見城徹のトーク
トーク情報見城徹 中川 剛中川 剛 映画「栄光のバックホーム」の試写会を観た直後に変えたジムで、本当に久しぶりに取り入れているパーソナルトレーニングが昼にあった。自分でやってきたトレーニングがどれだけ甘々で軟弱で、如何に間違っていたかを痛感。最後の最後の1回、2回、コーチがバーを軽く支えて檄を飛ばしてくれて、結果、パンパンになる。これが嬉しい。食事も随分間違えていた。食事も含めて変えて、新しく買った服とアバクロが似合う身体になること、日々を戦う精神を養うことが【目標】。
新しく通い始めたジムでのトレーニングが何故だか楽しい。平日夜なんかは面倒で憂鬱な時だってあるけど…身体を休めた方がいいのだが、明日も行きたいと思ってしまう。
「栄光のバックホーム」からの流れで来ているトレーニング。小さな事に過ぎないかも知れないのですが、このトレーニングが日々を変えて行く様な気がしています。
そして、今、6、7年前くらいの見城さんのトークを探してます!見城徹 K0183K0183 「スランプ」について、過去の自分に思いを巡らせてみました。
私が「見城さん」という存在を知ったのは、2011年の震災の後でした。コンビニでたまたま目に留まった「ゲーテ」の6月号。長谷部誠さんが表紙で、「心を整える。」という言葉が、目だけでなく心にも留まりました。ちょうど石原慎太郎さんの「男の粋な生き方」の新連載が始まった号でもあり、そのまま購入しました。
「見城さん」という存在を認識したのは9月号。「床屋談義」で藤田さんと一緒に表紙に登場されていました。「覚悟を決められるかどうか、結局はそれだけです」という見城さんのお言葉(正確に再現できずすみません)が心に突き刺さり、そのお言葉と一緒に掲載されていた見城さんの綺麗でまっすぐな眼差し、表情がとても好きで、今でも心に残っています。付箋を貼って、落ち込んだ時に何度も見返していました。きっと、覚悟の決まらない私がいたのだと思います。
「ゲーテ」はそれから石原慎太郎さんの連載が終わるまで毎月買い続けました。長く大切に本棚にしまってありましたが、私が「最後にジャンプした」時、多くの荷物を整理しなければならず、残念ながら手放しました。見城徹 K0183K0183 話がそれましたが、2011年頃の私はとても長いスランプにいました。それは全くもって自分の実力不足が原因なのですが、当時の環境では常に自分の実力のはるか上が要求され、昼夜を問わない圧倒的努力が当たり前でした。それはもちろん自分が望んでいた環境ではありましたが、本当に辛かった。
一般に若い時は怖いもの知らずだから、知らないうちに一生懸命なだけで乗り越えられるのかもしれません。怖いのかどうかも分からないから、勢いだけで乗り越えていってしまう。きっと若いというのはそういうものかもしれません。ただ私の場合は、それをはるかに超えて、恐怖と不安しかなかった。本当の深さ、怖さに対峙すると、常に自分の限界との戦いになります。限界を超えたり、超えられなかったり、超えてはいけないのに超えてしまったり……。見城徹 K0183K0183 IMPOSSIBLE IS JUST A BIG WORD THROWN AROUND BY SMALL MEN WHO FIND IT EASIER TO LIVE IN A WORLD THEY'VE BEEN GIVEN THAN TO EXPLORE THE POWER THEY HAVE TO CHANGE IT.
IMPOSSIBLE IS NOT A FACT. IT'S AN OPINION.
IMPOSSIBLE IS NOT A DECLARATION. IT'S A DARE.
IMPOSSIBLE IS POTENTIAL.
IMPOSSIBLE IS TEMPORARY.
IMPOSSIBLE IS NOTHING.
不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ──現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。
不可能とは、誰かに決めつけられることではない。挑戦だ。
不可能とは、可能性だ。
不可能とは、通過点だ。
不可能なんて、ありえない。