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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹
    小菅健司
    見城さんの著作は全て拝読し、後輩にも本のプレゼントをしていましたが、私はどこか安全地帯にいました。55歳を迎え、まだ見た目、優等生をきどる自身に自己嫌悪の毎日でしたが、755を知り一文字一文字を魂に刻むうちに、残り人生の指針を見城さんと共に生きる事に決めました。よろしくお願いします。

    これまた、畏れ入ります。こちらこそよろしくお願いします。

  • 見城徹
    斉藤徹斉藤徹

    今日はノンアルで朝を迎えた。怠さも言い訳も、酒と一緒に置いてきた。冴えてる頭で、今日も一日をぶつかりにいく。向かうのは、正直気が重い会議。でも、嫌なことから逃げずに、自分の手で流れを変える。そう決めてる。

  • 見城徹
    見城徹

    2025年7月17日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2019年9月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    41歳で角川書店(現・カドカワ)の取締役編集部長になり42歳で独立した。本当は辞める気はなかったが、角川コカイン事件があってやむを得なかった。逮捕されて代表取締役社長を辞任した角川春樹さんには仁義を通したかった。幻冬舎を作った。無謀な挑戦が始まった。今、思うとよくやり通せたと信じられない気持ちになる。無知が幸いした。怖いもの知らずだった。圧倒的努力はしたが奇跡の連続だった。あの時、足がすくんでいたら今の幻冬舎はない。26年が経った。幻冬舎は今また分岐点に立ち、僕の人生も大きな決断の時を迎えている。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    創業して5年目ぐらいから複数の証券会社、銀行がしきりと上場を勧めて来た。僕は上場という概念すらなかったから不思議な気分だった。自分が自分の会社を上場するなんて考えたことすらなかった。全く縁がないものだと思っていたから、上場したらどうなるのかなど解りようがなかった。結局、創業9年で上場した。風景が変わった。順調だった。しかし、上場していることの窮屈さも感じていた。上場から7年が経ってMBOで上場を廃止した。丁度、60歳になったばかりだった。気が楽になった。上場を廃止して9年が経とうとしている。僕は会社のことで新たな大きな決心をした。それが会社にも社員にも一番いいと判断したからだ。リスクは僕に降りかかるが腹をくくった。
    しかし、こういう時に困難や問題は同時多発する。そう決めた途端、会社のことや大事な友人のことで決断しなくてはならない状況が起こっている。知らんぷりをすれば安全だが、それが正しい道かどうか?何をしていても気分が晴れない。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    上場している時に、実は二つの大きな出来事がありました。
    一つはかなりの規模の会社を10億で買収したが、最初の目論見に反して経営状態が悪化、民事再生にせざるを得なかったこと。つまり10億の特損が生じました。
    もう一つは経理局の社員が会社の金10億円を横領していたこと。かなりのニュースになりました。これは情けなかったし、びっくりしたし、反省もしました。
    この二つの10億円事件は上場していただけに辛かったです。
    身から出た錆ですから、誤魔化さず、正面突破で乗り切りました。

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  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    今日は遅くなってしまいました。
    2019年9月の親父の投稿のリトークです。

    絶望的な状況下に置かれても決して諦めない精神力。困難に立ち向かう勇気と覚悟。想像を絶するほどの戦いの日々。余りにもスケールが違いすぎて僕なんかが感想を言うのも烏滸がましい。親父が乗り越えてきた苦難を考えると、僕の悩みなど露ほどにもない。論ずるにも値しない、取るに足らない事ばかり。
    親父の背中を見て、いつも励みにさせて頂いております。その言葉に鼓舞されて、戦う勇気を頂いております。その生き様を、生きる指針とさせて頂いております。
    苦しい時、辛い時、挫けそうな時。嬉しい時、楽しい時、感動した時。僕は親父の事を想います。
    親父、いつも有難う御座います。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。