見城徹見城徹 よしんば安倍政権によって民意が問われ、憲法が改正されたとしても、安倍さんに僕が涙することはない。安倍晋三は政治家だからだ。安倍さんは政治家として自分の信念を貫いただけだ。歴史的な快挙を賞賛はするけれど、泣くことはない。
三島由紀夫ほど日本の歴史と文化、伝統、自然、そして、何よりも日本語とその表現にこだわった文学者はいない。美しく正確無比な日本語で個体としての人間を書き続け、自分も個体として生きた。その三島由紀夫が自分の死と引き換えにしたのが日本国憲法の改正だった。三島は日本語で書かれた日本国憲法の虚構と欺瞞を許せなかった。
憲法が改正された時、僕は三島由紀夫に対して涙を禁じ得ないと思う。三島由紀夫は自分の死さえも文学にしたからだ。僕という個体が三島由紀夫という個体に涙する。それは文学に対する涙である。生きて死ぬという人間の宿命に対する涙である。
tsym43のトーク
トーク情報tsym43 tsym43 斉藤徹斉藤徹 20代頃は、やらなきゃいけないことが山ほどあったから、すごく楽しかった。
毎日が必死で、走っているだけで生きてる感覚があった。
周りなんて気にする暇もなくて、ただ前だけを見ていた。
24で起業した。
最初はうまくいって、少しの成功と、ちょっとした自信が生まれた。
でもその裏側で、気づかないうちに周りを見下したり、斜に構えたり、人の話が素直に聞けない自分がいたと思う。
だから成長できなかったんだと思う。
30代になると、途中から起業した人たちにどんどん抜かされていった。
焦りとプライドがぶつかり合って、抜かされたあとの悲壮感は、なかなか拭いきれなかった。
悔しかった。
名前を聞くたびに、SNSで記事を見かけるたびに、心の中では「なんであいつなんだよ」って何度も思ってた。
俺は、あいつよりずっと前からやってきたのに。
ずっとしがみついて、泥水すすって、それでも耐えてきたのに。
それでも表では笑ってた。
すごいね。なんて、負けを飲み込むように言ってた。
でも正直、心のどこかでは嫉妬と怒りに焼かれてた。
そんな自分が一番嫌だった。
「なんで俺は、こんなに頑張ってきたのに」 「こんなはずじゃなかったのに」
そんな気持ちを隠すように、異性やお酒に逃げたり、海外に出たりしていた。
ヨーロッパを旅して、憧れの景色を前に、美味い飯を食べて、ワインを飲んで。
自由なはずの時間の中で、ふと心に浮かんだ。
「俺、何やってるんだろう」
楽しんでいるはずなのに、心の底から楽しめていない。
どこか空っぽで、置いてけぼりになったような感覚があった。
現実逃避のように酒にも逃げていた。
酔えば少しだけ忘れられる気がして、でも朝になればまた、自分の虚しさが残っていた。
あの頃、何度も自分に問いかけていた。
「こんなことを叶えたくて起業したんだっけ?」
「なんで、あんなに辛いことまで歯を食いしばってやれたんだっけ?」
答えはすぐには見つからなかった。
でも確かに思った。
今の俺には、闘ってる実感がないって。
虚無感は、何よりもしんどかった。
傷ついているわけでもないのに、心のど真ん中に風が吹き抜けていくような、静かで深い苦しさだった。
そして38歳で、債務超過。
事業で失敗し、一気に転落した。
でも、不思議とそのときの方が、虚無にいた30代よりよっぽど生きてる心地がした。
どん底にいたあの日々の方が、むしろ楽だった。
そこからようやく腹が決まり、もう一度、本気で闘おうと決めた。
そして40代になって、ようやく「これだ」と思えるものに出会えた。
自分のためだけじゃなく、誰かのために、世の中のためにと心から思えることが見つかった。
やるべきことがあるって、人生をこんなにも前向きにしてくれる。
数字じゃない。称賛でもない。
自分の中で納得できる毎日が、ようやく積み重なりはじめた。
あの虚無があったからこそ、今がある。
そう言える40代が、めちゃくちゃ楽しい。
おはようございます。
今日も新しい一日を頑張ります。