ログイン
K0183のトーク
トーク情報
  • K0183
    見城徹見城徹

    1974年10月30日、ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで元WBA・WBC世界ヘビー級統一王者モハメド・アリと対戦。この一戦はアフロ・アメリカンのボクサー同士がルーツであるアフリカ大陸で行う初のヘビー級タイトルマッチで「ランブル・イン・ザ・ジャングル」(ジャングルの決闘)という謳い文句が付けられた。当時25歳で、40戦無敗(内37勝がKO勝ち)で「象をも倒す」と言われたハードパンチャーのフォアマンに対して、アリは当時32歳で復帰以降フットワークに衰えが見られ、この試合で引退に追い込まれるのではないかと囁かれた。アメリカの専門家筋の予想は4対1、ロンドンのブックメーカーの掛け率は11対5でフォアマン勝利を支持した。

    フォアマン対アリ戦(1974年)
    試合は、フォアマンが序盤から圧倒的に攻め続けながら、ロープ際でロープに体を預けて防御するアリの戦法(ロープ・ア・ドープ)にはまり体力を消耗(フォアマンはアリ陣営によってロープが緩められていたと主張している)。8Rに逆転KOされ王座から陥落し、41戦目でのキャリア初黒星となった。

  • K0183
    見城徹見城徹

    アリに敗北を喫してから1年以上休養した1976年1月24日、ロン・ライルとNABFヘビー級王座決定戦を行い、ダウンの応酬の末5回2分28秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、ジョー・フレージャーとの再戦(5回2分26秒TKO勝ち)を含めて4連勝する。1977年3月17日、勝てばアリへの再挑戦権を得る試合にこぎつける。場所はプエルトリコのサンファン、相手は格下のジミー・ヤングだった。一方的にヤングを攻めたが、試合中盤に失速し、最終回にダウンを喫して12回0-3の判定負け。

    ヤング戦の試合後、疲労と熱中症に苦しみロッカールームで昏倒し、イエス・キリストの存在を感じる神秘的な臨死体験をしたことを契機に、キリスト教に目覚める。28歳でボクサーを引退し、キリスト教の牧師に転身する。

  • K0183
    見城徹見城徹

    引退後はヒューストンの自宅近くに教会と「ジョージ・フォアマン青少年センター」を開設。しかし、施設維持費のほか、4度の離婚の慰謝料、12人の子供の養育費、雇っていた会計士の横領事件などによって資金難となり、38歳のときに10年ぶりに現役復帰を決意する。1987年3月9日、スティーブ・ゾウスキーと対戦し、4回2分47秒KO勝ちを収め復帰戦を飾る。

    現役復帰を発表した時は、10年のブランクに加え、体型も明らかに肥満していたため、多くの人々は「正気か」と嘲笑したが、復帰後24連勝を飾りヘビー級タイトル戦線に再浮上する(マイク・タイソンとの対決も期待されたが実現せず)。

  • K0183
    見城徹見城徹

    1994年11月5日、フォアマンより19歳年下のWBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーから逆指名され、復帰後3度目のタイトル挑戦に臨む。モーラーのアウトボクシングに9回までフォアマンはスコアカードで大差をつけられ負けていたが、10回に入るとパンチの連打で反撃に転じ、10回2分3秒に右ストレートをモーラーの顎に叩き込みKO勝ちを収め、アリ戦から20年越しとなる世界ヘビー級王座の返り咲きに成功した。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった。

  • K0183
    見城徹見城徹

    ↑ ジョージ・フォアマンの奇跡の軌跡。
    モーラーをKOでリングに沈めたフォアマンは
    コーナー・ポストに跪き、神に感謝の祈りを捧げたという。アリに敗北してから20年が経っていた。フォアマン45歳と9ヶ月。世界ヘビー級王座への奇跡の復帰だった。ボクシングは奇跡のドラマに満ちている。

  • K0183
    K0183

    「立ち続けていれば奇跡は起こる」——
    その言葉に、胸が熱くなりました。
    1974年、キンシャサの夜。8R残り16秒。打たれ続けながらも立ち続けた32歳のアリの劇的な逆転KO勝ち。歴史が変わりました。
    不撓不屈という言葉は、まさにあの夜のアリのためにある言葉でした。
    だが、物語はそれで終わりませんでした。
    「象をも倒す」と言われた25歳の無敗王者フォアマンは、初めての敗北を喫しました。その後、28歳での引退、牧師への転身。4度の離婚、12人の子供の養育費、横領事件——人生は彼を何度も叩きのめしました。
    それでも38歳、10年のブランクと肥満した体を抱えてリングに戻ります。「正気か」という嘲笑の中で。信仰と覚悟を胸に、彼は立ち上がりました。
    45歳と9ヶ月、モーラーへの挑戦。9回まで大差で負けていました。それでも立ち続けました。10回2分3秒、右ストレートが奇跡を起こしました。
    不撓不屈のアリに敗れたフォアマンが、20年後、アリと同じ不撓不屈の精神で王座に返り咲きました。
    あの夜キンシャサで、アリはフォアマンを倒しただけではありませんでした。「立ち続けることの意味」を、彼の魂に刻み込んだのです。コーナーポストに跪き神に感謝を捧げたフォアマンの祈りの中には、20年前にロープ際で打たれ続けながらも立ち続けたアリの姿も、確かにあったはずです。
    20年越しの復讐ではなく、20年の祈り。
    その姿こそ、人間の強さの証明だと思います。
    見城さんがこのストーリーを選び、「僕はまだリングに立っている」と書かれたことに、戦い続ける覚悟を感じます。
    私もまだリングに立っています。
    奇跡とは、特別な瞬間ではありません。打たれ続けても、嘲笑されても、大差で負けていても、諦めずに立ち続ける——その時間の積み重ねの中にあります。
    アリとフォアマンが、20年という時間をかけて、それを証明してくれました。
    私も、立ち続けます。

