「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮)「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮) 「48グループメンバー、被災地へ」
SKE48 松村香織さん編
ジオラマが誕生した時から、今現在まで被災地である岩手県山田町に訪れ、ずっと町の全てを応援しているかおたん。
かおたんはどうして、被災地に来たのか、何があったのかを振り返ろう。
元々、かおたんは被災地訪問に呼ばれず、なかなか光の当たる場所にはいなかった。2011年の震災後にかおたんが書いたブログに被災地支援に対しての想いが記されている。
ジオラマが誕生した頃には様々な被災したこども達が居た、その中で悲惨な境遇の子が1人いて、ジオラマを作った最初のこども達はその子をみんなで守り抜こうとした
重いPTSDであり、オレが知った時には深刻な状態だった。その子をジオラマの子達が連れてきて、48グループから応援したいメンバーさんを選ぼう!みたいになり、その子は何の意識もなく、しょうがない感じで1人のメンバーさんの写真を指さした。
それが松村香織さんだった
SKEに詳しい子がかおたんこと松村さんの事を色々教えた、なかなか報われないメンバーさんだという事、正直で泣き虫だという事、そしてそろそろ歳がヤバい(当時はマジでかおたんの年齢ネタはこども達に禁止され、永遠の17歳が合言葉になるほど)こと、それはほめてないっしょ?という事までその子に教えた
その子は自分とかおたんの境遇が似ていると言って本当にかおたん推しになり、心から応援をした。
PTSDはヒドイ状況だった、当時はカウンセラーや医者の数も足りずに後手後手に回って、その子は発作に苦しみ、海辺に住みながら海が恐怖で見る事ができなかった
そんな子がかおたんを応援している事を、オレはワラにもすがる気持ちでSNSに書いた、それに全力で応えてくれたのがかおたんファンの皆さんだった。
かおたんファンの皆さんは、まだ不便だった被災地に何度も足を運んで復興支援までしてくれた、そしてその足で握手会に行き、かおたんに体験してきた事や見てきた事を伝えた。
かおたんを応援していたその子は、プライバシーを守るために「かおたんちゃん」と呼ばれみんなから愛され守られた。
ファンの人達は支配人さんにも訴えた、かおたんが行けば、救われる子がいる事を何度も運営さんに直訴した。
かおたんはPTSDに苦しみながら、自分を応援する子が被災地にいる事を知り
「負けないで。辛い時はわたしが側にいるとどうか信じて」
と、メッセージを送ってくれた。そしてかおたんファンの皆さんはずっと被災地である山田町に通って、観光支援をし続けた
かおたんに励まされた子も、カウンセラーの専門家が驚くほど回復の兆しを見せた。
それが約一年、続けられた。かおたんもかおたんファンの人達も、かおたんちゃんと呼ばれ愛されたその子も、頑張った
ある時、被災地訪問があった
現地に来た誰かの為にプロジェクトのスタッフさん達はジオラマのこども達に話が聞きたいと言った
「君たちは心から48グループの全てを応援している、だからこそ聞きたいんだ。今、君たちの元に来て嬉しいメンバーさんはだれだい?」
とスタッフさん達は真剣に聴いてきた。スタッフさんの中にはぱるるさんとかはどうかな?と勧める人もいたが、こども達はハッキリ言った
「SKE48の松村香織さんです」と
スタッフさんは最初、冗談かと思って笑ったが、こども達の眼差しに気づいて、真面目に話をきいてくれた
かおたんがずっと励ましてくれている事、かおたんファンの皆さんが何もない被災地にずっと通ってくれていること、そして1人の全てを失った現地の女の子がそれを支えに生きていること。
誰かのためにプロジェクトのリーダーである石原さんは全てを聞いて、こども達に一言語った
「約束しよう。松村香織を連れてくるよ」と
2013年9月14日
かおたんこと松村香織さん、山田町初訪問
被災地訪問として異例なSKE48の松村香織さんと松井玲奈さんがセンターを務めるカタチでの訪問だった。
誰かのためにプロジェクトスタッフさん達から、こども達を救ったかおたんとファンの方、こども達へのリスペクトの意味がそこにはあった
だが、かおたんを応援していたその子は町にはもういなかった。安静に過ごせる環境のある地へ、引っ越した後だった。
