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ikutama

何度も読んだはずの言葉が、今日読むと心に沁みる。自分では振り返ることができなかった大切な言葉と向き合える。755はありがたい。 『一歩を踏み出すこと、目標に向かって努力すること、死ぬ気で何かに熱中すること』 高校時代にやり切れなかった自分がいる。意図せず踏んでしまうアクセルに、全力でブレーキを踏み続けたあの頃は、不器用に全力を尽くしたという点で青春だった。真っ直ぐに飛ぶ人生に負い目を感じながら、今日を生きる。あの頃よりも苦しんでいるか。あの頃よりも真剣に生きているか。

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  • ikutama
    見城徹見城徹

    <かけがえのない今日>

    50年前、僕は四回生として、静岡県立清水南高等学校を卒業した。

    小学校・中学校と劣等生だった僕にとって、
    高校入学は今から考えても決定的に大きな人生の転機になった。
    東京での大学生活を通じても、高校時代ほど生命のエキスが凝縮された時間はなかった。

    海と山に囲まれて、日差しがさんさんと降り注ぐ、花と緑が目に染みる、
    青春ドラマの舞台になるような高校で、僕は全身をぶつけて、
    恋愛や友情、勉強やスポーツに向き合った。

    あれほど懸命に生きた記憶は、後にも先にもあの三年間だけである。
    あの三年が今の僕を形作り今の僕をあらしめていると、はっきりと断言できる。
    それほど僕にとって、濃密で一心不乱の季節だった。

    はじめて異性を愛しいと思い、一挙手一投足に振り回され、思い詰めた日々を過ごしたこともなかったし、
    ロックンロールに夢中になって
    ビートルズという一組のミュージシャンにあれほどの熱量でのめり込んだこともなかった。

    ラグビーに出会って、鈍い運動神経ながらも初めてスポーツを楽しいと思ったのも、高校の三年間だけだった。
    社会に出てからも、ラグビーのクラブチームをつくってトレーニングにも励んだけれども、高校時代のようなトライの快感は得られなかった。

    嫌だ嫌だと逃げたい心を押さえつけて一日3時間睡眠で受験勉強をしたのも、
    海辺で友人と日が暮れるまで議論したのも、
    本を片端から読んだのも、その三年間に限られている。

    一歩を踏み出すこと、目標に向かって努力すること、死ぬ気で何かに熱中すること、
    それらすべてを高校の三年間は僕に天の恵みのように教えてくれた。
    自分の信じた道を真っ当に努力さえすれば、時間がかかろうとも必ず少しは報われる、そのことに僕は高校に入って初めて気づいたのだった。

    何故それが高校時代だったのか、
    丁度、強烈な自我に目覚める年頃だったのか、よく解らないけれど、
    高校三年間で僕は、生きるという営みの歓喜と切なさを全身で受け止めたのだ。

    自分が信じたものに熱狂できる特権は若者特有のものだ。
    社会に出れば、様々な大人の事情が、それを許さない。

    小・中学生では子供過ぎるし、大学生では自由過ぎる。
    親のスネをかじりながら、受験という目の前に立ちはだかる乗り越えるべき大きな壁にぶつかりながら、自分が熱狂するものにもがき苦しみ、全力を尽くす。

    僕が清水南高で得たものは62歳の僕の人生を左右し、僕の人生を決定づけた。
    あの三年間がなかったら、今の僕はなかった。

    そのさ中にある者には、その貴重さは解らない。
    そのさ中をどう生きるのか。
    何とどう向き合うのか。

    君達は二度と戻らない、その貴重な季節のさ中にいる。
    何でもいい。何かに熱中しろ。何かと格闘しろ。もがき、苦しみ、悩み抜け。
    それが、どれだけ大切だったか、思い知る時がきっと来る。
    光陰矢の如し。今日と違う明日をつくれ。

    それには圧倒的努力が必要だ。10年なんてあっという間だ。
    昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない。

    「君がなんとなく生きた今日は、
    昨日死んでいった人達が、どうしても生きたかった大切な明日だ。」
    アメリカ原住民に伝わる言葉である。

    人生の中で最も恵まれた季節を、なんとなく生きるな。
    失恋してもいい。失敗してもいい。
    勇気を出して、自分が夢中になれる何かに一歩を踏み出してくれ。
    どんなにボロボロになっても、それがあとで、かけがえのない一日になる。

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  • ikutama
    ikutama

    何度も読んだはずの言葉が、今日読むと心に沁みる。自分では振り返ることができなかった大切な言葉と向き合える。755はありがたい。
    『一歩を踏み出すこと、目標に向かって努力すること、死ぬ気で何かに熱中すること』
    高校時代にやり切れなかった自分がいる。意図せず踏んでしまうアクセルに、全力でブレーキを踏み続けたあの頃は、不器用に全力を尽くしたという点で青春だった。真っ直ぐに飛ぶ人生に負い目を感じながら、今日を生きる。あの頃よりも苦しんでいるか。あの頃よりも真剣に生きているか。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    氷山の上で震えながら群れるペンギンでいるのか?震えながら未知の海に飛び込むファースト・ペンギンになるのか?決めるのはあなた自身です。

