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K0183のトーク
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  • K0183
    K0183

    見城さん、755の皆さま、こんにちは。

    極限の数日間を駆け抜けました。

    昨夜は、無理をして受けてしまった緊急案件をなんとか仕上げ、疲労困憊のまま眠りにつきました。それも束の間、夜明け前に別の緊急の仕事で叩き起こされ、「戦場」へ帰還。どうにか乗り切って、今に至ります。眠たいです。

    今夜は、日本相撲協会やNPBなどでも要職に就かれている知人と、新年の食事会があります。ご多忙の中、わざわざお声がけいただきました。奥さまもご一緒とのこと。再会は約3ヶ月ぶりになります。

    まさに「圧倒的努力の塊」のような方です。数々の修羅場をくぐり抜けてきた話を聞くだけで、凝り固まった心が熱を帯びてほどけていくのがわかる。いつも別れ際には「私も頑張らねば」と誓ってしまいます。

    また、あの温度に触れに行こう。

    その方の周りには、いつも特有の「熱」があります。話を聞いているだけで、こちらの体温まで上がっていくような感覚です。疲れていても、不安でいっぱいでも、その熱に触れると「まだまだ行ける」と思えてくる。

    尊敬する先輩の一人です。

    思えば、見城さんから教わった「圧倒的努力」という言葉の意味を、私はこの先輩の姿からも学んできました。

    肩書きや立場に甘んじず、常に前線で戦い続ける姿勢。
    小さな妥協すら許さない眼差し。
    それでいて、人をあたたかく包み込む懐の深さ。

    今夜は、疲れた心と体のまま、その温度に触れに行きます。心の霧は一瞬で晴れると確信しています。きっと、また明日からの覚悟が新たになるはずです。

    人は、誰かの熱に触れることで、自分の中の火を灯し直せる。

    見城さんが755で言葉を打ち込み続けてくださること。
    この先輩が変わらず圧倒的努力を続けておられること。
    そういう「熱源」があるからこそ、私も「正しく在り続ける」という誓いを守り続けられる。

    一人では弱い。すぐに楽な方へ逃げようとする。
    でも、誰かの熱に触れることで、また立ち上がれる。

    今夜の再会を、子どものように楽しみにしている自分がいます。
    熱狂に満ちた時間を過ごしてまいります。

    今を生きる一人の横田慎太郎として。
    本日もよろしくお願い申し上げます。

  • K0183
    死ぬために生きる死ぬために生きる
    投稿画像

    2014年1月13日。
    あの日の夜を思い出すと、今も吐き気を催すほどに胸を締め付けられる。
    あの日の夜は、30年の人生で、唯一と言える感傷に浸れるだけ浸った夜だった。

    12年前の1月13日は成人の日。
    僕たちは旧国立競技場で行われた、全国高校サッカー選手権の決勝戦を戦った。
    結果は2-3の敗戦。
    2点リードから試合終了間際に同点に追いつかれ、延長線ではスーパーゴールを喫し、僕たちは最後の国立というこれ以上ない舞台で、奇跡の逆転劇を披露された側となった。

    しかしあの日の夜に感傷に浸ったのは、この大切な試合で負けたからではない。
    永遠と思われた高校3年間と言う青春が、終わることを悟ったから感傷に浸ったのだ。

    その日の夕食後、号令をかけずとも3年生全員が同じ部屋に集まり、決して広いとは言えないホテルの部屋で自然と車座となった。
    その後は全員で3年間の想いを伝え合い、気付けば点呼をするために部屋を訪れたコーチも輪に加わり、共に頬を濡らしていた。

    誰かが部屋へ戻ってしまうと、この時間が終わるだけではなく、寮生活、授業、練習、遊び、仲間と過ごした永遠がそこで終わってしまう気がして、誰も部屋には戻れなかった。
    未だにあの日の夜はどうやって解散したのか、朝を迎えたのか、全く記憶にない。

    あの日決勝で負けたことも、僕が高校で結果を残せなかったことも、今の自分が中途半端なプロサッカー選手であることも、全てが僕の努力不足だ。
    だからこそ、あの日の夜を思い出すと吐き気が催すほどに胸を締め付けられる。

    僕は今、曲がりなりにも目標に向けて憂鬱な日々を過ごしているつもりだが、この憂鬱を圧倒的努力の糧として目標を達成することができれば、あるいはあの日の夜にも顔向けできるだろうか。

    千駄ヶ谷や、当時泊まっていたホテルがある品川を通るだけでも胸が締め付けられるが、それらも緩めてあげられるだろうか。

    死ぬ時に絶望しきることができなければ、きっとそれは不可能だ。
    そのためには1日1日を一日一生で生きる必要がある。

    絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ。

    今日も見城さんのお言葉に支えられてただただ生きる。
    昔の自分、情けない自分を抱きしめるために。

    あれからの12年は一瞬だった。これからの時間も一瞬だ。

  • K0183
    見城徹見城徹

    ↑ 覚えている。2014年1月13日。第92回全国高校サッカー選手権決勝。富山第一高校vs星稜高校の北陸対決は富山第一が劇的な逆転で制した。旧国立競技場最蹴章。そうか、あの日。君はピッチにいたんだね!