かおたんは手書きの手紙やチェキ、1コメダで使っていたマイクなど、かおたんちゃんに渡すお土産をいっぱい持ってきた。そしてその子がいない事を知ると悲しみ落ち込んだ。
オレやこども達はその子から託されたメッセージをかおたんに伝えた。
「被災地にはそうしたこども達がいっぱいいます。わたしはかおたんの道をファンとして作れて幸せです。だから他の子に大好きなかおたんの応援を託します。みんなを幸せにしてあげて下さい」
訪問ライブに集まった被災地のお客さんは2000人になった。今でも記録に残る訪問ライブだ
玲奈さんとかおたんはセンターを務め、かおたんの新曲マツムラブもここで2回目の披露となった
会いたかった子はいない。それでもかおたんのマツムラブは、被災地に響き渡り理由を知る人達はみんな涙を流した。
そして時は経ち、2016年9月
かおたんは山田町にプライベートで遊びに来た。あれ以降、かおたんは自分に道を作ってくれた「かおたんちゃん」との約束を守り、今でもこども達や町の人の良き理解者として何度も個人的な訪問を続けている。
かおたんは来るたびに聞いてくる
「かおたんちゃんは元気ですか?青森ですよね、会いたいなあー」
そんな呟きをしながら、かおたんは被災地で過ごすこどもの家に訪問をしてサプライズで誕生日を祝ったりしている
かおたんは今でこそ、被災地で愛された信頼された存在となったが、その道を作ったのは1人のかおたんちゃんと呼ばれた女の子と、夢を現実にしてやろうと被災地にいく理由をずっと通って被災地支援を続けたかおたんファンの皆さんのチカラがあったからこそだった
かおたんが被災地ではじめてのライブが終わった時、燃え尽きたかおたんに誰かのためにプロジェクトのスタッフさんが強く呼びかけた
「松村!わかっているな?今回はどんな意味があって、お前を呼んだか。だからな、この町とこども達はお前がしっかり、ずっとこの役目を果たさなきゃいけないからな」
かおたんは汗をかいたままで立ち上がり、笑顔で応えた
「はい!わかりました!」
あれから数年が経ち、被災地は変わったけど少し落ち着いたかおたんと、少し大人になったこども達は今でも笑顔の交流を続け、かおたんファンの皆さんも笑顔で町に観光で訪れている
この先も、ずっとずっと交流は続いていくだろう。
薩摩隼豚のトーク
トーク情報薩摩隼豚 薩摩隼豚 「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮)「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮) 「48グループメンバー、被災地へ」
AKB48 込山榛香さん編
かおたんが被災地のこどもに聞いた
「例えば、他のグループで大好きなメンバーはいるの?HKTでは?」
小学生の小さな子は笑顔で応える
「こみちゃん!」
オレとかおたんは同時にツッコむ
「こみちゃんはAKBだよ!笑」
と、被災地の小さな子にもこみちゃんは人気だ。それはどうしてだろう?
こみちゃんには被災地とこども達に人気がある理由も、愛される理由もある。それを振りかえってみよう
今から3年前の2013年10月19日、パシフィコ横浜の握手会でメンバーさん達向けにジオラマの第一感展示が行われた。
当時はまったくと言って良いほどジオラマは知名度はなく、知られていなかった。だからこそ、メンバーさん達に見てもらいたいと被災地のこども達の気持ちを汲んで、運営さんがジオラマ展示をしてくれたんだ。
このジオラマ展示で、こども達は後の交流に繋がる素晴らしい様々なメンバーさん達に出会った。
ジオラマを展示して程なく、数人のメンバーさん達が見学にやってきた
胸にはAKB研究生の名札をみんながつけていた。
その子達が楽しそうにジオラマを見学するので、どうぞ座ってのんびり見て下さいとオレは促した。
研究生の1人が丁寧にオレにお願いをしてきた「ここで、みんなでゴハン食べて休んでも良いですか?」その研究生こそ、今の向井地美音さんだった
つまり、そこに来た研究生達はAKB15期生いちごちゃんずのみんなだった
このいちごちゃんずとの出会いはこども達とジオラマに大きな影響を後に与えていく事になる素晴らしい出会いだった。
いちごちゃんずのみんなはジオラマを囲んでワイワイ話したり、ケータリングの食事を楽しくみんなで食べたりしながら、ジオラマを見学してくれた
