ちびすけ見城さんが仕事もに求めることトップ3はなんですか?ちなみに自分は①やりがい②楽しさ③刺激があり生産性があるかです。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 恋唄 吉本隆明
理由もなくかなしかったとききみは愛することを知るのだ
夕ぐれにきて夕ぐれに帰ってゆく人のために
きみは足枷になった運命をにくむのだ
その日のうちに
もし優しさが別の優しさにかわり明日のことが思いしられなかったら
きみは受肉を信ずるのだ 恋はいつか
他人の血のなかで浅黄いろの屍衣のように安らかになる
きみは炉辺で死にうるか
その人の肩から世界は膨大な黄昏となって見え
願いにみちた声から
落日はしたたりおちる
行きたまえ
きみはその人のためにおくれ
その人のために全てのものより先にいそぐ
戦われるものがすべてだ
希望からは涙が
肉体からは緊張がつたえられ きみは力のかぎり
救いのない世界から立ち上がる見城徹 しげしげ ![投稿画像]()
文庫版[栄光のバックホーム]読み終わりました。
お母様のまなみさんの視点から、横田慎太郎さんの生き様を綴った1冊です。
(以下、作品の内容を含みます)
慎太郎さんの[奇跡のバックホーム]を拝読して、ここまでまっすぐ生きている男がいるのかと驚きましたが、次に注目したときは、お亡くなりになったときでした。
何で?と、あのまっすぐに生きていた男が何で?と、しばらく思っていたことを覚えています。
感想を言葉にしようとすると、「まっすぐ」の言葉が何度も浮かびます。
僕の語彙力の無さを痛感しつつ、慎太郎さんの周りの方々にこの想いが広がって行く様子には、結末を知るだけに苦しくも温かな気持ちになります。
ご家族はもちろん、阪神タイガース入団後は同期に先輩、監督にスタッフ、病院の方々、大勢のファン…。
その想いは異例の引退試合に繋がり、引退後も慎太郎さんが渾身の力で立たれた講演会で、さらに多くの人に届いたのでした。
僕もいつの間にかその1人に、身内のような気持ちになっていることに気付きます。
慎太郎さんをそばで励まし、一緒に喜怒哀楽を分かち合ったまなみさんをとおしての視点と言うこともあり、その場に僕もいるかのように心を揺さぶられ続けました。
とくに手術で一度失われた視力が戻り始めたとき、窓のブラインドを何度も上げ下げして日差しが見えることを喜んだ場面には、僕まで頬がゆるみました。
そして「最後の港」へと進み、これまでの数々が決してフィクションでは無く、読んでいる今に繋がっていることにハッとさせられます。
慎太郎さんが最後まで前を向いて、まっすぐに、全力で駆け抜けたことに、本文にもあるように拍手を送りたくなりました。
スポニチの遠藤記者は「努力のバックホーム」と評しましたが、それは今も生きる僕が、まるで努力と呼べることをしていないことを意味します。
ありきたりながら慎太郎さんに近付きたい、どんな環境でも諦めず、目標を持って日々に臨もうと強く思いました。
読み終えたのは映画版[栄光のバックホーム]公開直前で、プロダクションノートや予告編、ドキュメント番組、そしてユニフォームが舞った胴上げの動画なども繰り返し見ました。
そのたびに胸が一杯になり、涙があふれました。
ゆずの[栄光の架橋]も、サビ前の♪ジャジャジャンと言うところを聞くだけで胸に迫るほどです。
慎太郎さんをこれまで深く存じ上げずにいたことを、悔やむばかりです。
そして、プロ野球はあまり興味が無かったものの、慎太郎さんの足跡が残り、復帰を信じ続けてくださった阪神タイガースを、これから応援したいと思っています。
今はことあるごとに、「24」の言葉を選んでしまいます。
映画やドラマで、感情を揺さぶられることが苦手です。
普段は避けている僕が映画を勧めるのですから、周りは驚いたと思います。
予告編を見た後に「お涙頂戴か」と言われたこともありますが、そう誤解してしまうほどにまっすぐ生きた男が横田慎太郎なのだと、今さらですが断言出来ます。
僕も少しでも追い付けるよう、並べるよう、目標を定めながら努力します。
読書しながら初めて涙があふれた1冊、読んだだけにせず、必ず行動に繋げます。見城徹 秋山純秋山純 高校野球界のエリートという経歴への戸惑い 映画「栄光のバックホーム」上地雄輔 秘めていた野球への思い(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース 高校野球界のエリートという経歴への戸惑い 映画「栄光のバックホーム」上地雄輔 秘めていた野球への思い(まいどなニュース) https://news.yahoo.co.jp/articles/52a54864d2e1900cd09fdc496eccfff7c34eba9a
見城徹 K0183K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと6日。
「父の愛に支えられて、私は立ち続けている」
横田慎太郎選手が脳腫瘍と闘った日々を、
母・まなみさんは、いつもそばで見守り続けました。
視界が二重に見える息子が、それでも練習場に向かう姿。
何度倒れても、諦めずに立ち上がり続ける姿。
母の愛が、横田選手を支え続けた。
私にも、決して忘れられない記憶があります。
私の最も古い記憶は、祖母の死です。くも膜下出血で倒れました。離島という環境では、公平な医療を受けられない。自衛隊のヘリが来てくれることが常でしたが、その日は台風だった。十分な治療を受けられず、祖母は再出血で亡くなりました。
葬式で、祖母のそばに座っていました。
周囲はみんな泣いていたのに、父だけは泣かずに、じっと祖母のそばに座り続けていた。その強い姿を、私は今もはっきり覚えている。
その直後、弟が事故で死にかけました。
父が看護師に縋りついて、泣いていました。
「自分の命はいらないから、この子の命を助けてくれ」と。
幼かった私の心に、その光景が焼き付きました。
父の涙。父の叫び。父の愛。
その時、幼い私が感じたのは、言葉にならない思いでした。
助けたい。
守りたい。
救いたい。
それは明確な言葉ではなく、ただ胸の奥で燃える、熱い思いでした。
その思いが、時間とともに、少しずつ言葉になっていきました。
「どんなに頭の血管が破裂しようと、どんなに脳が傷つこうが、助けてあげられる医者になりたい」
そして、言葉は「誓い」になった。
この記憶が、私の全てです。
私は、この記憶だけで、50年以上生きてきました。
だから、医者になりたかったわけではありません。
どうしても、脳外科医になりたかった。
祖母を救えなかった悔しさ。
弟を救ってくれた医療への感謝。
そして何より、父の愛の深さ。
父の愛に支えられて、今も私は立ち続けています。
脳外科医として四半世紀。
いつもあの日の父の姿が浮かびます。
「自分の命はいらないから、この子の命を助けてくれ」
——その叫びを、今は私が受け止める立場にいる。
横田選手は、母・まなみさんの愛に支えられて戦った。
私は、父の愛に支えられて、今日も手術室に立つ。
愛は、人を立ち上がらせる。
愛は、人に力を与える。
愛は、不可能を可能にする。
『栄光のバックホーム』は、横田選手と母・まなみさんの物語であり、
同時に、愛に支えられて立ち上がるすべての人の物語です。
公開まで、あと6日。
この映画を観る時、きっと思い出すはずです。
あなたを支えてくれた、誰かの愛を。
あなたが今ここに立っているのは、その愛があったからだということを。
そして、気付いて欲しい。
あなた自身も誰かの「愛」になれるということを。
父の愛に支えられて。
今日も、私は戦う。
誠実に、全力で。
