パセリ、セージ、ローズマリー&タイム…。
ハーブの名前が繰り返し歌われるこの曲。中学生の頃、実はこのハーブの名前の連呼に反戦の意味が込められていると知り、ギター小僧になったばかりの私は胸を締め付けられていたっけ(苦笑)。
当時の悩める私に「君は33歳になったら、メディカルハーブで起業するんだぞ?頑張れ!」と言ってやりたい。
『生きたのは錯覚かもしれない』
見城さんのこの言葉に、深く共感致します。実は錯覚。錯覚を生きているだけ。それならそうと、早めに教えて頂きたい。そんな危うい世界で、私たちは必死になっている。何なのだろう。嗚呼、切ない!
スカボロー・フェア/詠唱 https://youtu.be/synluvIQ3Qw?si=QBcwNG9nFulmkcLu
MiRAIのトーク
トーク情報- MiRAI
MiRAI 見城さんが形作られる「思考の骨格」に私は救われています。
骨格により出来上がったスペースは中空で中身は自分自身。「真心 善良 正直 誠実]の軸と「熱狂 正面突破」の軸。この両軸の間でスウィングすると、憂鬱と歓喜の振幅が広がる。心が打ち震える。「義理 人情 恩返し」と「死ぬまでガキ!」。この両軸も同じ。泣くしか無い出来事が湧き起こる。そして出来上がったスペースの裏に、それぞれの死生観が立ち上がる。このうまく言語化できない意識のフレームはなんだろう。宗教でもない、哲学でもない、処世術でもない。現実世界で仁王立ちされる見城さんの思考の骨格。これさえあれば、生きていける。そう思います。
「恥じて生きるより熱く死ね。」押忍!! MiRAI MiRAIMiRAI [外科医、島へ 中山祐次郎]
島への赴任なんて、私なら想像するだけでマイナス因子が全身に循環して負の連鎖に陥ってしまうだろうなと思う。そんなアウェイに身を置いた時に、所属や肩書ではなく、その人の根源的な特性、例えば「鹿児島出身」という素性からくるような、持って生まれた歴然とした人間味の違いが浮き彫りにされ、試されるのだろうなと。中山先生のお顔を思い浮かべながら想像しつつ、読ませて頂きました。
面白かったです。
狭い島で医療に携わりながら、「死」「諦念」「陰」と共に日常を生きるということが、いかに非凡なことであるか。瀬戸山先生の生き様に心が揺れました。
描写が細やかなことから、小説を読んでいるはずなのにリアルな世界を共に体験させて頂いている気になる。何度も何度も涙がこぼれ落ちました。私も、志真さんの様に仕事ができる女性には、絶対に惚れるし。いや間違いなく、絶対に心を奪われてしまう自信があるし(苦笑)。まさかの事件と、この聡明で危うい女性の「陰」のバランスが絶妙でした。
私の母親は、大学病院の耳鼻咽喉科で看護師として働いていました。母はまだチビだった私と弟に『ホーデン』とか『ベッケン』というドイツ語を教えて笑いを引き出した。ガキだから『ホーデン(=睾丸の意味)』という言葉にゲラゲラとウケまくり、『ベッケン』をお尻と曲解し、それだけでテンション上がった子供の時分を思い出しました。
クラウディベイの感想を言う秀子さんには、その言語化に一言物申したいけど(苦笑)、この方も頼れる。命を守る仕事を共にする仲間同志の絆を感じ、一つ一つの出来事に胸が締め付けられました。
私も関わるなら、とことん人と関わろう。仕事の友と、何の変哲もない時間を過ごそう。私ももっと「島」に身を投じなければ。そんな風に思いました。感慨無量。重みのある読後感に浸っています。
中山先生、見城さん、素晴らしい小説を有り難うございました。多くの方々に読んで頂きたいです。