その中でジオラマの側から離れず、実に7時間も展示を守り続けた研究生さんがいた。
こみちゃんこと、込山榛香さんがその人だ。こみちゃんはなーにゃと何やら楽しく語りながら、ジオラマを見て解説していた
途中で松井玲奈さんや大島優子さんが来ても、動じないどころか一緒にジオラマをみて「ここが良いポイントなんですよ〜」とか笑いあっていた。
何時間も経って、いちごちゃんずのみんなは撮影で呼ばれて、やがて1人ずつ帰って行った
その中でこみちゃんとなーにゃが残り、なーにゃが撮影で呼ばれて最後はこみちゃんだけが残った。
オレはこみちゃんに何時間も見守ってくれるのはありがたいが、大丈夫なのかいと聞いた、するとこみちゃんはめっちゃ笑顔で
「大丈夫です!わたしはこの後もお仕事がありますから、ここにいた方が都合が良いんです!」
と応えてずっとジオラマの側にいた。
やがて握手会も終わりの時間が来た。こみちゃんはずっとジオラマを見ていた。
そんなにジオラマが好きなのかと聞くと、こみちゃんはジオラマを指さして語り始めた
「ここにいるのは家族で、この子の親がこの人形。こっちは結婚式の花嫁さんで、ここにいるのがお父さん」
驚いた。ジオラマにはある秘密があった。それは被災して未来を迎えることが出来なかった家族の為に、こども達がジオラマの中で永遠に過ごそうと思いを込め置いた人形だった
あれだけのジオラマの中から、こみちゃんはこども達が隠して配置した被災の悲しいメッセージを読み取っていたんだ。
そしてこみちゃんは笑って言った
「作っているのは、あなたですね。ジオラマから同じ匂いがするんです。わたしにはわかるんです」と
こみちゃんは何時間もジオラマを守って、当時誰も知らなかったジオラマの秘密を次々と見破った
ジオラマに隠されたこども達の被災した人のメッセージを見つけたんだ。
オレは感心しながらこみちゃんに言った、きっとこども達は喜ぶだろう、隠されたメッセージを見つけた事を。そしてこども達はこみちゃんを応援するだろうと。
こみちゃんは
「こども達に会いたい。全然有名じゃないけど、これを作ってくれたこども達に、わたしは1番近い距離で話を聞いてあげたいです」
屈託無く笑顔でジオラマを見ながら語るこみちゃんに、オレは強い未来を感じた。必ずこの子は、AKBの中で上がってくる。そう感じた
オレはこみちゃんにお礼を言って、こども達に必ず伝える事を約束した。
こみちゃんは真っ直ぐに見て、こう応えた
「いつか必ず。自分のチカラでみんなに選ばれて、こども達に会いに行きます。約束します。こども達に待っていて下さいと伝えて下さい」
そこからオレはこども達の感謝の伝言役でこみちゃんの握手に通った
最初は誰も並んでいなかったレーンが、やがて2列、3列とお客さんが増えて行った。こみちゃんは努力をした、例え誰に何を言われようとファンやこども達に、自分を支える人達に応え続けた
応援するこども達にぐぐたすでメッセージを送ったり、新しいジオラマ作品が完成すると自分のように喜んでくれた。
そしてジオラマとこみちゃんが出会ってから2年の月日が流れた
2015年5月24日被災地訪問
こみちゃんこと込山榛香さんは訪問のメンバーの1人としてやってきた。
ジオラマにとって、こみちゃんといちごちゃんずのメンバーさん達は人気のメンバーさんだった。
この日、ジオラマのこども達が最も信頼するメンバーさんが訪問するという事で岩手のテレビ局が取材にくる程、こみちゃんの話はこども達の中で有名だったんだ。
こみちゃんは訪問した中で、一度も悲しい顔や悲しみに同調した姿を見せなかった。全て笑顔で応えた
そして慰霊の意味を込めた場所で、被災したこどもの代表が訪問したメンバーさん達の前で震災の体験を語り、感謝のメッセージを披露した。
こみちゃんはメンバーが並ぶ列から自発的に前に進んで、メッセージを読むこどもにめっちゃ近づいてそれを聞いた
「これを作ってくれたこども達に、わたしは1番近い距離で話を聞いてあげたいです」
2年前の約束だ。
こみちゃんは忘れてはいなかった
約束を果たしにこども達に会いに来たのだと、オレは気づいた。
写真のこみちゃんは、その時の瞬間ものだ。
悲しみに同調するのではなく、笑顔でこども達の話と想いを受け止めたこみちゃんは、こども達の全てを受け止める立派なAKB48のメンバーさんになっていた。
