
思い残すことなく死ぬために
トーク情報- 死ぬために生きる
死ぬために生きる 『葡萄色の夢を追いかけて』
日本ワイン葡萄の父と言われる、川上善兵衛にまつわる物語。
川上善兵衛は、1890年に岩の原葡萄園を新潟県上越市に創設し、交雑によりマスカット・ベーリーAなどの日本固有の葡萄を何種類も生み出した。
僕がワインを嗜好するようになったのも、岩の原葡萄園とのご縁がきっかけだ。
家族や周囲の支えを得ながらも、恵まれているとは言えない当時の技術や環境の中で、自分の信念を曲げずに道を切り拓いていく川上善兵衛の姿は、"個体の掟"を感じさせる。
出会った人を味方につける、人としての魅力や眼力、胆力も川上善兵衛の大きな魅力で、勝海舟や、『神谷バー』と『牛久シャトー』の創業者神谷傳兵衛、東京帝国大学の農学博士坂口謹一郎、『サントリー』創業者鳥井信治郎などを巻き込んで葡萄とワインを作っている。
登美の丘ワイナリー創設のきっかけを作っていたり、晩年を静岡県清水市で過ごしていたりと、僕にとっては初めて知る部分も多かった。
僕みたいな若造がこんなことを言うのは恐縮だが、僕はワインを飲む際に、目の前のワインの背景や歴史まで想像して楽しむようにしている。
この本を読んで、さらにワインを楽しめるうになったはずだ。
勝海舟は葡萄園創設を決めた川上善兵衛に一つの詩を送っている。
「筆は風雨の劇を得て
詩は金石の声を作す」
(艱難辛苦に耐える力を得てこそ、輝かしい成功を克ち得るだろう) - 死ぬために生きる
死ぬために生きる 昨日は時間を言い訳にして登山をしなかった。
地元にいる時は身体を戻すために毎日山に登ると決めていたので、自分との約束を果たせなかったことになる。
その分他のトレーニングをしたのだが、そんなものは気休めにもならず、後悔だけが残った。
今日も同じような時間に用事が終わった。
低山ではあるが、往復で4時間はかかる。
昨日山に登らなかったのも、帰宅が夕暮れに間に合わず、街灯が1つも無い山道を歩むのを恐れたからだ。
しかし今日は気づいたら山へと向かっていた。
自分の心に自問自答し、昨日からある自分への後ろめたさを消化するには登るしかないと思ったからだ。
結局薄暗いうちに帰宅できたが、心にはちっぽけな爽快感と昨日の自分への後悔がある。
こんな努力じゃ結果は出ない。即ち努力とは言えない。
もっと自己検証、自己嫌悪、自己否定。
情けないが、それも自分。
その上で結果を出さねばいけない。
今日を生き切る。明日も生き切る。一日一生! - 死ぬために生きる
死ぬために生きる そして毎日頂上からの景色を見る度に、気づいたことがある。
僕は故郷が大好きだが、それと同じくらい故郷への劣等感も抱えているようだ。
僕は高校入学までの15年間と、サッカー選手を休んでいる直近の1年間を故郷で過ごしている。
幼少期の大事な心と運動神経は、間違いなく野山に育ててもらったし、故郷の人たちも大好きだ。
華々しく自分の人生を生き切って散りたいと言う思いとは裏腹に、死ぬ時は故郷で微かに笑って死にたいとも思っている。
それくらいには故郷への愛がある。
しかし、僕のような小さな人間は、どこかで東京への憧れがあり、勝手に関東出身の人と比べては劣等感を感じている。
確かな愛はありながら、関東出身の人に故郷を紹介する際には、「米と日本酒しかありません」と圧倒的に卑下して紹介する。
それでいて、僕の故郷よりも田舎と言われる地方出身者にも、同じように劣等感を感じている。
僕の故郷は、明治時代には日本一の人口を誇り、現在も日本海側唯一の政令指定都市と言う、絶妙なポジションなのだ。
とても中途半端で、何不自由ない都市機能がある。
田舎は田舎だが、実家から徒歩1分のところに駅があり、その電車も1時間に1本は確実にある。
その電車に乗れば県内一大きい駅に行けるし、その駅から東京は新幹線で1時間半で着いてしまう。
更なる大自然の中で育ってきた人には、僕が田舎出身であるとは言えない。
これは、ただただ僕が故郷を心から愛せていないということだと思うし、僕が無い物ねだりをしているだけだとも思うが、僕がどんな時も勘違いせずに劣等感を抱えていられるのは、幼少期からこの気持ちが心のどこかにあったからだと思う。
故郷にいる時は外にいる人達を羨ましく思い、謎の焦りが湧いてくる。
外にいる時は故郷をとても愛しく思い、謎の充足感が湧いてくる。
まだまだうまく言葉にはできないが、僕はこの愛と劣等感を死ぬまで持っていると思う。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる 今日は箕輪さん主催?のある会(イベント)にお邪魔させていただいた。
僕は会う度に箕輪さんに魅了される。
もちろん会う前はSNSなどをくまなくチェックする。
箕輪さんを尊敬する点を挙げ出したらキリが無いが、人を味方につけて熱狂の渦に巻き込む能力がある。
大胆な部分もあれば、細やかに人を気遣える繊細さもある。
他者への想像力や、他者理解なるものがずば抜けているのでは無いかと思う。
それでいて少年のような部分もあるので、お付き合いをさせていただいていて、これほど気持ちが良い人はいない。
前にも書いたが、僕は箕輪さんに死ねと言われれば死ねる。
事あるごとに刺激をいただいているから、勝手に義理を感じている。
サッカーの引退まで2年。
日数にすると、たったの730日。
毎日を一日一生の気持ちで過ごしやり切れば、必ずいい意味で絶望し切って引退できるはずだ。
そして圧倒的努力の型が、少しは骨身に染み付いているはずだ。
そうなれていたら、引退後は数年間箕輪さんの力になるために人生を使いたいと思っている。
あまり理想や目先のことは話したくないが、本気でそう思える人なのだ。
箕輪さんと出会って6年目になるが、出会って以降も箕輪さんは個体の掟で活躍を続け、僕は中途半端な人間としてただ社会に佇んでいる。
箕輪さんに会った後は、必ず刺激と喜びを感じ、その反面不甲斐ない自分自身への悔しさと憤りを感じる。
ただこれはひとえに、自分がやってこなかっただけなのだ。
悔しさを感じることさえ烏滸がましい。
やるせなさを胸に、今日もこれから走る。
今日が1番若い。一日一生。