  • ikutama
    ikutama

    誰かがやらねばならないことを自分がやる。今すぐに。群れから離れ、たった一人でリスクを引き受け、暗闇に飛び込む。
    生き残るために本能に抗うファーストペンギンから、吉本隆明の『ちひさな群への挨拶』が聞こえてくる。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    『初恋』(2019.1.7掲載)
    静岡県立清水南高校。ずっと憧れていた1学年下の女生徒に卒業の直前に想いを書いて手渡した。
    東京の大学に合格し、彼女に何も告げずに高校を去って行くのはあまりにも後悔が残ったからだ。
    決死の想いは通じて、卒業式の日、校門前で待ち合わせて三保の松原まで海岸を2人で歩いた。それが初めてのデートだった。
    それから3週間、毎日会った。
    狐ヶ崎ヤングランドのスケートリンクで滑り、当時話題になっていた『若者たち』という映画を観、彼女の家の近くの丘にピクニックに行った。
    一時でも離れ離れになるのが怖かった。
    1969年4月4日。僕が東京へ行く日がやって来た。既に高校の授業は始まっていた。僕は1人でボストンバックを提げて、静鉄バスの小糸製作所前に佇んでいた。
    バスが到着した時、突然、彼女が走って来た。高校の制服姿だった。
    事情は解らなかったが、僕を見送りに来てくれたことは明らかだった。
    東海道線の清水駅まで2人でバスに乗った。プラットホームに立って、手を握り合って列車を待った。晴れてはいたが、強い風が冷たかった。
    言葉はなかった。2人とも泣いていた。全身が痺れるような切ない時間だった。
    50年が経ち、68歳になった。幾つかの恋をして、肉親や何人かの友人の死を見送った。自分の会社を立ち上げ、上場し、上場を廃止した。
    しかし、立ち尽くしながらあれほどまでに長い時間、涙をボタボタと落としたことは一度もない。

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  • ikutama
    ikutama

    何という清明な記憶と表現力。他者への想像力と本物の自己検証を学ばせて頂いた。「自分が今何をしているのか」という意識を持ち続け、過去の経験を全て背負って生きている。
    自分が最も涙したのはいつ?悲しかったのか、感動したのか。思い出せない自分の雑さに気づく。
    「今、自分が何をしているか」「今までに何をしたか」「これから何がしたいか」もっと丁寧に、もっと清明に意識できるようにしたい。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    静岡新聞[窓辺]
    第2回『同級生』(2019.1.14掲載)

    清水南高校で仲の良かった4人の同級生と1年に2、3回くらい静岡で食事をするのを十数年続けている。場所は葵区のカウンター割烹の店『ひでじ』。
    静岡の季節の食材が店主の鈴木秀治さんによって小気味良く料理されて10品ほど供される。
    春なら大井川河口の白魚。夏なら有度茄子の素麺。秋なら吉田港の太刀魚。冬なら平山の自然薯…。季節に関係なく〆だけは紫蘇風味の飯蒸と決まっている。支払いは僕。静岡の財界人もよく利用する店だ。
    同級生は僕と成績トップを争った鈴木真琴、一緒に悪さをしたラグビー部の望月勉、体操部のマドンナ勝山由美子、陸上部のマドンナ高野みどり。
    県庁や市役所、教師をリタイアした彼らと高校時代の思い出話に花が咲く。
    秀治さんが料理を出しながら絶妙のタイミングで合いの手を入れる。日々、ハードスケジュールでビジネスに追われる僕にとってこの上ない癒しの時間だ。
    365日会食が詰まっているがこの日程だけは6ヶ月前から押さえておく。
    高校卒業まで小糸製作所静岡工場の社宅で育った。一生を清水で終えるものと思っていた。
    今は歴代の総理や日本を代表する経営者たちとも会食をする。坂本龍一の事務所の社長も勤めている。遥か遠くまで来た。高校時代のままの同級生たちとの関係は心地が良い。去年12月29日で68歳になった。人生は最終コーナーを回った。つまり、ゴールが見えて来た。僕はどんな想いでゴールラインを駆け抜けるのだろうか?

  • ikutama
    ikutama

    「自分を見失わないとは、1億円の勝負に勝っても、300円のラーメンの味が変わらないこと」昔、桜井章一の本で読み、心に残っている。どれだけ成功しても、強くなっても、自分が大切にしていたものを同じように愛せるか。
    見城さんのエピソードを読むと人生は本当に自分の心掛け次第で豊かになる、そう思える。

  • ikutama
    ikutama

    人間の持つの底力とそれを発揮することの苦しさ、そこから得られる豊かさを教えて頂き、ありがとうございます。決して投げやりにならず、時間や能力を丁寧に使い尽くす姿勢からいつも学ばせて頂いています。