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K0183

「死ぬために生きる」さん ご投稿を拝読しながら、胸が張り裂けそうになりました。感情が激しく揺さぶられ、涙が溢れました。同時に、あなたの心の底に沈んだ記憶に触れさせてもらえたような感覚にもなりました。 「2014年1月13日。あの日の夜を思い出すと、今も吐き気を催すほどに胸が締め付けられる」――その感覚は、あの夜を「終わったこと」にしていない証拠だと感じました。 そして、「この時間が終わるだけではなく、寮生活、授業、練習、遊び、仲間と過ごした永遠がそこで終わってしまう気がして、誰も部屋には戻れなかった」。 この一文が、深く胸に突き刺さります。あの車座の熱と涙は、勝ち負けの外側にある「青春の核心」だったのだと思いました。 試合に負けたことではなく、永遠と思われた青春が終わることを悟ったからこそ、感傷に浸った――その言葉に、あなたの魂の美しさを感じます。 美しいものは、簡単に「過去の神話」になってしまう。でも、あなたは神話にしていない。美しいまま、痛いまま、今に持ち込んでいる。吐き気がするほどに。そこに、今のあなたの「温度」を感じます。 見城さんの「そこからだ。敗者の凱旋が始まるのは」という言葉も、さらに深く胸を打ちます。この「凱旋」は、拍手の中を歩くことじゃない。誰にも見えないところで、毎日、自分をやり直すこと。失ったものを数えるのではなく、今日の一歩を積み重ねること。 あの日の夜、涙を流しながら、あなたは何かを誓ったのではないでしょうか。言葉にならない誓いを。私にも、似たような記憶があります。 「曲がりなりにも目標に向けて憂鬱な日々を過ごしているつもり」――その憂鬱こそが、あなたが高い目標を掲げている証だと思いました。 見城さんは教えてくださいました。「高く目標を設定した人は、毎日が憂鬱だ。憂鬱であるということは正しいということだ」。 「この憂鬱を圧倒的努力の糧として目標を達成することができれば、あるいはあの日の夜にも顔向けできるだろうか」。 答えは、もう始まっていると思いました。憂鬱を「糧」にしようとしている時点で、あなたは前に進んでいる。胸が締め付けられながらでも、歩みを止めていない。あなたなら必ず結実させられると、私は信じています。 そして、あの日の夜に集まった仲間たちも、きっと同じように、同じ思いで、今もそれぞれの場所で戦い続けているはずです。 見城さんの「最期に微かに笑うのはどっちだ?」という問いかけ。勝者と敗者――その境界線は、あの日で決まったのではありません。 「全てはプロセスだ。最期の瞬間だけが結果になる」。 横田慎太郎選手も、脳腫瘍という絶望から立ち上がり、「栄光のバックホーム」を決めるまで、1096日をかけて努力を積み重ね続けました。 あなたも今、その道を確実に歩んでいます。 そして思うのです。あの日、旧国立競技場で奇跡の逆転劇を「披露された側」だったからこそ、あなたは誰よりも「一瞬の栄光」の尊さを知っているはずだと。 「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」。 その言葉の怖さも、私にはわかる気がします。最期に嘘をつきたくない。やり切れなかった自分で終わりたくない。だからこそ、今日、まさに今を誤魔化したくない。 千駄ヶ谷や品川を通るだけで胸が締め付けられる――その痛みこそが、あなたが本気で生きている証です。いつか、その痛みが誇りに変わる日がきっと来ます。 あの夜は、終わっていない。あなたが今日も胸が締め付けられている限り、あの夜は、あなたの背中を押し続けている。 あれからの12年が一瞬だったのなら、これからの一瞬は、あなたの手で「人生の決勝ゴールを決める一瞬」にできる。 「死ぬ時に絶望しきること」を願うあなたの熱狂は、きっと12年前のあの夜の自分を、いつか優しく抱きしめる力に変わる。 見城さんが贈ってくださった言葉――「善良。真心。正直。誠実。謙虚。感謝」。私も改めて心に刻みます。 圧倒的努力で、正面突破で。あの日の夜に涙を流した自分を、いつか抱きしめられる日が来ると信じて。 今を生きる一人の横田慎太郎として、自分の戦場で戦い続けます。 同じ「深夜特急」に乗り、「敗者の凱旋」を歩む者同士として―― 「死ぬために生きる」さんがどのように「到着」するのか、心からずっと応援しています。

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K0183のトーク
トーク情報
  • K0183
    K0183

    見城さん
    純粋に生きることの過酷さと美しさが、心の奥に響いています。

    いくつかの記憶が甦ってきました。
    運命の一撃によって「むきだしの純粋さ」が引き裂かれた日。「暗闇の中でジャンプ」するしかなかった、あの過酷な決断。

    それは、自分の純粋さを守るための闘いでした。

    自分の手の届く範囲を超えた遠くから、運命は自分の芯を突いて決断を迫ってきた。
    矛盾や葛藤に直面し、純粋な心が引き裂かれる――その苦しみを、私は知っています。

