鈴江信彦鈴江信彦1日前内省が進むと、鏡が澄んでくる。それは、努力というよりは静かな沈降だ。心の底に溜まっていた砂が、時間とともに落ち着き、水面が透明さを取り戻すように——。僕たちは日々、外界のざわめきの中で自分を見失いがちだ。他者の声、世間の速度、未来への焦り。それらが鏡を曇らせ、本当の自分を映し出すことを邪魔してくる。だが、一日のどこかで立ち止まり、自分の感情の襞をそっと撫でるように見つめると、曇りは薄れはじめる。やがて映るのは、飾りのない自分の輪郭と、静謐な世界の姿だ。内省とは、鏡を磨く行為なのだろう。未来のためではなく、今という瞬間を澄み渡らせるために——。20
鈴江信彦鈴江信彦1日前夕方の散歩@中目黒3丁目言葉は、世界に触れるための道具だ。けれど、多すぎる言葉は、世界の輪郭をぼやけさせてしまう。沈黙は、空白ではない。それは、まだ形を持たない言葉のゆりかごであり、思考が深呼吸するための暗い森だ。沈黙の奥でこそ、言葉は初めて自らの重さを知る。だから僕は、ときどき言葉を手放す。手放してなお残る想いだけが、本当に語るに値するものだと知っているから。23
鈴江信彦鈴江信彦4時間前過去に届かなかったことが気合や根性というひとときの炎だけで叶うとは――僕には信じがたい。だからこそ、静かな計画と、続ける力が要る。その二つさえあれば、届かぬ場所は、もうない。25