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見城徹
みほぶー
みほぶー
見城さん、こんにちは。 今年も勝手にお世話になりましたのでお礼を申し上げにまいりました。 今年はすがるように学び、そして迷い、苦悩しました。 暗闇に1人でいる心持ちの時に遠く先に見える小さな強い救いの灯りは見城さんでした。 深謝申し上げます。 755住民の優しい灯りも前に進む勇気をくれました。 今年の感謝と、明日のお誕生日の祝福、新年が健やかで小さな幸せが降り注ぎますこと、お祈り申し上げます。

有難う。みほぶーの呟きを読みながら、働くって大変だけど素敵なことだなと思ってました。自分の労働が価値創造になるのは気分がいいよね。辛いだろうけど、みほぶーはいつも活き活きと呼吸してます。そのみほぶーの呼吸音を僕は感じていたいです。頑張って下さい。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年2月5日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2021年4月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    言葉は生き方を決定します。言葉によって人は行為するのです。行為した時、言葉はその人の中で肉体化されるのです。ですから、言葉と行為は表裏一体です。その時、言葉は説得力を持ち、人を動かします。そこに結果が生まれます。言葉→行為→肉体化→結果→新しい言葉。生きるということはこの繰り返しです。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕は21歳の時に「理想」や「夢」に生きるのを止めました。いや、そこから逃げ出しました。だから、「理想」や「夢」という言葉が嫌いです。僕にとって肉体化出来なかった言葉だからです。
    [たべて苛酷にならない夢を/彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを/絶望だということができない]
    吉本隆明の「少女」という詩の一節です。僕は食べて苛酷になる夢を飲み込めませんでした。 飲み込めなかった劣等感と自己嫌悪と向き合いながら、懸命に生きて来ました。
    21歳で死んだ僕に宛てて65歳の僕が書かずにはおれなかったのが文庫版「たった一人の熱狂」のあとがきです。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年4月の親父の投稿のリトークです。

    夢に打ちひしがれて生きてきた。悔しくて、情けなくて、悲しくて、夜も眠れなかった。そのうち僕は夢を語れなくなった。目の前の現実は夢や希望とはまるで対極にある。この現実を純粋なる眼でしっかり見据え、これで最期かも知れない今日と言う一日を、昨日までの弱い自分を殺しながら生きていく。
    今日も親父の755によって僕は言葉を獲得し、それを血肉と化していく。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。