こみちゃんはこれ以降も訪問をして、その度に笑顔いっぱい、元気いっぱいの姿で被災地の人やこども達に元気を届け続けている。
その可愛らしさとパフォーマンスと笑顔は、小学生にも人気になるほど今は知れ渡っているんだ。
こみちゃんはこども達に約束をする前に、おそらくあのジオラマ展示の時に自分自身に約束をしたのだと思う。
自らAKB48のメンバーとして、みんなに選ばれていく事、その姿を見せて約束を果たす事がこども達に勇気を届ける最良の方法だと決めていたんだろうと思う。
約束を守り、こみちゃんは自分の決めた物語を完成させ、こども達や町の人達にずっと愛されていく事になったんだ。
ジオラマには各グループで決まった区画があるが、こみちゃんのジオラマ作品といちごちゃんずのジオラマ作品はAKB区画の中には無い
それはこども達にとって、チカラになってくれたいちごちゃんずと、こみちゃんが特別に愛されている事を示しているんだ。
最後に。
最初のジオラマ展示の時にずっと見守ってくれたこみちゃんが言ったこと。わたしはこの後も仕事があるから大丈夫です。は、実はウソだ。
こみちゃんは心配をかけまいとして、ジオラマの場所に居続けるために小さな可愛らしいウソをついたのだった。
こんなエピソードも、こども達や町の人達に好かれる理由な一つとして今も伝わっているんだ。薩摩隼豚 「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮)「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮) 「48グループメンバー、被災地へ」
AKB48 後藤萌咲さん編
「キバさん、なんでそこでなにも言わなかったんですか?」
こども達に叱られた、もう何回目か。沿岸復興のとあるこどもに関する会議で、オレは発言しなかった。
大人達が知ったような顔をして、会ったこともないこども達について、わけ知り顔で語り合う事、オレはそれが嫌だった。
それを聞いてこども達がオレに叱りつける。チャンスがあるなら、その機会があるなら、成功率は低くてもキバさんが前に出て進んで環境を変える努力をしなければダメだよと。
自分が嫌なら、好きになるように変えていかないと嫌なものは嫌いに、嫌いなモノがホントに敵になっちゃうよ、と。こども達のお叱りにオレは平身低頭する、いつもの事だ。
こども達が言う
「毎日感謝の気持ちですよ、もえちゃんですよ」
オレは頭を掻いて、反省しつつもこども達の言葉にある事を思い出す。
2015年7月22日 被災地訪問の日
「そうですか。それは良かった」
オレの報告に誰かのためにプロジェクトの被災地訪問リーダーの石原さんはうなづきながら笑って言った
話はその少し前に遡る。
オレはこども達と仙台に集合した。
AKBの全国握手会に参加して日頃のお礼をメンバーさんに伝える為、そしてこども為の引率役としてだ。
お世話になっているメンバーさんはとても多い、こども達と手分けして誰がどのメンバーさんにお礼を伝えにいくかを打ち合わせする。
しかし、せっかくメンバーさんに会える機会にこども達は有頂天。お礼を伝えにいかせるという事が少し可哀想になってしまう。
結局、オレとジオラマのリーダーの女の子が一緒に並んでメンバーさん達にジオラマや訪問のお礼を言いに行くパターンになる。いつもの事だ。
お世話になったメンバーさんはちゃんとこども達の事を覚えていてくれて、こどもがお礼を言うと
「よく来たね!少し背が伸びたね!」
とか
「どれだけ長い付き合いだと思ってるの?親戚のおばちゃんみたいに思っていいからね!笑」
とか、励ますだけじゃなく、僅かな時間の中でこども達にこどもらしく笑ってもらって、良い思い出を作ろうとしてくれるメンバーさん達にいつも頭が下がるんだ。
そしてこみちゃんこと込山榛香さんがいるレーンに並ぶ。メンバーさん複数と握手ができる全握はこども達にとって、とても楽しいものだ。
こどもとこみちゃんが楽しく話す、こみちゃんは研究生の頃からこども達とジオラマに尽くしてくれたメンバーさんで、こども達が並ぶとめいっぱい喜んでいつも良い思い出を持たせてくれるんだ。
オレはこども達が喜ぶ顔を見て、良かったなあと安堵しながらこども達の後を追ってメンバーさん達にお礼を伝えていく。
そこでこみちゃんの横にいた、1人のメンバーさんがこどもとオレに語りかけた。
