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ケントのトーク(他者への想像力を駆使した言葉で考える!)
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  • ケント
    ケント

    稀代の美食家見城さんが最後の晩餐にと言う北京ダックとは如何なるものなのだ。

  • ケント
    ケント

    思い立って小説を書いてみた。今まで心の中に封印していた想いを文字にして吐き出した。主人公が私の中で息づく。私も物語の中で一緒に主人公や登場人物と会話を続ける。
    切ない悲しい場面では涙が独り溢れてくる。艶めかしい情景の場面では、小説だったのか現実だったのか私の頭の中で情景がリアルに交錯する。主人公が私の心の中で生を受けたように動き出す。
    今までずっと封印していた心が解き放たれたようにすっきりとした。
    仕事でもこれくらい夢中になれなきゃと思いつつ、読み直し、追加していく。
    文字にするということは否応なく自分をさらけ出さなければ表現できない。ある意味こんなに恥ずかしい行為はないのではないかと思う。

  • ケント
    ケント

    すぐに手に入るものなんて、すぐに飽きてしまう。
     なかなか手に入らないもの、
     ずっと辛抱して、やっと手に入ったものは大切にできる

  • ケント
    ケント

    人は最後の瞬間なんて呟くのだろうか。
    ありがとう
    さようなら
    ごめん
    許して

    私はその瞬間なんて口ずさむのだろうか
    その瞬間までわからない
    そう言ったかと一瞬全てが腑に落ちて、すぐに永遠の暗闇の中に落ちる。

  • ケント
    見城徹見城徹

    今朝も思う。理解と誤解の間には深くて暗い河がある。人間が生きるという営み。狂わなければ実は生きられない。狂わないで生きていける人が羨ましい。精神を傷めないで過ごす日なんて一日だってない。荒野を行く。地獄を生きる。泣きながら前に進む。

  • ケント
    ケント

    乾いた溝じゃなくて、水をたたえた河なんだな。

    渡ろうと思っても溺れてしまう、いや水の中に入ることすらためらってしまう澱んだ水なのかもしれない。渡るには橋をかけるしかない。でもその橋は誰がかけるのだろう。いやそもそも橋なんかかけることもできないくらいの河幅なのかもしれない。

  • ケント
    ケント

    高校の時付き合っていた女性と同窓会がきっかけで数十年ぶりに再会した。
    お互いに異性と付き合うのは初めてで、付き合うっていうのはどうすればいいのか戸惑っていた事を正直に話して、お互い様だったことに数十年ぶりにお互い安堵した笑。
    一緒に見に行った映画、お祭りで一緒に歩いたこと、サーフボードのデザインのネックレスをプレゼントしたこと、私は覚えていなかったことを彼女は鮮明に覚えていてくれたことに嬉しさと共に、申し訳なさ、自分の不甲斐なさで自己嫌悪になった。
    私がプレゼントしたネックレスは十数年前離婚するときに、全てをリセットしようと思って処分したことを詫びていたが、それまで安物のネックレスを大切に持っていてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。
    数十年間のお互いの人生は一度の再会では語り尽くせないほど、彼女も私に自分の歩んできた人生を語ってくれた。
    歳を重ねるというのもいいものです。