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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    中川 剛中川 剛

    ↑同感です。心から同感します。
    見城さんとの出会いによって、人生が音を立てて変わっていきました。見城さんのご著書との出会いは、僕にとって人生最大の衝撃でした。そして、見城さんは、そのご著書の言葉と1ミリも変わらない方でした。どれだけ感動したことか。上手く表現する言葉が見つかりません。

    見城さんが歩いた跡には必ず感動が残ります。こんな方が世の中にいらっしゃるのかと今でも震えます。お世辞なんかじゃありません。誇張もしていません。見城さんは、全てが鮮やかです。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 「僕が出会う全ての人に鮮やかな感動を」と思って毎日を生きています。正直に言います。毎日、へこたれています。毎日のように挫折します。毎日が憂鬱です。体調も毎日悪いです。でも、
    生きる。覚悟を持って生きる。場面を張る。あと少し暴れてみます。誰のものでもない僕の人生。いつか、荒野の風になる。最初から無。最後に微笑しながら永遠の無に戻ります。

  • 見城徹
    MiRAIMiRAI

     このお言葉を読ませて頂き、改めて感動致しております。生きる、ということの意味すら分からずに、私は今まで歳を重ねてきたように思います。決して真似など出来ることではありませんが、見城さんの背中を見つめさせて頂きながら、私も私なりに、一歩一歩精進致します。有難うございました。

  • 見城徹
    中川 剛中川 剛

    ↑リトークいただき、有難うございます!!

    私は、思えば、過去に何十回と見城さんにお会いさせていただく幸運に恵まれてます。大変に光栄なことです。

    見城さんにお会いする度、自分自身を含めて周りの全ての方々が興奮し、感動しているシーンを目の当たりにしてきました。誇張は一切していません。会食時だけではなく、扉座などのイベントの時もそうでした。

    皆さん、本当に嬉しそうだし、鮮やかな感動で全員が笑顔でした。その光景は、映画のクライマックスシーンにも劣らない素晴らしい光景です。会食やイベント自体が感動の嵐な上、終わった後の鮮やかな感動に包まれている皆さんのお姿がまた素晴らしいんです。毎回、ほとんど泣いています。

    「見城さんが歩いた跡には必ず感動が残ります」と書いたのは、見城さんがお帰りになられた後、必ず、100発100中で参加者全員が鮮やかな感動に包まれていたからという意味も含んでおります。

    これら全部が見城さんの存在感によるものです。鮮やかです。圧倒的に鮮やかです。書きながら涙が出てきました。これほど鮮やかな方は、この世で見城さんだけです‼️

  • 見城徹
    見城徹

    2025年3月1日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2022年2月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    [捨てて勝つ]というよく使われる言葉がある。
    簡単に使っているが、この境地は中々難しい。
    人は簡単に勝利への執念を捨てることが出来ない。これ以上出来ないほどの圧倒的努力をしたら尚更だ。成すべきことを全てやり通し、後は無我の境地で執着を捨てる。虚心坦懐になる。僕の経験からして、鮮やかな結果が出るのはそんな時だ。
    今、僕は[捨てる]境地に至っている。やるべきことはやって来た。もう、どんな結果でもいい。後は天の采配に身を任せる。勝っても負けても清々しい気持ちで微笑する。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    目を閉じる。緩やかに息が抜けてゆく。浮かぶ妄執を断つ。今、ここに在ることと他者の存在に感謝する。
    今日やるべきことをやる。それだけだ。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    今日生まれた赤ちゃんも100年後には殆どが生きていない。今日755を読んでいる人は全員がいない。時の流れなどないのだ。宇宙がただ在るだけ。人生は一瞬の夢。宇宙を意識して生きる。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2022年2月の親父の投稿のリトークです。

    鮨を握りながら死にたい。人生が終わるその瞬間まで鮨を握っていたいと切に思っている。その今際の際の刹那の自分はどんな心境なのか考える。その時僕はただひとつ、もう少しだけ握りたかったと思うだけ。削られて削られて、削ぎ落とされて、消えていくのが人生だ。今日が最期の一日だ。その気持ちで今を生きる。死ぬ時に必要無いものは今日と言う日に置いていく。この胸に思い出ひとつ残れば良い。準備は出来た。覚悟は決まった。後は鮨を握りながら死ぬだけだ。それが明日か数十年後かは神のみぞ知る。どっちにしても一瞬だ。全てに感謝しながら綺麗に散って行けたら良い。

  • 見城徹
    見城徹

    1950年12月29日。静岡県清水市吉川450。
    小糸製作所静岡工場の社宅に生まれた自意識過剰な少年は紆余曲折を経て74歳になった。父と母が出会わなかったら僕は存在していない。親孝行を疎かにしたことを今更ながら痛切に後悔する。
    物心ついた時から今日まであっという間だった。
    今、自分が此処にあることが信じられない。
    本当に大切な想いは常に通じない。喪失と絶望の日々を唇を噛み締め、胸を掻き毟って耐えた。
    死はすぐそこまで来ている。これからも耐える。
    それが人生だ。僅かばかりの歓喜の記憶によって
    今日を迎えた自分を抱きしめる。忍びて終わり悔いなし。