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zettuのトーク
トーク情報
  • zettu
    見城徹見城徹

    今日も僕は負け犬だ。21歳の時、それまでの生き方を明確に変更した。目指していたものから逃げた。「負け犬」の烙印を自分で押した。それを押した上で挑んだ現実社会。敗者の凱旋をするつもりだった。しかし、現実社会はそんなおセンチなものではなかった。立ちはだかる壁はいつも高かった。圧倒的努力をした。結果も叩き出した。壁を何度となく乗り越えた。それでも毎日、敗北感に打ちのめされる。自己嫌悪で一杯になる。73歳。
    僕は[今日も明日も負け犬]だ。

  • zettu
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2024年9月の親父の投稿のリトークです。

    人生とは苦しいものだ。狂わなければ生きていけない。死んだらきっと楽になる。そう思って今を生きる。乗り越える。

    死にたくなるほどの苦しみも悲しみも痛みも、きっといつか乗り越えられる日が来る。そう信じて恐怖と絶望の中で笑顔で踊り狂うのだ。今いる場所に痛みを感じなくなったなら、もうそんな場所にはいられない。安心、安定、安全は僕が目指している場所じゃない。早くここから抜け出して、さらに険しい道を行け。自ら地獄に落ちていけ。
    エンジンを始動し、アクセルを吹かせ。そして荒野の風となれ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • zettu
    見城徹見城徹

    キツいなあ。色んなことがキツい。
    仕事も、人間関係も、トレーニングもキツい。
    戦いのリングを降りてしまえば楽になるに決まっているが、降りた後の自分が想像出来ない。
    追い詰められない。悩まない。苦しまない。
    負荷がかからない日々など僕には想像出来ない。
    もうすぐ74歳になる。普通ならとっくにリングを降りている歳だというのに毎日七転八倒している。今朝は堪え切れずに弱音を吐いている。
    それでもかろうじて前に出る。パンチを出す。
    僕がリングを降りるのは、KOされてリングに横たわり担架で運ばれる時だ。それでいい。今日も憂鬱さと共に生きる。「忍びて終わり悔いなし」と自分に言い聞かせる。死ぬまで修行だ。死ぬまで精進だ。愚痴を言い、弱音を吐くけれど、自分からリングは降りない。押忍!

  • zettu
    見城徹見城徹

    ↑ 身から出た錆。自分の不徳。真っ当に生きようとする者の誰がそう思わずに生きられただろうか?毎日が弱い自分、卑怯な自分に絶望する。たった一つ解っていること。それはこれからも人生は続くということだ。死ぬまで解放されない弱くて卑怯な自分との戦い。絶望から苛酷へ。無数の敵のど真ん中へ。ありたっけの力を振り絞って救いのない自分から立ち上がるしかない。
    I Will Go to War!

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  • zettu
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    久々に体調が悪い。

    身から出た錆。
    身体ではなく心が病んでいるのだ。

    少し体調が悪いと、いつものトレーニングやルーティーンを崩してしまいたくなる。

    僕はとても弱い男だ。
    それ故にこの歳で何者でもない。

    こんな時は見城さんの755を見て感じる。

    あれだけの人が自己検証、自己嫌悪、自己否定し、毎日を戦い、生き、トレーニングも積み重ねている。

    僕みたいな何者でもない若者が、行動せずして何が変わろうか。

    見城さんに勝手に背中を押されて今日も僕は生き抜く。
    僕はとても弱い男だ。

  • zettu
    見城徹見城徹

    雛祭り 盃交わした 漢の日  徹城

    石原さん、僕は74歳になりました。74歳のガキです。僕は人生を石原慎太郎に教わりました。あなたとの想い出を胸にあと少し生きてみます。

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  • zettu
    見城徹見城徹

    自意識から出た軽はずみな言動は自分を後悔に導きます。破滅すらさせます。僕は何度も経験しました。自戒しても自戒しても自意識は吹きこぼれてしまう。生きるという営みは自己認証を求める自意識との闘いでもあります。その度にムクムクと頭をもたげる自意識を一旦立ち止まって自己検証する。それを繰り返すしかありません。

  • zettu
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2017年7月の親父の投稿のリトークです。

    「勝てば官軍」。歴史は常に勝者が紡いできた。
    僕みたいな不器用な人間が、皆と同じ土俵で戦って勝てる訳がない。そう思って生きている。けれど誰にも負けたくない。僕の心は矛盾している。負けるが勝ち、逃げるが勝ちと言われても受け入れられずに生きてきた。僕はこんなにも脆くて弱くて情けないのに負けず嫌いの境地にいる。無能な自分と優れた他人を比べても虚しさしか残らない。そもそも同じ土俵で戦おうとするから負けるのだ。自分は自分。他人は他人。自分にしか出来ない事をやる。敵は己の中にいる。昨日の自分にだけ勝てたら良い。だから自分が決めたルールだけは必ず遂行する。孤独の中でただ狂う。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • zettu
    見城徹見城徹

    自分の土俵にどうやって相手を引っ張り込むか?世の中のルールや常識で戦っても勝ち目は薄い。自分の作り出した仮説や法則、ルールで試合をするなら勝ちは確実に見えて来る。勝ってしまえばそのルールはあたかも当然のような一般のルールになる。勝てば官軍なのだ。常識は自分で作る。そして、自分で作ったルールを自分で壊す。また、作る。それを繰り返していれば人生は面白い。
    [勝てば官軍]。深い言葉だ。

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  • zettu
    見城徹見城徹

    「癒着」という言葉の意味について『広辞苑』を引いてみると「本来関係あるべきでない者同士が深く手を結び合うこと」と書かれている。癒着は悪い意味で使われることが多い言葉だが、仕事を成功させるためには非常に重要な要素だ。

     癒着とはどういう状態を指すか。お互いがお互いを必要として結果を出す唯一無二の関係だ。しかし、誰かと癒着するにはキラーカードを持っていなくてはならない。

     相手が喉から手が出るほど欲しいキラーカードをこちらが持っている。そして「どうぞ使ってください」とそのキラーカードを惜しげもなく差し出す。

     相手も手元にキラーカードを持っており、見返りにそのキラーカードを差し出してくれる。ギブ・アンド・ギブという無償の贈与、テイク・アンド・テイクという無償の報酬の関係は癒着とは言わない。ギブ・アンド・テイクの対等な関係の上に癒着はある。

     もし君がキラーカードを1枚しか持っていなければ、その1枚を人に渡してしまった瞬間に弾切れになる。一時的に相手と癒着の関係が構築されるかもしれないが、次に渡すべきキラーカードが1枚も残っていなければ、癒着の関係は早々に終了する。

     パートナーとして長く癒着の関係を保つためには、キラーカードを何枚も手元に持っておかなければならない。お互いが圧倒的努力を重ねて何枚ものキラーカードを常に獲得し続けるからこそ、お互いがお互いを必要とする癒着は続いて行く。

     そして、キラーカードを切り合った先に、大きな成果が出ると癒着は益々深くなる。

     勘違いして欲しくないのだが、「癒着」と「人脈」は似て非なるものだ。僕は「人脈」という言葉を聞くと虫酸が走る。

    「仕事ができる人間になるためには人脈が重要だ」と考える人は、異業種交流会やパーティにやたらと出席しては名刺交換に勤しんでいる。大勢の人間が集まる場で名刺を渡し、通り一遍の薄っぺらい世間話をしたところで、癒着と言えるまでの濃密な関係を築けるわけがない。残るのは顔も思い出せない人たちの名刺の山だ。