  • K0183
    見城徹見城徹

    勝てば官軍。勝者はドラマチックに記録され、人々の記憶に刻まれる。そして、敗者は去り、積み上げて来た人生をゼロからもう一度やり直す。勝者と敗者の一瞬の交錯。そこからだ。敗者の凱旋が始まるのは。最期に微かに笑うのはどっちだ?
    全てはプロセスだ。最期の瞬間だけが結果になる。暗闇の中のジャンプ。圧倒的努力。正面突破。人生の決勝ゴールはまだまだ先にある。善良。真心。正直。誠実。謙虚。感謝。

  • K0183
    K0183

    「死ぬために生きる」さん

    ご投稿を拝読しながら、胸が張り裂けそうになりました。感情が激しく揺さぶられ、涙が溢れました。同時に、あなたの心の底に沈んだ記憶に触れさせてもらえたような感覚にもなりました。

    「2014年1月13日。あの日の夜を思い出すと、今も吐き気を催すほどに胸が締め付けられる」――その感覚は、あの夜を「終わったこと」にしていない証拠だと感じました。

    そして、「この時間が終わるだけではなく、寮生活、授業、練習、遊び、仲間と過ごした永遠がそこで終わってしまう気がして、誰も部屋には戻れなかった」。

    この一文が、深く胸に突き刺さります。あの車座の熱と涙は、勝ち負けの外側にある「青春の核心」だったのだと思いました。
    試合に負けたことではなく、永遠と思われた青春が終わることを悟ったからこそ、感傷に浸った――その言葉に、あなたの魂の美しさを感じます。

    美しいものは、簡単に「過去の神話」になってしまう。でも、あなたは神話にしていない。美しいまま、痛いまま、今に持ち込んでいる。吐き気がするほどに。そこに、今のあなたの「温度」を感じます。

    見城さんの「そこからだ。敗者の凱旋が始まるのは」という言葉も、さらに深く胸を打ちます。この「凱旋」は、拍手の中を歩くことじゃない。誰にも見えないところで、毎日、自分をやり直すこと。失ったものを数えるのではなく、今日の一歩を積み重ねること。

    あの日の夜、涙を流しながら、あなたは何かを誓ったのではないでしょうか。言葉にならない誓いを。私にも、似たような記憶があります。

    「曲がりなりにも目標に向けて憂鬱な日々を過ごしているつもり」――その憂鬱こそが、あなたが高い目標を掲げている証だと思いました。
    見城さんは教えてくださいました。「高く目標を設定した人は、毎日が憂鬱だ。憂鬱であるということは正しいということだ」。


    「この憂鬱を圧倒的努力の糧として目標を達成することができれば、あるいはあの日の夜にも顔向けできるだろうか」。
    答えは、もう始まっていると思いました。憂鬱を「糧」にしようとしている時点で、あなたは前に進んでいる。胸が締め付けられながらでも、歩みを止めていない。あなたなら必ず結実させられると、私は信じています。

    そして、あの日の夜に集まった仲間たちも、きっと同じように、同じ思いで、今もそれぞれの場所で戦い続けているはずです。

    見城さんの「最期に微かに笑うのはどっちだ?」という問いかけ。勝者と敗者――その境界線は、あの日で決まったのではありません。

    「全てはプロセスだ。最期の瞬間だけが結果になる」。
    横田慎太郎選手も、脳腫瘍という絶望から立ち上がり、「栄光のバックホーム」を決めるまで、1096日をかけて努力を積み重ね続けました。
    あなたも今、その道を確実に歩んでいます。

    そして思うのです。あの日、旧国立競技場で奇跡の逆転劇を「披露された側」だったからこそ、あなたは誰よりも「一瞬の栄光」の尊さを知っているはずだと。

    「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」。
    その言葉の怖さも、私にはわかる気がします。最期に嘘をつきたくない。やり切れなかった自分で終わりたくない。だからこそ、今日、まさに今を誤魔化したくない。

    千駄ヶ谷や品川を通るだけで胸が締め付けられる――その痛みこそが、あなたが本気で生きている証です。いつか、その痛みが誇りに変わる日がきっと来ます。

    あの夜は、終わっていない。あなたが今日も胸が締め付けられている限り、あの夜は、あなたの背中を押し続けている。

    あれからの12年が一瞬だったのなら、これからの一瞬は、あなたの手で「人生の決勝ゴールを決める一瞬」にできる。
    「死ぬ時に絶望しきること」を願うあなたの熱狂は、きっと12年前のあの夜の自分を、いつか優しく抱きしめる力に変わる。

