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見城徹
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憂鬱でなければ、仕事でない。 この言葉には当初、抵抗がありました。堀江貴文さんやユーチューバーなど仕事が遊びだという人を見て憧れていたからです。相反する考え方なのだろうとしばらくは思っていたのですが間違いでした。堀江貴文さんと見城さんからは同じものを感じるのです。情熱と圧倒的努力、魅力あるアイデンティティ。「憂鬱でなければ、仕事でない。」この言葉を理解したような気がしたとともにあなたが遠く感じます

そうかなあ。 目標を容易に達成できないほど高く掲げれば、憂鬱になる。成功がイメージ出来るけど、そこに行き着くには面倒臭いことが沢山予想される人との付き合いは、憂鬱になる。これ、当たり前だよね。楽をして結果なんか出ない。スムーズに進んだ仕事は疑わなけれればダメだ。 自分がスムーズに進められた仕事は誰にとっても難しくないと考えた方がいい。なら、差は着かない。だから、憂鬱になることは大きな結果の第一歩だと僕は信じて来た。それは堀江も一緒だよ。誰も出来ないことをやり遂げるから、凄い結果が出るんだよ。「憂鬱」と「仕事を楽しむ」ことは矛盾しない。僕は憂鬱な仕事を楽しんで来た。不可能に挑戦してる、そう思いながら悪戦苦闘することは楽しい。結果をイメージしているからね。憂鬱でなければ、仕事じゃないんだよ。 僕は貴方の遠くにいない。むしろ、すぐ側にいる。弱い自分にウンザリしながら、それでも自分に鞭打って、匍匐前進しているんだよ。何度でも言う。出来るか出来ないか?ではない。要は、やるかやらないかだ。みんな同じだよ。

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見城徹のトーク
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  • 見城徹
    YumikoYumiko
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    見城さんが日々755に投稿される内容は、映画、本、演劇、音楽、アート、ファッション、グルメ、スポーツ──ジャンルも分野も実に多岐にわたる。その守備範囲の広さには驚かされるばかりだ。

    見城さんが良いとおっしゃるものには、すぐに共感できるものもあれば、一見して馴染みのないものもある。
    自分ひとりでは決して出会わなかったであろう本や映画に触れ、「ノイズ」を感じることもあるが、むしろそのノイズが大きければ大きいほど、心が揺さぶられることが多い。そんなふうに、私にとって755という場所は、一流の編集者である見城さんが惜しみなくその手の内を明かしてくださる極めて貴重な場所だと感じている。

    知見の浅い今の自分の器では、すぐにその本質や良さを理解できないこともあるけれど、時間が経つうちに「ああ、そういうことだったのか」と深く腑に落ちていく──その過程を味わいながら、見城さんの意図を汲み取り、自分の感性を養っていくことこそが、何より大切なのだと思っている。

    映画『国宝』も、一般公開に先がけて東宝試写室でご覧になった見城さんの感想を読み、公開を心待ちにしていた。もし見城さんの存在がなければ、公開初日に映画館に足を運ぶこともなかったと思う。

    この作品は、努力や才能だけでは越えられない「血筋」という、抗いがたい歌舞伎の現実が描かれた超大作。演者の演技に圧倒され、約3時間の上映時間もあっという間に感じられた。
    とりわけ印象的だったのは、舞台から観客席を見上げるようなカメラワークの多さ。華やかさと美しさに満ちた歌舞伎の表舞台とは裏腹に、一方では、厳しく過酷な物語が渦巻いていることを、強く印象づけていたと思う。

    …この秋、見城さんが「和食の最高峰」と絶賛されていた日本料理の名店に伺うことになった。予約は困難を極め、価格にも一瞬たじろいだ。
    しかし、それもまた「ノイズ」だと思っている。かつて見城さんが、著書の中で「京味にずっと通えるように、仕事で結果を残そう」と語っていた言葉は、今も忘れられない。その一流の味や感性に少しでも触れることは、この先の人生に十分な価値があると思うのだ。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ [井雪]を堪能して下さい。僕は日本最高峰の和食だと思っています。