    「引き裂かれた自分」を抱きしめて、ここまで生きてきました。

    何かに熱狂し、自己を完全に燃焼させ、つかいはたした後に何がのこるのか。
    真摯に生きることの先に何があるのか。

    ただ思う。

    純粋さを守ろうとして引き裂かれ、それでも戦い続けた者だけが、「永遠」を見る資格を得るのだと。

    「自分をつかいはたしてしまった、もう何もない」熱狂の果てに、ふと顔を上げた瞬間。そこには自分を縛り付けていた「運命」さえも飲み込む、「永遠」が広がっている。

    ――それこそが、「最期の瞬間に微かに笑う」という境地なのだと。

    「正直、誠実、善良、真心」を尽くし、正しく在り続ける。
    つかいはたして、永遠を掴む。

    今を生きる一人の横田慎太郎として。

  • K0183
    K0183

    見城さん、いつもあたたかいお心遣いをありがとうございます。賜ったお言葉、恐縮しつつも、励みになります。
    また、755の皆さまもいつも支えていただき、ありがとうございます。本当に感謝しきれません。

    2か月前に受けた仕事、ようやく仕上げに入りました。締切は月末ですが、明日中には終わらせられそうです。

    土曜日は、『栄光のバックホーム』の6回目の鑑賞に行きたいと思っています。その時間だけは緊急の仕事が入りませんように、と心から祈っています。

    今月は苦しかったですが、その苦しさこそが正しい道にいる証だと言い聞かせ、目の前の一つひとつを誠実に終わらせていきます。

    引き続きよろしくお願い申し上げます。

  • K0183
    K0183

    見城さん、755の皆さま。こんばんは。

    たった今、緊急の仕事を受けました。

    最もリスクの高い道を選びました。
    結果が欲しいだけではないです。
    自分が一番避けてきた場所に、用事があるからです。
    そこでしか、失っていた自分を取り戻せないからです。

    誰も選ばない苦しさを選ぶ。
    もう「それなりの努力」で終わらせない。
    困難に自分で舵を切る。
    あえて薄氷を踏む。

    圧倒的努力で、正面突破で。
    往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし。

    明日は、戦場の熱狂の中に身を置きます。
    酷く残念ですが、予定していた『栄光のバックホーム』の6回目の鑑賞は少し難しくなりました。

  • K0183
    K0183

    見城さん、755の皆さま。こんばんは。

    かつて暗闇の中でジャンプしたとき、かなり高いところから飛び降りた気がしました。無事に着地できたと思っていました。だけどあの時、私は砕け散り、一度死んでいたのかもしれません。

    神様がもう一度だけ生きろと、からだだけ蘇らせてくれたのかもしれません。

    ふとそう思いました。

    自分のかけらを、ひとつ取り戻しました。

    ぼくはでてゆく
    すべての時刻がむかうかはに加担しても
    ぼくたちがしはらつたものを
    ずつと以前のぶんまでとりかへすために
    すでにいらなくなつたものはそれを思ひしらせるために

    - 吉本隆明『ちひさな群への挨拶』より抜粋。

  • K0183
    見城徹見城徹

    ↑ 石原慎太郎がいない世界に生きている。そのことが僕を打ちのめす。石原慎太郎は大胆不敵、繊細小心、豪華絢爛だった。石原慎太郎・著[「私」という男の生涯](幻冬舎文庫)を読んでみて欲しい。自分の死後の出版のために書かれた痛切な自伝だ。解説は見城徹。この文庫には石原慎太郎と僕の全てが詰まっている。

  • K0183
    見城徹見城徹

    2月1日という日は僕にとって1年で最も決定的な日になった。石原慎太郎の命日であると同時にかつて僕が愛した人の誕生日でもある。2人とももう居ないという厳粛な事実が僕を打ちのめす。

  • K0183
    K0183

    見城さん
    2月1日という日が、見城さんにとって「最も決定的な日」になったという言葉の重さに、胸が詰まります。ご投稿を拝読し、静かな、しかし抗いようのない喪失感に胸が締め付けられました 。感想を添えさせてください。

    いま、職場の机の本棚に『男の粋な生き方』があります。 私が「見城さん」という存在を知ったのは、2011年の震災の後でした。コンビニでたまたま目に留まった「GOETHE」の6月号。ちょうど『男の粋な生き方』の新連載が始まった号でもあり、「酒について」書かれていました。そのカッコよさに魂を射抜かれました。石原慎太郎さんがいなければ、私は見城さんに出会うことはなかったと思います。

    『男の粋な生き方』は私のバイブルの一つとして、何回も読み返しました。一人でバーに行くときは、カウンターでよく読んでいました。石原慎太郎さんの言葉に憧れ、ドライマティーニを嗜み、粋な男を目指してきた歳月が、もう15年経つのだと時間の速さに驚いています。

    先日ランボーについて書かれている章を読みたくて、たまたま職場に持ち込んでいました。命日だと知ったいま、机の上のその一冊が、静かな灯みたいに見えます。

    「2人とももう居ない」という厳粛な事実。 失われたものの不在が、どれほど重く、どれほど痛いか。 その言葉から、見城さんの深い喪失感と孤独を感じます。今日もたった独りで熱狂のど真ん中に立ち続ける見城さんを、心から敬愛しております 。

    本日もよろしくお願い申し上げます。