見城徹見城徹 ↑ 劇的に人生が変わるのは40歳からだ。少なくとも僕の場合はそうだった。30代で直木賞受賞作品を5つ出した。[月刊カドカワ]の編集長を引き受けて、部数を30倍にした。書き出せばキリがないほどの結果を叩き出して来たが、本当に人生が充実したのは40歳からだった。42歳でKADOKAWAの取締役を辞して幻冬舎を設立した。そこからだ。僕の第2の人生が始まったのは。それまでは準備期間に過ぎなかったことを実感することになる。
ゼロからの出発。暗闇の中のジャンプ。圧倒的努力。正面突破。たった一人の熱狂。岩が割れた。山が動いた。
30代は何をしていてもいいと思う。40代で全てをゼロに戻す覚悟さえあればそれでいい。疾風怒濤の30代を経てゼロに戻せるか?31歳はまだまだ若い。30代で無茶をやれ。無理を通せ。がむしゃらに生きろ。生きてさえいれば勝負の40代が来る。
ゼロから始める。人生はそこからだよ。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹 見城徹見城徹 2019年の8月20日から24日、シカゴ・カブスのダルビッシュを訪ねた。毎日、一緒にご飯を食べ、リグレーフィールドでダルビッシュが投げてくれる球を打った。ダルビッシュ先発試合を最前列で観戦、ピッチャーマウンドとあまりに近い距離に興奮した。シカゴの街並みは想像以上に美しく、気候も空気が澄んでいて快適だった。摩天楼とミシガン湖と有名な建築物とアートと街路樹の緑が絶妙なシンフォニーで響き合っている。料理も美味しく、ダルビッシュの配慮は完璧だった。当時はオンタイムで755に写真もアップした筈だが、もう7年も前のことなのか?夏の終わりになるとあの時のシカゴの満たされた時間を思い出す。誰にも奪うことの出来ない幸福の記憶。ミシガン湖畔を散歩しながら、ぶらりと入ったカフェで飲んだフレッシュ・トマトジュース。飲んでいるその時の写真を僕はずっと755の自分のトークのアイコンに使っている。二度と戻って来ない幸せの時間を噛み締めながら死へと向かう一方通行の日々を生きる。今日もあのトマトジュースのビター・スウィートな人生の味を思い出しながら。
見城徹 見城徹見城徹 僕が生まれたのは静岡県清水市。現在の静岡県静岡市清水区だ。そこで高校3年まで育った。
慶應大学に進学して神奈川県横浜市港北区に下宿した。大学2年の夏、父の転勤で実家が神奈川県相模原市に移って来た。そこから大学に通った。小田急相模原駅から小田急線で登戸まで行って南武線に乗り換え、武蔵小杉で東横線にまた乗り換える。日吉まで時間がかかった。
大学3年、4年は小田急線で新宿まで出て、山手線で田町まで行った。これも時間がかかった。
1年遅れで清水から出て来た初恋の彼女が中目黒の女子寮に住んでいたので僕の[私鉄沿線]は東横線の中目黒だ。思い出が一杯ある。その後、彼女は高円寺のアパートに移った。時々、今も高円寺に行くが街を歩くと切なくなる。
卒業して彼女は清水に帰り、僕は東京の出版社に就職した。僕もいつかは清水に帰る。彼女との初めてのデートで歩いたあの折戸の浜で誓った想いが蘇る。僕は清水で生まれ、清水で育ち、最後は清水で逝く。それが真っ当だと思っている。
