死ぬために生きる死ぬために生きる チーム合流(渡航)まで2週間ほど。
思い残すことなく死ぬために
トーク情報- 死ぬために生きる
死ぬために生きる 『男の粋な生き方』
男として人としてのカッコ良さとはなんたるか、本当の「粋」とはどう言うものかを、この本を読むことで教えていただいた。
現代の若者は、格好つけることを「イキってる」などと言い、「粋」と言う言葉を無駄に多く使ってはいるが、そこに言葉の重みはない。
僕も含めて現代の若者は、どこか甘く、危機感なくただ共同体の一部として生きている人が多いのだと思う。
石原慎太郎さんの言葉はとても強い。
しかしその強さの裏には、確かな愛や優しさを感じる。
ご本人が実際に体験し、思考し、獲得してきた言葉だからこそ、その人となりや心の内側が真っ直ぐあらわれているのではないかと思う。
そして、本当に言葉が美しい。
日本人で良かったとさえ思わされる。
全章、全エピソード、全文字素晴らしいので、どこかを抜粋するなど大変恐縮だが、あえて選ぶとするならば、P248[第十八章・君の哲学は]に登場するこの文章だ。
(以下抜粋)
「大事なことは先達のこうした表現に啓発されて君が君の哲学をすることだ。つまり自分自身の存在とは一体どういうことなんだ、自分とは一体どういうものなんだと考えることが人生の弾みになるのだ」
この文章を読んだ時、僕は『読書という荒野』のP220の見城さんのお言葉、「読書とは自己検証、自己嫌悪、自己否定を経て、究極の自己肯定へと至る、究極の武器なのである」を思い出した。
本質的な部分は同じなのではないかと思う。
どんなに何かから刺激を得ようと、知識を得ようと、素敵な方から言葉をもらおうと、何を貰おうと、結局は僕の中にしか答えはないのだ。
人生を好転させるのも、転落させるのも、僕自身なのだ。
圧倒的努力を、僕がするしかないのだ。
そして、374ページ、全体で二十八章からなるこの本の最終章の名前は、『勝者には何もやるな』。
最高に痺れる、美しい、粋な終わり方だ。
他に読もうと思っていた本があったのだが、見城さんが755で石原慎太郎さんのお名前を出されていたので、いてもたってもいられずに読み始めてしまった。
僕は何者でもない。
たいそうなことは言えない。
結局は個体の掟で自分自身の人生を生きていかなければいけない。
しかし、石原慎太郎さんのようなカッコ良い粋な男になりたいと強く感じた。
むしろこんな男や人がいなければ、世界は、日本はダメになってしまうのではないかとも感じた。
また一冊僕の人生のバイブルが増えた。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる 先日は母の誕生日だったので、[鮨大越]でお寿司をいただき、ワインも楽しんだ。
親方さんが丹精込めて握るお寿司も、故郷のワインも、クラウディ・ベイも、僕にとっては贅沢極まりないものだ。
何者でもない僕が素敵な食事やワインをいただいたわけだが、つくづく僕は自分自身に甘い人間だなあと思い知らされる。
特に今は復帰前で身体を作らなければいけない時期なので、本来であれば自分のルールの中では御法度だ。
しかし、母の誕生日となれば話は別だ。
話すと長くなるが、父はつい最近も警察沙汰を起こしたような人間だ。
だから僕は、幼少期から自然と母を頼りにし、母だけは裏切らない、悲しませてはいけないと思い生きてきた。
母は、父のことや様々なネガティブなことを自分の人生だと受け入れ、その上で働きに働いて、姉と僕を育て上げてくれた。
60歳になった今でも、次の日の明け方まで仕事をして帰ってくることがある。
地震があった際などは、自らが園長を務める子ども園が海沿いにあるからと、園児や職員を心配して地震直後に向かっていくこともあった。
身体や命は大事にして欲しいと思いながら、それでこそ僕が尊敬してやまない母の姿だと感心させられる。
僕が1年半ぶりにサッカー選手復帰を決めたのは、圧倒的努力を骨身に染み込ませるため、絶望しきって引退するためなのだが、心の片隅に、母にちゃんとしたスタジアムでの試合を観に来て欲しいと言う気持ちがあるからだ。
お互いいつ死んでも良いように、感謝は伝えるようにしているが、願わくばその試合を観てもらえるまでは健康でいて欲しいと思う。
つまるところ、僕は母離れできていないのかもしれない。
母との会話に花が咲き、昨日はいつもより少し多くワインをいただいてしまったので、今週のトレーニングは立てていたトレーニングプランよりもハードに行う。
母よ、誕生日おめでとう。
そしてありがとう。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる 『すんどめ~網膜色素変性症と生きる~』
勉強になる動画、タメになる動画は数あれど、初めから終わりまで熱を持ち続けて観た動画は久しぶりかも知れない。
ストーリーは、6歳で網膜色素変性症と診断された石川凌久さんが、全日本マスボクシング選手権大会で優勝するまでのドキュメンタリーだ。
同じく網膜色素変性症を患い、凌久さんが2歳の時に全盲になった、母智美さんとの絆や愛。
目の問題を言い訳にせず、自分の人生を受け入れた上で努力を続ける姿。
毎日甘えたことを言っている自分が情けなくなった。
凌久さんがマスボクシングを選んだ理由は、体力作りと、ボクシングだとパンチが当たり失明する可能性があるため。
マスボクシングでも互いの間合いやタイミングが噛み合わなければ、不意にパンチが当たってしまうこともある。
男らしいとしか言いようがない。凄く心を揺さぶられた。
ストーリーや凌久さんに心を揺さぶられたと言うのが1番だが、ボクシング部の施設が、僕が通っていた高校のトレーニング施設に似ていたと言うのも、心を揺さぶられた理由の1つだ。
とことん甘い高校時代を過ごした思い出が、強烈に甦った。
まだあの時の自分を肯定できない。一生できないかも知れない。
情けないし思い出すと母などへの申し訳なさから泣きそうなるが、今をやるしかない。生ききるしかない。
今が1番若い。
今日もやる。やりきる。