副産物として金や成功は付いて来るかも知れない。失うものなど無さそうな挑戦なんて詰まらない。252582
大介1年前見城徹見城徹自分がここは大事だと思う場面で自分の出来る最高のパフォーマンスをする。それが「場面を張る」ということです。高倉健や菅原文太のヤクザ映画が美しいのは登場人物たちが命懸けで場面を張り合っているからです。172105