

熊崎雅崇のトーク
トーク情報熊崎雅崇/オルニ🐚🍜 見城徹見城徹 善良で正直に生きるためには圧倒的努力が必要だ。楽で狡い道は選ばない。そう思って正面突破で生きて来た。人よりも10倍のエネルギーが必要だった。騙すより騙された方がいい。麓でヌクヌクと太る豚になるより頂上で凍え死ぬ狼でいたい。それを貫徹するのは辛く苦しかった。しかも、それは僕のエゴイズムであって、他人には関係ない。かくして僕は孤立を強いられる。他者からの理解など永遠に来ないが、忍びて終わり悔いなし。恥じて生きるより熱く死ね。押忍。
熊崎雅崇/オルニ🐚🍜 見城徹見城徹 株式会社CHIMNEY TOWNからのコメント
このたび、ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』の売上の一部を活用し、絵本『えんとつ町のプペル』を購入し、子供達にプレゼントするプロジェクトを始めることになりました。
この取り組みを通じて、多くの方々に感謝の気持ちをお伝えするとともに、次世代へ夢や希望を届けたいと考えています。
『えんとつ町のプペル』が多くの方々に愛される作品となった背景には、幻冬舎さんの大きな決断がありました。
あの日、幻冬舎さんが「まだ何者でもない西野亮廣に絵本を描かせる」という大きなリスクを背負っていなければ、今日の『えんとつ町のプペル』はありません。
この恩を借りっぱなしにしておくのは僕の性に合いません(なんかカッコ悪いじゃん!)。
そこで、ミュージカルで生まれた売上の一部を幻冬舎さんに還元することを見城社長に提案させていただいたところ、「いやいや、大丈夫。西野からはもう十分すぎるぐらいいただいているから!」という男気溢れるボスムーブをチラつかせてきたので、「ならば、ミュージカルの売り上げの一部で幻冬舎さんの商品である)絵本『えんとつ町のプペル』を購入して、子供達にプレゼントさせてください!!」と強引に押し込み、合意に至りました。
『えんとつ町のプペル』と西野亮廣を育ててくださった幻冬舎さんへの感謝を、未来を担う子どもたちに形を変えて届けることができることを、とても嬉しく思っています。
この場を借りて、幻冬舎さん、そして応援してくださる皆さまに心から感謝を申し上げます。
これからも『えんとつ町のプペル』を通じて、夢や希望をより広く届けられるよう努めてまいります。
引き続き温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
西野亮廣(キングコング)熊崎雅崇/オルニ🐚🍜 斉藤徹斉藤徹 20代頃は、やらなきゃいけないことが山ほどあったから、すごく楽しかった。
毎日が必死で、走っているだけで生きてる感覚があった。
周りなんて気にする暇もなくて、ただ前だけを見ていた。
24で起業した。
最初はうまくいって、少しの成功と、ちょっとした自信が生まれた。
でもその裏側で、気づかないうちに周りを見下したり、斜に構えたり、人の話が素直に聞けない自分がいたと思う。
だから成長できなかったんだと思う。
30代になると、途中から起業した人たちにどんどん抜かされていった。
焦りとプライドがぶつかり合って、抜かされたあとの悲壮感は、なかなか拭いきれなかった。
悔しかった。
名前を聞くたびに、SNSで記事を見かけるたびに、心の中では「なんであいつなんだよ」って何度も思ってた。
俺は、あいつよりずっと前からやってきたのに。
ずっとしがみついて、泥水すすって、それでも耐えてきたのに。
それでも表では笑ってた。
すごいね。なんて、負けを飲み込むように言ってた。
でも正直、心のどこかでは嫉妬と怒りに焼かれてた。
そんな自分が一番嫌だった。
「なんで俺は、こんなに頑張ってきたのに」 「こんなはずじゃなかったのに」
そんな気持ちを隠すように、異性やお酒に逃げたり、海外に出たりしていた。
ヨーロッパを旅して、憧れの景色を前に、美味い飯を食べて、ワインを飲んで。
自由なはずの時間の中で、ふと心に浮かんだ。
