思い残すことなく死ぬために
トーク情報- 死ぬために生きる
死ぬために生きる ↑
石川県白山市、車多酒造の天狗舞だったとは!
見城さんが載せてくださった『GMO×夢はかなう』の説明(写真)の太文字の部分には、こう書いてある。
「そして膨大な試作の中で、奇跡的な繊細さを持つタンクが1本だけ仕上がりました。それが今回の「夢はかなう」です。」
伝統や先人からの知恵を守りつつ、新たな伝統を作るという破壊的革新。
そしてそれをやり続ける、やり遂げるという圧倒的努力。
僕のちっぽけな想像力でもどれだけ大変なことか、少しはわかる。
どんな味なのだろうか。きっと美味いに違いない。
そして、『夢はかなう』の文字は、あの『正面突破』も書かれた書道家の金田石城さんのものだったのか。
文字に力や命、躍動感が宿っているのも納得だ。綺麗やかっこいいだけでは表現できない凄みがある。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる 僕は儚き高校生の3年間を石川県で過ごした。
単純な男なので、このお酒が石川県のもので嬉しい。
先週の土曜日に見城さんが飲まれた満寿泉も、住んでいたことのある富山県のお酒。
僕が勝手に尊敬している人や好きな人が、僕が少しでもルーツがある場所のモノなどを楽しんでいたり、味わっていたりしたらそれだけで嬉しい。
なんて単純な男だろうと思うが、僕はこういう人間なのだろう。昔から変わらない。
日本の伝統や文化はなんとしてでも残ってほしい。もっと世界で戦えるものになってほしい。
こんな気持ちもあるが、今の僕が叫んだところで何にもならないし、こんな夢は豚に食われてしまえばいい。
今必要なことをやり切る。今日も一日生き切る。死ぬために生きる。
今日はこれからマシンでトレーニング。
憂鬱なスクワット。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる チーム合流まで約1カ月。
復帰戦まで約2カ月。
移籍先の今シーズン(7月半終了)の結果次第では、復帰戦が初っ端国際大会の可能性もある。
いくら準備してもやり過ぎということはない。
いくらやっても毎晩後悔するだろうし、復帰戦の試合前には憂鬱で吐きそうになっているだろう。
アーノルドプレスで高重量を扱い過ぎて両肩を脱臼して以来、基本的にはマシンで身体を仕上げてきた。
休む前と比べて扱える重量はほぼ戻ってきた。
だんだん身体から弛みが減り、キレやカットが出てきている。
今身体を鍛えることにおいて必要なのは、
1.身体の強さを伸ばす(重さ×速さ)
2.筋持久力(いかに疲労に耐えつつ身体を動かし続けられるか)
この2つ。
正直どうなるかなんてわからないが、やるしかない。
見城さんのお言葉をお借りすると、
「やるかやらないか」
「暗闇の中でジャンプ」
これしかない。
復帰して結果を残すために必要不可欠なトレーニングなのに、トレーニング前に憂鬱になっている僕が恥ずかしい。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる 『読書という荒野』を読んだ。
デスクに並べられた無数の本。見城さんの覇気、佇まい、着こなし。まずカバーに惹き込まれる。
秋元康さんの帯の言葉も物凄い。
僕は見城さんの本を読み始めて、「読了」という言葉を使うのをやめた。
それほどまでに濃く、強く、熱い。それでいて儚さ、弱さ、繊細さが見えてその両極のスイングに没入してしまう。
見城さんの本は、読みながら痛みを伴い、自分の血肉にしなければ勿体無いと感じさせてくれる本だ。
どの言葉も見城さんが自分の人生を生き切って獲得してきた言葉だ。
それ故に、この本の中からどこかを切り取って書き残すのは大変失礼だと思うが、自分の中で大好きなパートがあり、そのパートに対する箕輪さんのコメントも大好きなので、今の自分の考えや感動を残すためにここに記す。
第5章''旅に出て外部に晒され、恋に堕ちて他者を知る"
この章に書いてある、
"『深夜特急』・人生からの脱獄"
"旅とは「貨幣と言語が通用しない場所に行くこと」だ"
この2つのテーマと、沢木耕太郎さんの『深夜特急』からの引用を元に語られる、見城さんの旅の本質の切り取り方が途轍もない。
思わず首を擡げてしまった。
2017/5/24に公開されたNEWS PICKSの『リーダーの教養書』でも見城さんはこのエピソードや考えを残してくださっている。(以下当該URL)
https://newspicks.com/news/2257002/body/
そして、その記事に対する箕輪さんのコメントも素晴らしすぎて、こちらも読むたびに首が擡げてしまう。(以下一部抜粋)
「自分が旅に何を求めていたか、旅から何を得て、人生にいかに作用していたかを知った。
何年も前に、ただしていた旅が、また意味を持ち出して、正確な言葉で言い表すことがいかに大切か、改めて気付かされた」
見城さんの言葉を喰らい、箕輪さんの言葉を喰らい、僕も僕なりに過去の海外での経験や旅への意味合いを見つけ、自分がなぜ心のどこかで海外を求めているのか、理由が少しわかった気がする。
このように自分を熱くし、自分の内側に気づきをくれる言葉や考えが、最初から最後までぎっしりと詰まっている。
読書によって正確な言葉と自己検証はもたらされ、正確な言葉と自己検証によって深い思考が可能になる。
そして深い思考こそが、その人の人生を決める唯一のバックボーンになるのだ。
僕はもう、血で血を洗う読書という荒野を突き進み始めたのかも知れない。
見城さん、素敵な本をありがとうございます。
長く拙い文章を失礼いたしました。