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ikutama

悪戦苦闘して本気で12歳の子供たちと向き合う。「課外授業 ようこそ先輩」を読み、いつも以上に繊細に、丁寧に対応する姿が目に浮かんだ。見城さんの真剣さが子供達を真剣にさせる。「本気」は伝播していく。 あのバックグラウンドには、小学校での自身の辛い経験があった。傷つけ合ってでも、分かり合うまで向き合う。授業で本物の人間関係を体験した子供達。学校では教えてくれないことを個人の責任でやり切る。本物の覚悟を感じました。

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ikutamaのトーク
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  • ikutama
    ikutama

    高校生活、風と空と海、恋、友人との議論、読書。それ自体は決して特別なものではないが、「何のために生きるのか」と根源的な問いを持って接すると、それぞれから特別な答えが返ってくる。
    「気づく人」と「気づかない人」、「動く人」と「動かない人」、同じ場面に接しても、時間の重みが圧倒的に変わる。
    人生が詰まったエッセイ、大変勉強になります。

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    見城徹見城徹

    静岡新聞夕刊、僕の連載コラム[窓辺]第9回『折戸の海』(2019.3.4掲載)

    人生最大の窮地はMBO(経営陣による買収)による上場廃止を発表した時だった。2010年11月の初旬から臨時株主総会が開かれた翌年の2月15日まで、ケイマン諸島に突如設立された謎のファンド「イザベル」との熾烈な株の攻防戦は今も鮮やかに記憶に残っている。僕が全株の58%は所有していたが、相手に1/3強の株を握られ、敗色は濃厚だった。
    上場廃止は株主総会で出席株数の2/3以上の賛成が必要なため、否決されれば銀行から個人として借り入れた数十億の借金を残したまま、正体不明のファンドを抱え、上場を維持しなくてはならない。睡眠3時間にも満たない日々が続いた。最初は狼狽したが、徐々に腹がくくれてきた。やるだけのことは全力でやり切って、ダメなら潔く散るしかない。
    「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
    吉田松陰の歌が胸に沁みた。
    臨時株主総会の前日、僕は折戸の海岸に佇んでいた。自然に体がここに向かっていたのだ。高校時代、何か悩みや辛いことがあると、放課後、砂浜に出てずっと海を見ていた。この砂浜には僕の青春の涙と汗が埋まっていた。海を見ながら心が澄んで行く気がした。翌朝、会社から臨時株主総会に向かう僕に取材陣がマイクを向ける。
    「戦場に行って来ます」
    それだけ答えて自分の車に乗り込んだ。雪が積もっていた。
    結果は上場廃止が決議され、逆転で僕が勝った。報道陣が取り囲む。答えながら僕は初恋の彼女と歩いた折戸の海を思い出していた。

  • ikutama
    ikutama

    胸に沁みる吉田松陰の「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」。読書をして様々な言葉に出会って嬉しくなるが、本物の苦しみと向き合ったとき、輝いていた言葉が雲のように消えている。
    最後は覚悟。疲れを癒し、原点に戻らせるのは自然。人生に彩りをくれる恋。

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    見城徹見城徹

    静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]第10回『社宅』(2019.3.11掲載)

    静岡県清水市吉川450。小糸製作所静岡工場の社宅の住所である。
    1950年12月29日、僕は見城正平、寿子の長男としてここで生まれた。以後、高校卒業までこの住所に暮らすことになる。
    2007年、NHK BSの「わたしが子どもだったころ」の僕の回の撮影で、中学、高校と過ごした社宅のアパートを訪れたことがある。奇跡的にアパートが残っていて小糸製作所の好意で入室が許可されたのだ。我が家だった部屋の小さな佇まいに胸を打たれた。暮らしていた当時は何の不自由さも感じなかったが40年経ってみるとその慎ましさに涙が溢れた。あの頃は一生を清水で終えるものだと思っていた。
    「9500万人のポピュラーリクエスト」という洋楽チャートのラジオ番組があった。3畳くらいの自分の部屋で必死にチューニングして聴いていた。プレスリー、ビートルズ、ベンチャーズ、ビーチボーイズ…。小遣いを貯めて清水銀座の「すみや」で彼らのレコードを買い求めた。
    高校1年の6月にビートルズが来日した。八方、手を尽くしたがチケットは手に入らなかった。テレビが映し出すコンサートを全身を目と耳にして聴いていた。坂本龍一、松任谷由実、尾崎豊、浜田省吾、YOSHIKI、福山雅治…。僕が錚々たる日本のミュージシャンたちと互角に付き合えて来たのはあの頃のお陰だと思っている。
    清水の小さな社宅でビートルズに夢中だった少年は、今、ほんのちょっと日本の音楽シーンに影響力を持っている。

