ログイン
詳細
見城徹

改革のカリスマでは全くない。メディア操作が上手いだけ。悪しきポピュリズムの典型。明白なことなのに、何故、それが解らないのだろう?

前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    2025年6月14日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2018年1月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    「香月」は坂本龍一が[ラスト・エンペラー]でアカデミー賞を受賞した頃、つまり30年ほど前に広尾にポツンと出来たラーメン屋だった。坂本と僕はその「香月」の近くにあった「ピュルテ」というバーで毎日のように明け方まで酒を飲んでいた。僕は腹が空くと途中で「ピュルテ」を抜けて、「香月」によく食べに行ったものだった。その広尾の「香月」は既にない。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ついでに言うと、慶応義塾大学2年の頃、僕は都立大学駅の付近に下宿していた。夜中まで麻雀をした後、よく都立大学駅の路地にあった屋台のラーメン屋に食べに行った。その屋台は[ラーメン次郎]という名前で、味がこってりとしていて美味しかった。僕が大学の3年生になり三田に通い始めたら、忽然と大学の入口近くの交差点に[ラーメン二郎]が開店してびっくりしたものだ。その後の二郎さんの快進撃は僕が言うまでもない。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    都立大学駅の屋台の時、[ラーメン次郎]の客は慶応の学生がほとんどだった。東横線の都立大学駅は日吉にも三田にも便利だったから、慶応の学生が多く下宿していたからだと思う。三田に出来た[ラーメン二郎]は勿論、慶応の学生で溢れていた。[ラーメン二郎]を育てたのは間違いなく歴代の慶応の学生たちだ。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2018年1月の親父の投稿のリトークです。

    親父の755を読む。心が運動する。そして腹も減ってくる。
    食べ物の投稿を読むと気持ちが持っていかれます。兎に角今は天麩羅とラーメンが無償に食べたい。特にラーメンへの欲求で脳内が犯されている。僕はまるで麻薬の中毒患者の様だ。いてもたってもいられない。美味しそうすぎる。もう我慢できない。

    前に親父と箕輪さんのYouTubeで、この話を聞かせて頂きました。もはや伝説「ラーメン二郎」誕生秘話。次郎が二郎に変わり、伝説は今もなお続いていく。
    今更すぎますが、ラーメン二郎さんのラーメンを一度も食べた事がありません。いつか行ってみたいと思っています。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。