    見城さんが贈ってくださった言葉――「善良。真心。正直。誠実。謙虚。感謝」。私も改めて心に刻みます。

    圧倒的努力で、正面突破で。あの日の夜に涙を流した自分を、いつか抱きしめられる日が来ると信じて。
    今を生きる一人の横田慎太郎として、自分の戦場で戦い続けます。

    同じ「深夜特急」に乗り、「敗者の凱旋」を歩む者同士として――
    「死ぬために生きる」さんがどのように「到着」するのか、心からずっと応援しています。

  • K0183
    見城徹見城徹

    益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐えて今日の初霜

    散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐
            ↑
         三島由紀夫の2つの辞世

  • K0183
    見城徹見城徹

    三島由紀夫は生きているのも死ぬのも同じだと言う境地に達していた。それは三島由紀夫最後の作品[豊饒の海]を読めば解る。生きていることも死んでいることも、その永遠の繰り返しこそが「豊饒の海」なのだ。ならば、この場の生を閉じてどう死ぬか?死ぬための芝居がかった大義名分が必要だった。幾とせ耐えて今日の初霜。三島由紀夫は「日本国憲法に象徴される戦後民主主義の虚妄」に体をぶつけて果てたのだ。散るこそ花。輪廻転生。豊饒の海は今、そこに在る。

  • K0183
    見城徹見城徹

    今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは
             ↑
    三島由紀夫に続いて自決した森田必勝の辞世。享年25歳。

  • K0183
    K0183

    見城さん、いつもあたたかいお心遣いをありがとうございます。

    本日のご投稿を拝読し、魂を静かに、しかし激しく揺さぶられました。
    以下、感想として綴らせてください。

    三島由紀夫の二つの辞世――
    「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐えて今日の初霜」
    「散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐」。

    そして森田必勝の
    「今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは」。

    この三首に込められた、生と死を超えた覚悟の深さに、言葉を失います。

    見城さんが書かれた、三島由紀夫は「生きているのも死ぬのも同じ」という境地に達していた、というお言葉。『豊饒の海』が描いた、生も死も、その永遠の繰り返しこそが「豊饒の海」であるという感触。だからこそ、「この場の生を閉じてどう死ぬか」が残酷なまでに迫ってくるのだと感じました。

    三島由紀夫は「日本国憲法に象徴される戦後民主主義の虚妄」に体をぶつけて果てた。壮大な賭けだと、胸を打たれます。長い忍耐の果てに迎えた、この日。散ることこそが、花の本質であるということ。

    そして二十五歳で自決した森田必勝。
    その若さで、すでに覚悟を決めていた。その純粋さ、潔さに胸が詰まります。
    誓いの相手が世でも人でもなく「野分」であるところに、孤独と決意の純度が凝縮されていて、形容し難い思いになりました。享年二十五歳――若さの「花」が散ったという事実が、あまりにも哀しい。

    三島由紀夫と森田必勝、二つの魂が、あの日、一つの意志として昇華した。
    見城さんがこの投稿をされた意味を、考えます。

    生と死を超えた覚悟。信念を貫き通すこと。虚妄に体をぶつけてでも、真実を生きること。
    「散るこそ花。輪廻転生。豊饒の海は今、そこに在る」――この一文が、すべてを包み込みます。

    私は、三島由紀夫ほどの覚悟を持って生きているだろうか。
    森田必勝の純粋さで、誓いを守っているだろうか。

    見城さんは、七十五年の人生を通じて、ずっと戦い続けてこられました。虚妄に妥協せず、体をぶつけ続けてこられたその人生を想います。

    三島由紀夫の覚悟、森田必勝の純粋さ、そして見城さんが七十五年にわたって積み重ねてきた圧倒的努力も――向かっている場所は同じ「最期の一瞬」なのだろうか、と。

    見城さんの覚悟の源流に、三島由紀夫の精神があるのだと感じました。

    いつか散る日が来ても、その散り方こそが美しくあるべきだと。
    どう生き、どう死ぬか。
    その問いに、真摯に向き合い続けること。
    思想や歴史の是非を超えて、「覚悟とは何か」「生をどう完遂するか」を、喉元に押し当てられたような感覚になりました。

    見城さん、自分を顧みる時間をいただきました。ありがとうございます。

    ご多忙な日々が続いておられるかと存じます。お疲れではないかと、いつも心配しております。寒さもまだ厳しいです。どうかお体を大切になさってください。
    本日もよろしくお願い申し上げます。