ログイン
詳細
ケント

見城さん「読書という荒野」の終わりにを拝読しました。ただ、字面だけを追って読んでいる気になった自分が恥ずかしいです。つかこうへいさんの演劇の深層をこんなにまで言葉にしてくださっていたのに、国家権力だとかの表面的な見方しかできなかった自分が恥ずかしいですが、見城さんから直接読書というものを教えてくださったようで、感激です。 「 そこに共通するのは、強者と弱者、持つ者と持たざる者、サディズムとマゾヒズムのドラマトゥルギーである.敗者を徹底的にいたぶり、勝者の専横ぶりを誇張しながら両者の哀切に満ちた複雑な関係性を暴き出し、生きるということの絶望と苛酷を、痛々しいまでの愛情で展開させる。敗者は徹底的に敗者の虚構を演じ、勝者は徹底的に勝者の虚構を演じ切る。音楽がその感情を増幅させるかのように劇的に使われ、笑いと涙と感動の空間が現出する.容疑者はあくまでも容疑者らしくなければならず、部長刑事はあくまでも非情な部長刑事でなければならない。」

前へ次へ
ケントのトーク(他者への想像力を駆使した言葉で考える!)
トーク情報