読了。
医療従事者であり、当事者である著者だから語れる医療現場の差別とマイノリティのリアル
「セクシャルマイノリティ」、「性風俗」、「院内暴力」、「子どもを愛せない(親)」、「医療不信」、「生活保護」、「依存症」、「性暴力」、「医療従事者」
というテーマで、
マイノリティや貧困、差別に対して、
医療従事者がどう向き合うべきかを論じている。
様々なエピソードに、裏付けとなるデータや考察を加え、当事者にとって共感的でありつつ、医療に対して啓発的な役割を果たせる言説である。
医療現場での差別とマイノリティについて、
著者の経験をもとに深く考察されている本でした。
他者への想像力のある著者。
「当事者同士の共感」と
「医療のプロフェッショナルへの啓発」
が著者のこの本の願いであるように、
自分はマイノリティである当事者に共感を覚え、
医療の現場の端くれいるものとして気づかされました。
色々なところでまだ閉じている医療、
これからもっと開かれていくことを考えねば…
以下、気になったところを抜粋。
p.25
入院した患者の同性のパートナーがICUでの面会を断られる。現在の医療が同性愛者の病院受診のハードルを上げていて、それが生死に影響してしまうのではないか。同性愛者が不調を感じたときに気軽に病院に行ける状況ではない、医療の環境自体が、もしかしたら同性愛者の命をこの世から締め出しているのではないか。
P.26
「義務教育の段階からセクシャルマジョリティが前提の風潮の中で生活をしてきた多くの人々にとっては、すぐ隣にいる相手に対して『見た目の性別と心の性別が違うかもしてない』、『好きになる性別が異性ではないかもしれない』と予想することは難しいのが現状ではないかと思います。想像力の至らない、無意識レベルの思い込みが言葉の端々に現れることが、当事者が『実は自分は』と言い出せない空気感に繋がり、マジョリティの人々にとって彼ら彼女らは不可視化され、セクシャルマイノリティはテレビの中にいるだけの、日常で出会うことのない人となってしまう。そしてまた日常において、『心と体の性別が一致した異性愛者』が人間の本来の姿かのように語られ、さらにマイノリティ側が口をつぐまざるを得ない状況が続いていく。明らかな悪意のある誰かがいるわけではないのに傷付く人間が存在し続ける悪循環を、確かに感じます。
「『恋人』とこれから会う」↔︎「『彼氏•彼女』とこれから会う」
性別に関する言葉の数々がどれだけ私の無意識の中に刷り込まれているか、言葉を放った方の無自覚と、放たれた方の傷付きの差があまりにも大きすぎるのではないか、私は今まで無自覚のうちに、誰かをどれだけ傷付けてきたのだろうかと恐ろしくなりました。
P.32
セクシャルマイノリティであることは本人の意志とは無関係な事象であり、それによって医療の設けた基準に「乗れない」ことは、当事者本人の責任ではありません。医療へのアクセスがマイナススタートになっている属性の人間を本来のアクセスレベルに押し上げるための医療従事者側の配慮は、医療格差の是正であり、決して特別扱いと呼ぶべきものではないと私は考えます。
正直なところ、平時から崩壊し、現場の人間の過重労働によって成り立っている医療現場では、統一された基準に従い、患者さんを業務的に「処理」していくことで精一杯な面はよく分かります。そこに「乗れない」患者さんのことまで考えていられない、と言いたくなる気持ちも理解できなくはありません。しかし、医療現場の多忙さや疲弊は病院経営や診療報酬制度といった事情による問題ですから、当事者を排除する理由としては成立しないはずなのです。
医療従事者に必要な態度とは、目の前の相手が自分の性についてどう思っていても、誰を好きでいても絶対に否定しないことではないでしょうか。実感として理解ができなくともひとまず「そうなんだ」と受け入れてみることが想像力の幅を広げる力に繋がると考えていますし、現実的な医療現場での対策は、そういった想像力の基盤の上に、さらに都度当事者の言葉に耳を傾け続けることでようやく成立するものだと私は考えます。私は、セクシャルマジョリティが跋扈(ばっこ)している医療業界においても、自分自身の性別や恋愛対象を他者のそれと同一視しない想像力と、その想像力に基づく人間としての関係が医療者-患者間に築けることを信じたい。
P.107
コミュニケーション不足が医療不信に影響するというデータの一方で、患者さんが感じる医療者の共感度が高いほど、服薬順守や生活習慣の改善を通して疾患(研究では2型糖尿病を基礎疾患として発症する心血管障害)の予後が良好となるというデータもあり、医療者-患者間におけるコミュニケーションの量と質の重要性がうかがえます。
P.108 ゼロリスク信仰 リスクとベネフィット
P.118
100%患者さんに向き合う前提としての、職場内の人間関係の重要性を強く感じます。医療現場の人手不足が患者家族の不満に繋がる、というのはよく耳にする論ですが、看護がチームの仕事である以上、きっと単に職員がたくさんいるだけでは駄目なのです。「人手」の中の人間間でどれだけ信頼関係が確立されているか、どれだけ居場所があると思えているかが、病の混乱の中にある患者さんに対して専門職としての関係を築く土台になると私は考えます。
P.114
今は、心の底から自信を持って働けるなんて口が裂けても言えなくて、忙しさや余裕のなさから不機嫌を周囲にぶつけてはいないか、後輩に冷たい態度を取っていないか、嫌な看護師になっていないかと常に怯えている状況です。いつか「自信」という大義のもとにこの怯えがなくなる日が来たら良いな、とは思うものの、もし独りよがりな自信が横柄な態度として表れてしまったらどうしようとも考え、戸惑う日々が続いています。
P.123 共に歩み寄れる医療を
医療不信について考える時、「こんなに必死にやっているのにどうして信じてくれないの」と泣きたくなります。そして一方で、病の当事者にとって、医療従事者の「必死」なんて関係ないことも、私は身を以て知っています。私達がどんなに手を尽くそうとも、万にひとつの副作用でさえ患者さんの身に起こったそれらは本人にとって「100%実感を伴う経験」になると考えればら医療は結果が全てなのだと痛感します。あらゆる配慮をしようと、誠実でいようとすればするほど、私達の言葉は曖昧になり、患者さんが求める安心の提供は困難になります。患者さんにとって頭で理解することと心が納得することは、必ずしも一致しません。
前へ次へ