「キバさんとこども達ですね!わたし、訪問に行きたいんです。わたしにはちゃんと理由があって・・何かチカラになりたいんです!どうしたらいいですか?!」
そのメンバーさんは真っ直ぐに目を見て、ハキハキと、真剣とオレとこどもに伝えてきた。
そのメンバーさんこそ、後にこども達に尊敬され、感謝状を渡される事になる人
もえちゃんこと、後藤萌咲さんだった。
もえちゃんとの握手は一瞬で終わった。AKB全握の複数メンバーレーンは本当に一瞬だ。もえちゃんが喋って終わった。しかも握手券は使いきってもうない。
もえちゃんの事どうしよう。と、こども達は集まって相談をした。
オレはうーむ、と悩む。オレもこども達も、もうしばらくは握手に参加する予定はなかった・・
あれだよ、まあなにか考えておくのさ!と、言うオレにこどもは怒った
「あんなに強く言うなんて、きっともえちゃんには何か理由があるんですよ、だから勇気を出してわたしやキバさんに言ってくれたんですよ!ちゃんと考えて下さい!」
オレは「ヒィッ!」となる。女の子のマジ怒りは本当に怖い。静かな迫力がヤバいのさ・・
それから、こども達はもえちゃんの公演のオンデマを見たり、もえちゃんに何の理由があるのか、なぜもえちゃんが勇気を出したのか、いっぱい見て勉強した。
もえちゃんを好きになればきっとその理由がわかるハズだと。
オレはオンデマを何回も見た。
もえちゃんは一生懸命だ、そして一生懸命さが先に出て他のメンバーさんにチクッと言われる事もあった。
こども達にオレは言った。きっともえちゃんはそう言うタイプなんだよ、思わずお前達こどもを見て、言っちゃったんじゃないかな、と。
こども達はオレに「キバさんは本当に大切なことが見えてない、やっぱり鬼だ」と叱りとばし更にこう言った
「きっと、もえちゃんは震災に何か関係があるんだよ。私たちの知らない何か、誰かを元気づけたいとか、絶対にそうだと思う」
こども達はそう強くオレに言った。
そしてオレに用心棒として、もえちゃんが訪問に来れるようにチカラになってあげて欲しいと。
そしてもえちゃんがその足で被災地に訪問したら、自分のために頑張る事はいつか誰かを守れるという事、それをもえちゃんに伝えて欲しいと、勇気を出して歩み寄ってくれたもえちゃんにはその資格がある事を伝えて欲しいと頼まれたんだ。
正直、オレは訪問するメンバーさんを決める位置にもいないし、そんなチカラはない。それはこども達にもわかっている事だ。
それでもこども達は、自分達に心を開いてくれたもえちゃんに道を作ってあげたかったのだと思う。
オレは迷った末に、誰かのためにプロジェクトのリーダーを務める石原さんに相談がある事を伝えた。
そして近いうちに、直接に会って話をしようという事になったんだ。
そして話は冒頭に戻る。
石原さんがうなづきながら、オレの報告に笑って応える
「そうか、後藤萌咲はそうキバさんとこども達に言いましたか」
そうなんですと報告するオレの話にうんうんと石原さんは笑う
「そうですか。それは良かった」
オレは「?」となる。なにが良いと言うのかと聞こうとするオレに石原さんは穏やかに語った
「後藤の親族は、岩手県に縁がありましてね。あの時の震災で被災しているんです」
それを聞いた瞬間、こども達の必死に言っていた言葉がオレの頭をよぎった
『きっと、もえちゃんは震災に何か関係があるんだよ。私たちの知らない何か、誰かを元気づけたいとか、絶対にそうだと思う』
驚くオレに石原さんは更に語る
「キバさんや被災地のこども達が望むなら、こども達が喜ぶなら。後藤は来て良かったんですよ」
まさか、と言うオレに石原さんが言う
「だから良かったんです。今日、この場所に。後藤萌咲を訪問に連れてくる事ができて」
もえちゃんはあの握手会があった後に、石原さん達に勇気を出してお願いをした。
自分の親族が被災している事、そして自分を被災地訪問に連れて行って欲しい事、そのために自分はできる以上の事をして、必ず誰かのチカラになると約束する事を。
「自分から連れて行って下さいと後藤は必死に言ってきましてね、それを聞いて嬉しかったですよ」
石原さんは嬉しそうに笑った。
オレにはそれが何故か、こども達の笑顔に重なるように見えた
話しをするウチに、オレと石原さんはある事に気づいた。
その日に訪問した場所は岩手県大槌町。誰かのためにプロジェクト第一回の訪問場所への再来、最初の訪問でセンターを務めたのは大島優子さんだ。