「俺、何やってるんだろう」
楽しんでいるはずなのに、心の底から楽しめていない。
どこか空っぽで、置いてけぼりになったような感覚があった。
現実逃避のように酒にも逃げていた。
酔えば少しだけ忘れられる気がして、でも朝になればまた、自分の虚しさが残っていた。
あの頃、何度も自分に問いかけていた。
「こんなことを叶えたくて起業したんだっけ?」
「なんで、あんなに辛いことまで歯を食いしばってやれたんだっけ?」
答えはすぐには見つからなかった。
でも確かに思った。
今の俺には、闘ってる実感がないって。
虚無感は、何よりもしんどかった。
傷ついているわけでもないのに、心のど真ん中に風が吹き抜けていくような、静かで深い苦しさだった。
そして38歳で、債務超過。
事業で失敗し、一気に転落した。
でも、不思議とそのときの方が、虚無にいた30代よりよっぽど生きてる心地がした。
どん底にいたあの日々の方が、むしろ楽だった。
そこからようやく腹が決まり、もう一度、本気で闘おうと決めた。
そして40代になって、ようやく「これだ」と思えるものに出会えた。
自分のためだけじゃなく、誰かのために、世の中のためにと心から思えることが見つかった。
やるべきことがあるって、人生をこんなにも前向きにしてくれる。
数字じゃない。称賛でもない。
自分の中で納得できる毎日が、ようやく積み重なりはじめた。
あの虚無があったからこそ、今がある。
そう言える40代が、めちゃくちゃ楽しい。
おはようございます。
今日も新しい一日を頑張ります。熊崎雅崇/オルニ🐚🍜 見城徹見城徹 ↑ 自分の気持ちを正確な言葉で表現出来た時、
人は自己検証という黄金のカードを肉体化している。2020年の2月だったか。斉藤と出会った時、斉藤は債務超過の真っ只中だったと後から知った。あれから5年以上経つ。斉藤は変わったと思う。気持ちを言語化するということは自分に嘘をつかないということだ。苛酷に自分を問い詰める。追い詰める。胸を掻き毟って言語化出来た時、人生は動き始める。言葉は思考の源である。
表現することで斉藤は自分の誠実な思考方法を獲得したのだ。今や斉藤はV字回復を果たして、
上場への道を地に足が付いて確実に進んでいる。
この斉藤の文章は感慨深い。熊崎雅崇/オルニ🐚🍜 見城徹見城徹 死ぬために生きる。死ぬために歯を磨く。
死ぬために食べ、死ぬために眠る。
死ぬためにトレーニングをし、死ぬために人間ドックを受診する。燃えてカスになるまで燃え尽きる。今日の苦しさ。今日の切なさ。今日の熱狂。
死を日常として今日を生き切る全ての兵(つわもの)どもに。季節は巡る。永遠に巡る。時よ、ゆけ!一瞬の命。一瞬の炎。そして、荒野を渡る風になる。夏草や 兵どもが 夢の跡。熊崎雅崇/オルニ🐚🍜 見城徹見城徹 若い頃は恋する人に告白しないではいられなかった。今も恋はする。しかし、黙っている。踏み出せない。自分の全てをゼロにしなければ、告白する権利もないし、ボロボロになる勇気もない。
73歳には片想いの夢想が似合っている。
[自意識という魔物。他者という怪物]。恋はいつもそのことを思い知らせてくれる。熊崎雅崇/オルニ🐚🍜 見城徹見城徹 キツいなあ。色んなことがキツい。
仕事も、人間関係も、トレーニングもキツい。
戦いのリングを降りてしまえば楽になるに決まっているが、降りた後の自分が想像出来ない。
追い詰められない。悩まない。苦しまない。
負荷がかからない日々など僕には想像出来ない。
もうすぐ74歳になる。普通ならとっくにリングを降りている歳だというのに毎日七転八倒している。今朝は堪え切れずに弱音を吐いている。
それでもかろうじて前に出る。パンチを出す。
僕がリングを降りるのは、KOされてリングに横たわり担架で運ばれる時だ。それでいい。今日も憂鬱さと共に生きる。「忍びて終わり悔いなし」と自分に言い聞かせる。死ぬまで修行だ。死ぬまで精進だ。愚痴を言い、弱音を吐くけれど、自分からリングは降りない。押忍!