  • K0183
    中川 剛中川 剛

    2017.1.6
    雑誌・GOETHE2015年12月号
    連載コラム
    (幻冬舎)

    「才能」という言葉を聞いて、GOETHE2015年12月号の村上龍・連載コラム「努力という才能」をふと思い出すことがある。

    村上龍さんが旧知の仲の「中田英寿さん」と「才能」について綴った貴重で秀逸なコラムだった。

    僕は、イタリア等で活躍する中田さんの試合を血眼になってテレビ観戦(ほとんど深夜放送)し、幻冬舎の「中田英寿 鼓動」や「中田英寿 誇り」を貪る様に読んでいたから、中田さんの圧倒的実績や言動について少しは知っていた。

    この少しの知識が同コラムを読んだ時に多いに役立ち、読んだ後、全身が震える程感動した。その言葉を思い返すと今でも胸に沁み入る。


    同コラムでは、村上龍さんが見たイタリアで孤独な戦いに挑んでいた中田英寿さんの練習風景について綴られていた。

    豪雨の中、誰も練習などしていないのに、イタリアのグラウンドで、たった一人、中田さんが黙々とボールを蹴る練習を延々と繰り返す姿を長々と眺めた体験を経て、村上さんは次の様な言葉を綴っていた。


    「どんな人間でも、これだけ練習したら、きっとそれなりの選手になれるだろう。これだけの練習ができるというのが「才能」なんだ。」

    「才能というのが何なのか、はっきりとわかった瞬間でもあった。」


    中田さんや見城さんがそうである様に、前人未到の道程を切り拓いている方々の裏側には、決して誰もやらない、やろうとも思わない圧倒的努力が必ずあるものなのだと改めて痛感した。

    上述した中田さんの練習風景は、氷山の一角であって、おそらくこの様な練習との極端な向き合い方をずーっと継続されていらっしゃったのだろうと思う。
    そんなこと一言も言わずに、黙々と戦う姿勢には感動するし、深い尊敬の念を抱く。

    同コラムは、村上さんが見た光景が目の前に浮かぶ様な美しい文章で、読んでいて幸せだった。


    幻冬舎のGOETHE、最高❗️

    〜終〜

  • K0183
    K0183

    中川 剛 さま
    いつもトークを拝読しています。見城さんへの真摯な想いが伝わる誠実なトークを、いつも楽しみにしています。
    村上龍さんが綴られた、豪雨の中、誰もいないイタリアのグラウンドで黙々とボールを蹴り続ける中田英寿さんの姿。強烈に目に浮かびます。
    見城さんの日々も、きっとそうなのだと思います。私たちが目にする鮮やかな感動の裏側には、誰も知らない無数の夜があり、誰も見ていない孤独な戦いがある。
    自分自身を振り返ると、まだまだ「誰かに見られている努力」「評価される努力」に甘んじている自分がいます。恥ずかしい。
    本当の才能とは、誰も見ていない豪雨の中でも、自分との約束を守り続けられる力なのだと、見城さんや中田さんの姿から学びました。
    私も、自分の人生のグラウンドで黙々と蹴り続けたいと思います。
    そして、年末に向けて待つ三大作品を、ただ受け取るのではなく、自分自身が「感動を作り出す」人間になるための糧としたいです。
    今日は憂鬱な一日でしたが、中川さんの心温まるトークに触れて、少し心が落ち着きました。
    夜分に失礼いたしました。いつも本当に有難うございます。

  • K0183
    中川 剛中川 剛

    ↑K0183様
    そんな風に言っていただき、恐れ入ります。また、誠に有難うございます。

    ボールを蹴る。ボールを止める。

    中田英寿さんは、この基本動作を想像を絶する精度まで磨き上げていらっしゃったのではないかと思います。
    ヨーロッパの屈強な選手達の強烈な当たりにも耐える筋力、身体の柔軟性、重心が低く安定したドリブル姿勢も、活躍している日本人選手などいなかった当時のヨーロッパで縮こまらずに活躍してみせた強靭なメンタリティも、試合中常に首を振り全体を俯瞰してゲームメイクする頭脳も、衝撃的で鮮烈でした。

    その鮮烈さの裏側に張り付いている圧倒的努力が村上龍さんの美しい文章で表現されていて、それはそれは感動しました。随分と前に読んだコラムなのですが、今でも思い出す事があります。

  • K0183
    K0183

    おはようございます。早速のお返事ありがとうございました。
    中川さんが指摘された「ボールを蹴る。ボールを止める」という基本動作への言及が特に印象的です。華やかなテクニックではなく、最も基本的な動作を「想像を絶する精度まで磨き上げる」— ここに、表面的な努力と本質的な努力の違いが凝縮されている気がしました。
    中田選手が「屈強な選手達の強烈な当たりにも耐える」「常に首を振り全体を俯瞰する」ことができたのは、基本動作が完全に無意識化されていたからかもしれません。
    豪雨の中でも、どんな状況でも崩れない技術の基盤を作ることが大事だと思いました。
    今週も始まります。基本動作の繰り返し。
    中川さんの言葉に、いつも本質を気づかせていただいています。ありがとうございます。