同じ場所の訪問に、優子さんがドラフトで指名したもえちゃんが被災地の初訪問でやって来る。
これは偶然にしては出来すぎているな、とオレと石原さんは笑って話した。そして石原さんは言った
「今日はね、後藤がセンターで歌うんですよ。その姿をこども達と見てあげて下さい」
もえちゃんは緊張していた、MCでど忘れしたり、曲名を間違ったり。それでも下がらず、前に出て一生懸命にやれる事を全てやった
そして澄み渡る青空の下で「掌が語ること」をセンターで歌った。
この記事に添付されている画像は、その時のものだ。
もえちゃんは汗だくになった、全力だった。そして全力のまま笑顔で被災地の人に語りかけ、歌い、触れあって、自分が闘うべき場所に帰って行った。
このもえちゃんの話は、被災地でこども達から大人に伝わった。
そしてオレはこども達に涙ぐみながら報告して言われた。
「だから言ったじゃないですか、もえちゃんが自分から前に出るときは、絶対に誰かのために何かをしたいってサインなんですよ」
そして、次の年
2016年3月11日 被災地支援コンサートが開催された。
この舞台裏で被災地訪問で出会ったこども達からAKB48さんに感謝状が贈られた。
こども達が感謝状を渡したいメンバーさんに、もえちゃんは選ばれた。
ここでようやく、こども達は頑張ったもえちゃんに心からのありがとうを伝える事ができたんだ。
もえちゃんは笑って。
そして泣いた。
誰に笑われようと、後ろ指をさされようと、自分から一歩を踏み出し、未来と環境を変える勇気と姿勢をもえちゃんはこども達に伝えた。
何故もえちゃんはそんなことをするのか。
それは誰かのために自分はそこにいて、誰かはもえちゃんの夢のために一生懸命頑張っている事を知っているからだ。
誰かが居て、感謝する事をもえちゃんは当たり前にはしない
そしてもえちゃんは今日もみんなやこども達に語りかけ教えてくれる
『いつまでも初心を忘れずに明日も頑張りましょうっ!』薩摩隼豚 削除されたユーザー削除されたユーザー 11月20日(日)「指原莉乃ディナーショー」@グランドプリンスホテル新高輪 飛天の間
<昼の部セットリスト>
M01 サン・トワ・マミー(越路吹雪)
M02 ダンシング・ヒーロー(荻野目洋子)
M03 淋しい熱帯魚(Wink)
M04 DESIREー情熱ー(中森明菜)
M05 LOVEマシーン(モーニング娘。)
M06 夜明けのMEW(小泉今日子)M07 赤いスイートピー(松田聖子)
M08 世界でいちばん熱い夏(PRINCESS PRINCESS)
M09 世界中の誰よりきっと(中山美穂&WANDS)
M10 私がオバさんになっても(森高千里)
M11 今すぐKiss Me(LINDBERG)
M12 六本木心中(アン・ルイス)
M13 あゝ無情(アン・ルイス)
M14 少年時代(井上陽水)
EN1 前前前世(RADWIMPS)
EN2 ヒロイン(back number)
EN3 SOMEDAY(佐野元春)
<夜の部セットリスト>
M01 マイウェイ(フランク・シナトラ)
M02 ダンシング・ヒーロー(荻野目洋子)
M03 淋しい熱帯魚(Wink)
M04 DESIREー情熱ー(中森明菜)
M05 LOVE マシーン(モーニング娘。)
M06 夜明けのMEW(小泉今日子)
M07 赤いスイートピー(松田聖子)
M08 秋桜(山口百恵)
※ギター:後藤輝基(フットボールアワー)
MC 後藤輝基1人喋り(指原莉乃着替え)
M09 津軽海峡・冬景色(石川さゆり)
M10 つぐない(テレサ・テン)
M11 人生いろいろ(島倉千代子)
M12 悲しみがとまらない(杏里)
M13 真夏の夜の夢(松任谷由実)
M14 少年時代(井上陽水)
EN1 前前前世(RADWIMPS)
EN2 ヒロイン(back number)
EN3 愛の讃歌(エディット・ピアフ)
http://www.nikkansports.com/m/entertainment/akb48/news/1740997_m.html?mode=all- 薩摩隼豚
薩摩隼豚 川原泉の6年ぶりの新刊&愛蔵版「笑う大天使」の同時発売が決定 川原泉の6年ぶりの新刊&愛蔵版「笑う大天使」の同時発売が決定 http://natalie.mu/comic/news/233183