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  • ikutama
    ikutama

    Beatlesの魅力を知ったのは大学生の頃。ポールの声、ジョンの生き様、ジョージの寡黙さ、リンゴの優しさ、Beatlesの音楽とそれぞれの人間性に魅了された。音楽は一足飛びに感情を連れていく。尾崎豊、浜田省吾、坂本龍一、音楽に励まされて生きてきた。見城さんのことを知るずっと前から見城さんの影響を受けてきた。
    不自由な環境が人間を鍛える。苦しみが輝きを生む。誰にでもチャンスはある。見城さんのエッセイを読み、今日も励まされました。

  • ikutama
    ikutama

    見城さん、拍手とリトークありがとうございます。755の皆様、拍手ありがとうございます。私にとって755は学舎です。ドキドキしながら755へ書き込みを始めて5ヶ月、新生活が始まったような新鮮な日々です。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]第11回『課外授業』(2019.3.18掲載)
    2001年2月18日NHK総合で僕の「課外授業 ようこそ先輩」が放送された。僕が通った清水市立有度第一小学校(当時)6年2組の生徒たちに2日間に渡って授業をし、それをまとめたものだ。幸いなことに評判は良く、3度も再放送され、その記録は1冊の本にもなって出版され版も重ねている。授業は悪戦苦闘の連続だった。
    「課外授業」というからには学校の通常の授業では教えてくれないことを生徒たちに教えたかった。これから人生を生き始める12歳の子供たちに人と人とが関係するとはどういうことかを「編集する作業」を通じて伝えたかった。
    母校は僕の小学校時代の建物の配置がそのまま残っていて、僕が1人遊びをしていた場所もそのまま在った。
    5、6年の頃は自らピエロを演じるいじめられっ子だった。いじめる側ばかりを信じる担任の先生にも嫌われていて、通信簿の「行動の記録」はCばかりだった。一刻も早く卒業したかった。まさかその小学校で6年生に授業をすることになるとは思ってもみなかった。仲良しこよしでいても本当の関係は始まらない。自分の気持ちをさらけ出して相手と批評し合った時、傷口は広がるし、返り血も浴びるし、涙も出るが関係は深まる。2日目の授業では、数人の生徒が感極まって泣き始めた。授業を終え、教室を出て帰ろうとする僕を全員が校庭まで追いかけて来て、僕も目頭が熱くなった。
    僕は68歳になった。
    30歳になる彼等は今、どんな人生を歩んでいるだろうか?

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    ikutama

    悪戦苦闘して本気で12歳の子供たちと向き合う。「課外授業 ようこそ先輩」を読み、いつも以上に繊細に、丁寧に対応する姿が目に浮かんだ。見城さんの真剣さが子供達を真剣にさせる。「本気」は伝播していく。
    あのバックグラウンドには、小学校での自身の辛い経験があった。傷つけ合ってでも、分かり合うまで向き合う。授業で本物の人間関係を体験した子供達。学校では教えてくれないことを個人の責任でやり切る。本物の覚悟を感じました。

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    見城徹見城徹

    静岡新聞夕刊、僕の連載コラム[窓辺]第12回『19のままさ』(2019.3.25掲載)


    最終回である。「初恋」の結末を書かねばならない。
    1年遅れて彼女も東京の大学に入学した。渋谷か新宿で待ち合わせ、映画を観、喫茶店で粘り、ささやかな食事をし、一緒にデモに参加した。アルバイトも常に一緒だった。
    しかし、僕が出版社に就職してから周りの景色が変わって来た。彼女は卒業したら清水に帰らなければならない。僕は東京で編集者を生業とする決意が固まっていた。お互いの気持ちに齟齬が生まれ始めた。
    そんな時、同期入社の女性と特別な関係になった。2人と同時進行はできない。僕は彼女に好きな女性が出来たことを正直に告白した。新宿駅ビルの2階の喫茶店に彼女は僕より遅れて入って来た。雨が降っていた。白のTシャツに薄緑のカーディガン。黄色のスカートと緑のレインコート。その時の彼女の服装を今でも僕ははっきりと覚えている。彼女は声を上げて泣き、僕は耐えられずに1人で先に店を出た。後で考えると人生で1番後悔する瞬間だった。若さとは愚かで残酷だ。僕は多分、生涯で最も純粋に愛した女性をその時に失った。
    1988年8月20日、僕は浜名湖で行われた浜田省吾の屋外コンサート会場にいた。夕闇の中に彼女もいた。凍りついたように一瞬目が合い、彼女は闇に紛れた。その瞬間、浜田省吾が「19のままさ」を歌い始めた。
    「いつまでも忘れない 今でも目をこうして閉じれば19のままさ
    でも僕等 もう二度と あの日のきらめきこの腕に取り戻せない」
    最後は清水で死にたいと思っている。初恋の浜のきらめきを僕は取り戻すことができるだろうか?

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    ikutama

    残酷な恋の結末。人生で1番後悔する瞬間。耐えられずに店を出たその瞬間。
    エッセイの最終回は恋の終わりの話。でもここからすべてが始まっている。純粋な恋を冷凍保存して、編集に命に命を懸けていく。自分が1番苦しかった部分を鮮明に覚え、語り続ける。
    「初恋の浜のきらめき」。想像を超える現実が訪れてほしいです。貴重なお話、ありがとうございました。