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絶望しきって死ぬために
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  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    ↑見城さんご投稿いただき有難うございます。
    海外にいるため、どうにかこの放送を拝見できないものかと方法を模索しておりました。

    今を生きる横田慎太郎さんとして、北條選手も生きられている。
    今も横田慎太郎さんのことを思い出して涙する北條選手の姿に、お2人とお2人のご関係性の奇跡を感じました。

    生という死。死という生。

    脚が痛いというだけで、明日の試合に対して弱気になっている自分が情けない。
    今を生きる横田慎太郎として、やれることは全てやったか?明日の試合までに全てをやり尽くせるか?

    今日の生はもしかしたら他の人にとっては当たり前じゃないかもしれない。
    やるしかない。今日も残り半日。生き切る。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    見城さんが麻布十番の会員制鮨店[乃南]で今夜飲まれたワイン

    左から

    エグリ・ウーリエ ミレジメ 2008(デゴルジュマン 2020)

    ラヴノー シャブリ プルミエ・クリュ ヴァイヨン 2019

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる
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    復帰してからと言うもの、スケジュール的には毎日同じような日々を過ごしている。

    しかし、同じ日は一切無いと感じている。

    朝起きて一日の予定と755を確認し、ストレッチ、体幹、軽い筋トレのルーティーンを行う。
    少し仕事をしてから午前の練習に向かい、食事を済ませてまた少し仕事をして午後のジムへと向かう。
    そこからは人に会うか、また少し仕事をしてから風呂に入ってストレッチとケアをし、翌日の予定と755を確認して電気を消す。
    目をつぶってからは練習中のミスや試合への憂鬱と緊張、会った人への発言が不安になり、気づくと外が明るくなっていることもある。

    試合日以外は大体この流れなのだが、こんな同じような一日一日が儚く尊い。
    こう感じることができているのも、見城さんや755の皆様に一日一日を生きる大切さを教えてもらったからだ。

    サッカーにおいては、身体の感覚が毎日違うので、基礎的な部分は毎日やりつつ微妙に毎日違うことをする。
    日々の生活でも毎日違いを感じる。
    毎日歩く同じ道も、微妙に匂いや景色が変わる。
    道にある広告などの変化にも気づく。
    すれ違う人達は当然違う。

    すれ違う人達がこれから何をしに行くのか、何かの帰りなのか、もう一生会うことがない可能性が高い人達の内側が気になって仕方がなくなる。

    そんな人達の一生の中のたった一日。しかしされど一日。
    遠く離れた日本からやって来て、その人達とすれ違っている。
    その奇跡に一人で感動して今日を生ききることを再確認する。

    気づくとまだまだ死への寂しさと恐怖に襲われる。
    同じような一日一日に愛を感じつつも、もっと熱狂して動いて考え、考えて動かなければいけないと感じる。

    今日ももう少し生ききる。

    ※写真はブラジル人のチームメイトと同棲する家の、僕の唯一のパーソナルスペースです

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    見城さんが銀座[鮨 あらい]10周年記念食事会で飲まれたワイン

    左から

    ドーヴネ ピュリニー・モンラッシェ レ・ザンセニエール ??

    ドーヴネ ピュリニー・モンラッシェ レ・フォラティエール ??

    DRC モンラッシェ 2017

    10周年記念食事会という素晴らしい場に、素晴らしい皆様と素晴らしいワイン。

    素敵な集合写真から、つい推察してしまいました。
    未熟な自意識をお許しください。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる
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    このことは記憶に残しておきたい。
    現地の経営者の方にお招きいただき、北朝鮮国営のレストランに伺ってきた。

    この国は北朝鮮と国交を結んでいるので、このレストランが存在している。

    僕の地元には拉致被害者が多く、幼少期から嫌と言うほど北朝鮮について話を聞いてきた。

    どんな感じに接していただけるのか楽しみにしていたが、そこには途轍もない感動が存在した。

    料理は今まで食べた朝鮮系の料理で1番美味しく、喜び組のような方についていただいて完璧すぎるサービスを受けた。

    また、30分ほどのショーまで特別に観せていただけた。

    僕は以前に韓国人チームメイトから学んだ挨拶などでコミュニケーションをはかり、少しお話をさせていただいた。
    肝心なお話に関しては言及をしてもらうことができなかったが、言葉やさまざまな問題を飛び越えて行われるコミュニケーションが、僕には心地良かった。

    きっと彼女たちは幸せである。
    ある種の宗教の如く、そこに彼女達の自我というものは存在していないように感じた。

    素敵なおもてなしに、思わず惚れそうになった。
    連絡先を聞いたが、本当に携帯を持っていないらしい。
    僕は以前に見城さんに755で紹介していただいた[チルソクの夏]を思い出した。

    背徳の先の恋愛こそ美しく熱い。

    僕にはその覚悟も魅力もなく、きっと進展はない。
    もし彼女達が、重く背負う母国の家族の事情などを飛び越えて恋愛をするようなことがあれば、そこには本物の美しさと熱狂があるはずだ。

    ショーで魅せてくれた笑顔は、誰が見てもわかるような作り物の笑顔。
    接客をしている時に見せてくれた笑顔は本物の笑顔だと信じたい。

    とにかく、幸せについて考えさせられる時間だった。