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見城徹のトーク
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  • 見城徹
    見城徹
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    [南青山 いち太]改め[御料理 太いち]。
    カウンターのみ。コースで5品、その後はアラカルト。全品、唸るが〆に食べる蕎麦は日本一だと僕は思う。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年2月8日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2021年5月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    九段下のホテル・グランドパレスが6月一杯で営業を終了するという記事を読んだ。コロナの影響で業績が著しく悪化したらしい。
    大学を卒業して九段下にある広済堂出版に就職した。1年半で角川書店(現・KADOKAWA)に転じた。本社は飯田橋に在ったが僕が配属された[野性時代]は[俳句]と[短歌]の編集部と共に広済堂出版の目と鼻の先の九段下のビルの中に在った。
    だから、編集部から歩いて1、2分のグランドパレスは打ち合わせやランチによく使った。作家を缶詰めにするのもグランドパレスが多かった。他に本社に隣接する旅館[聖富荘]や御茶ノ水の[山の上ホテル]も選択肢としてあったが、僕は殆どグランドパレスで通した。とにかく編集部と近かったからだ。
    コーヒーハウスのビーフカレーが美味しかった。プライベートでもよく泊まった。つまり、グランドパレスは僕の生活の一部として溶け込んでいた。僕の20代はグランドパレスと共にあったと言っても過言ではないと思う。
    金大中事件やプロ野球のドラフト会議の会場として有名だが、僕にとっては唯一の「青春のホテル」だった。殆ど無名に近かったつかこうへいや法政大学の4年生だった石原正康(現・幻冬舎専務。当時は作家志望だった)と初めて会ったのもグランドパレスである。缶詰めにした作家の名前を挙げたらキリがない。今もたまに地下1階にある日本料理[千代田]で食事をする。そのグランドパレスが無くなるのか。
    この歳になると日々何かが無くなり、誰かが亡くなる。全ての人が避けて通れない道だと解ってはいても切ない気持ちになる。
    一日一生。大事な一分。大事な一時間。大事な一日。今を生き切るしかない。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年5月の親父の投稿のリトークです。

    因縁によって起こる一切は常に変化している。青春し熱狂したあの頃の時間は思い出の中にいつまでも存在する。諸行無常。時は流れる。二度と戻れない時間の中、儚く消えゆくその場所に思い出だけを残して。今と言う一日を歩き続ける。人は皆、大切な何かを失いながら生きている。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    おすぎとピーコのピーコには僕は何回も2人だけのシチュエーションで唇を奪われている。それはおすぎとピーコにとって人として好きな男性に対する挨拶のようなものだったと思う。芸能界の常識が世間の非常識になってしまうことは沢山あるが、別に[上納]とかとは違うと思うのだが……。