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見城徹
秋元康
秋元康
僕はなぜ、全力で仕事をするのか?全力で仕事をして来たのか?自分でもわかりませんでした。でも、精神のアスリート、見城徹を見ていて気づきました。僕も“熱狂”していたかったんだ。下手な小細工をするより、正面突破の爽快感。まさに、暗闇でジャンプです。4月12日発売の「たった一人の熱狂」は、熱狂の面白さを思い出させてくれます。肩を痛めてまで、熱狂し続ける男、見城徹を尊敬します。

多分、秋元は脇目も振らず一つのことに熱中する子供だったと思います。多分、他の子供よりマイナーなことに。 僕は子供の頃、妄想ストーリーを作るのが好きで、みんなの間で流行している遊びには背を向けて、一人で夢想する世界に浸っていました。そこには子供ながらにマイナーな性的な願望も関係していたような気がします。 秋元が高校時代から放送作家をしていたのも、当時の高校生からしたら亜流も亜流、大マイナーだったと思います。みんなは大学受験を目指しているのに、それには背を向けて、一人だけ放送作家にクールに熱中する秋元少年の姿は想像するだけで楽しいです。多分、まともに勉強していれば東大にも行けたかも知れません。 マイナーを極めなくてはメジャーには行けないと僕は思っています。マイナーを極める「集中」と「発想」と「熱狂」が、やがてメジャーを突き動かすんだと僕は経験で知りました。 秋元の仕事は[人々の無意識な領域]に突き刺さります。それは「計算」と「戦略」と「資本」だけでは成し得ません。秋元の中で燃え続けた、[小さいもの][片隅にあるもの][疎外されたもの]に対する孤独な熱狂が根底に横たわっているからです。 「固有名」から「匿名」へ。「定冠詞」から「集合名詞」へ。それは取りも直さず、マイナーを極めて大メジャーに突き抜ける前人未到の軌跡です。 僕にも子供時代から孕んでいる「集中」と「発想」と「熱狂」が七転八倒しています。 正面突破。 秋元の存在に刺激を受けて、今日もメジャーに突き抜けます。 たった一人の熱狂だけを武器にして。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年2月の親父の投稿のリトークです。
    昨日のリトークの続きです。

    「God is in the details」
    建築家のミース・ファンデルローエの言葉。
    小さな事にクヨクヨしろよ。神は細部に宿るのだ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    1980年1月29日この世に生を受け、今日で45歳になりました。
    北海道小樽市オタモイ1丁目17番21号。
    長屋の団地群。僕は海岸の側の山間の集落みたいな場所で生まれ育ちました。気がつけば随分遠くまで来てしまいました。
    やっぱり僕は鮨職人になるために生まれて来たのだと思います。今考えると全ての事象が僕を鮨の世界へ誘導していた様にさえ思うのです。実は未来が先に決まっていて、人生とはその伏線を回収して行く事に他ならない気がするのです。
    鮨の世界に関わって30年。今日まであっという間でした。
    僕の人生は失敗と挫折と後悔の繰り返し。何度か死にかけながら、なんとか今日まで生き延びてきました。過去の全ては時の流れが物語に変えてくれます。
    僕は色んな物を捨てながら、色んな事を諦めながら、ただひとつだけの鮨に縋り、しがみつきながらこれからも、「往く道は精進にして忍びて終わり悔いはなし」と、声を大にして歩き続けます。

    親父、先日は感動の誕生日祝いを有難う御座いました。感謝で涙が溢れます。

    生涯一鮨職人。三上雅博。

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  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    今際の際「もう少し時間があれば一流の鮨職人になれたのに」と、思いながら死んで行く未来はもう決まっている。完璧な物など存在しない世の中で、完成しないとわかっている物を少しでも完成に近づける様に、悩みながら苦しみながら生きて行く。それが生きると言うことよ。

  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    31年振りに六本木[ラミューズ]へ。
    角川書店(現・KADOKAWA)時代はよく通っていた。いつもギターの伴奏をしてくれたオーナーの内田ノリちゃんは72歳。お互いに歳を取った。
    挨拶に顔を見せてくれた俳優の内田朝日は息子さん。映画[精霊流し]の主演をしていただいた。
    今夜はご飯だけだが、次はノリちゃんの伴奏で歌を歌いたい。