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見城徹のトーク
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  • 見城徹
    見城徹見城徹
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    静岡市と焼津市のシェフたちと。皆さん[サスエ前田魚店]から仕入れる。僕の左は[成生]の志村剛生氏、その左[なかむら]中村友紀氏、右は[温石]杉山乃互氏、その右[サスエ前田魚店]前田尚毅氏。[シンプルズ]井上靖彦氏、[馳走]の西健一氏、[FUJI]の藤岡雅貴氏もいます。静岡市、焼津市の名店、大集合。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ↑ 左端・シャンパーニュのコレの輸入販売を手掛けるTraders Market田中聖信社長。右端はゴ・エ・ミヨ ・ジャポン代表も務めるおのでらグループ小野寺裕司代表。

  • 見城徹
    見城徹見城徹
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    [ゴ・エ・ミヨ2025]のページからは日本各地のテロワールが匂い出ています。命と大地の恵みは生産者、流通業者、仲卸し、料理人、サービスマンのありったけの叡智が注ぎ込まれて客の前に一品の料理として出現します。その全体を評価するのは[ゴ・エ・ミヨ]だけです。僕の故郷・静岡市と焼津市の名店の料理人たちと、彼等に魚を供する「サスエ前田魚店」の前田尚毅、そして、僕が並んだ写真は僕の宝物となりました。今度、彼等の店を1週間ぐらいかけて食べ歩きたい。
    料理は人生です。作る側の人生と食べる側の人生の交錯。映画「グランメゾン・パリ」はそれを完璧に描いていて感動的でした。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    ↑見城さんが[ゴ・エ・ミヨ]をご紹介されている文章に感動しました。

    命と大地の恵みが料理としてお客様の前に現れるまで、様々な人の思考や努力が注ぎ込まれる。

    そしてそこに、地域性を意味するテロワールの重要性も匂い出している。

    僕はまだまだ、お値段も素敵なお店に頻繁に通うことはできていませんが、料理とは、料理を提供してくれるお店とは、これに尽きるのだと思わされました。

    ワインを勉強し出してから、僕のお気に入りの言葉であるテロワール。

    地元のワイナリーの方に、「ぶどうほど土地の個性を反映しやすい植物はないので、私達らしいワインを追求することを重要視している」と教えていただいて以来、テロワールの重要性を様々な場所で考えるようになりました。

    どんな物やどんな場所にもこの考え方が必要だと感じています。
    更に言うと、個人にも言えることなのではないかとも思います。

    僕が持っている幾許の特徴や強みを活かし、やるべきことを細部まで考え、圧倒的努力をして価値あるものにしていく。結果を出していく。

    それに尽きるのだと思います。
    しかしそれが一番難しいです。

    今夜も眠りにつけるかは分かりませんが、明日も死ぬために生きていることを強烈に自覚し、やれることをやるのみです。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年9月19日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2022年7月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    [リスクを怖れて曖昧なものを幾つも残してしまった]と書いた。それも事実ではある。しかし本当はニセの優しさで現実逃避をしただけなのだ。
    自分の本音は当たり前だが自分が一番よく知っている。本音のために自分を通せるか?否か?
    極端こそ我が命。当たって砕けてもそれで良し!

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕は「極端こそ我が命」が信条である。
    本にも書いたし、テレビやラジオでも言って来た。LINEのスタンプにもなっている。つまりは、中間=ミドルは避けろ。両極のどちらかに振り切れと言うことだ。極端をやればリスクはあるが結果は鮮やかに出る。反田恭平の「終止符のない人生」を前にして、自分はそうやれたか?問うてみる。
    確かに仕事は極端に振り切って来た。迷った時は前へ出た。困難な方に、困難な方に舵を切った。
    極端をやれば批判もされる。批判上等!と肚を決めた。自分で言うのも憚れるが幻冬舎は30年、奇跡の道を歩んで来たと思う。
    しかし、自分の人生はどうだったか?極端に振り切れたか?答えはNoである。リスクを怖れて曖昧なものを幾つも残してしまった。決断しなかったツケが今、押し寄せて来ている。今からでも遅くはない。人生を危険に晒せ!と呟いてみる。
    要は臆病なのだ。行け。行くしかない。茨の道を歩くんだよ。人生に終止符を打つその瞬間。その日のために震える脚で一歩を踏み出す。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    [ちいさな群への挨拶] 吉本隆明

    あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
    冬の背中からぼくをこごえさせるから
    冬の真むかうへでてゆくために
    ぼくはちいさな微温をたちきる
    おわりのない鎖 そのなかのひとつひとつの貌をわすれる
    ぼくが街路へほうりだされたために
    地球の脳髄は弛緩してしまう
    ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させないために
    冬は女たちを遠ざける
    ぼくは何処までゆこうとも
    第四級の風てん病院をでられない
    ちいさなやさしい群よ
    昨日までかなしかった
    昨日までうれしかったひとびとよ
    冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげる
    そうしてまだ生れないぼくたちの子供をけっして生れないようにする
    こわれやすい神経をもったぼくの仲間よ
    フロストの皮膜のしたで睡れ
    そのあいだにぼくは立去ろう
    ぼくたちの味方は破れ
    戦火が乾いた風にのってやってきそうだから
    ちいさなやさしい群よ
    苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき
    ぼくは何をしたろう
    ぼくの脳髄はおもたく ぼくの肩は疲れているから
    記憶という記憶はうっちゃらなくてはいけない
    みんなのやさしさといっしょに

    ぼくはでてゆく
    冬の圧力の真むこうへ
    ひとりっきりで耐えられないから
    たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから
    ひとりっきりで抗争できないから
    たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから
    ぼくはでてゆく
    すべての時刻がむこうがわに加担しても
    ぼくたちがしはらったものを
    ずっと以前のぶんまでとりかえすために
    すでにいらなくなったものにそれを思いしらせるために
    ちいさなやさしい群よ
    みんなは思い出のひとつひとつだ
    ぼくはでてゆく
    嫌悪のひとつひとつに出遇うために
    ぼくはでてゆく
    無数の敵のどまん中へ
    ぼくは疲れている
    がぼくの瞋りは無尽蔵だ

    ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
    ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
    ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
    もたれあうことをきらった反抗がたおれる
    ぼくがたおれたら同胞はぼくの屍体を
    湿った忍従の穴へ埋めるにきまっている
    ぼくがたおれたら収奪者は勢いをもりかえす

    だから ちいさなやさしい群よ
    みんなひとつひとつの貌よ
    さようなら

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2022年7月の親父の投稿のリトークです。

     「頭がおかしい」「極端すぎる」「狂っている」と、言われ続けて生きてきました。この世界では、全てが美しく正常で、その中で自分だけが歪で異常なのだと思い知らされながら生きてました。
    自分は間違っている。自分の考えはおかしい。自分でもわかってはいるものの、そう思いながらも、極端にしか生きられないのです。
    僕はか弱い人間です。何もかも振り切り、リミットを解除して、乱れ狂う事でしか、この世を生き抜く術を知りません。人生はたった一夜の夢物語。僕はただ、狂わなければこの世の中を生きていけないだけなのです。2択しかないから。生きるか死ぬかだけだから。その思考が僕の選択を極端にさせるのです。わかってはいるが、この生き方は変えられないのです。
    僕は親父の言葉に救われました。著書や755で読む、親父の珠玉の言葉は、まるで地獄の底に天から垂れる一縷の糸。そのひとつひとつに何度も何度も救われてきました。
    今日も今日とて、親父の言葉を胸に鮨に狂って参ります。
    いつも有難う御座います。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。