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見城徹

今日の朝日新聞の夕刊一面。[学生運動の軌跡「歴史に」]と大きくトップの見出しにある。目を疑う。東大全共闘の議長だった山本義隆氏らから段ボール10箱分、約6千点、日大闘争の元活動家らから40箱分の1万4千点が資料提供されたと言う。[東京の学生運動に限らず、各地で起きた60年末の社会運動を「面」として広くとらえられないか。日本近現代史を研究する荒川章司二・歴博研究部教授(65)らはそう考え資料を集めた] 何を言っているんだ、この人たちは?僕たちが足掻いた個体の戦いは、学問として括られるものなのか?存在としての喘ぎと葛藤と自己否定は歴史の資料として語られるのか?ふざけんなよ、山本義隆。舐めんなよ、荒川章二。僕たちの個体の戦いは君たちの机の上でピンで止められるのか?空いた口が塞がらない。朝日新聞らしい記事だ。こんなもんだよな、絶望的な命懸けの戦いをしたことのない奴らは。偽善的な口だけ左翼は。自分たちは何も痛まないで偽物の正義を振りかざす偽物の記者たちよ。僕は堕落したけど、君たちほど堕落してはいないよ。君たちが最悪なのは自分たちが最悪だと検証出来ていないことだ。明るい顔で無根拠な正義を語ることだ。 もの言えば 唇寒し 秋の夜

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    秋山純秋山純
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    明日のプロダクションノートを
    書いています

    明日から大阪、福山と、四日間の登壇ツアーへ行くので、ストックしておきたいのですが…

    2014年8月の日々は、サラッと書くことは不可能

    福山では熱すぎるロケ
    東京では、見城さんの「スポーツ紙一面で情報解禁」計画

    スタッフ、キャスト、ワンチームで
    「たった一人の熱狂」な日々でした

    2
  • 見城徹
    見城徹
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    昨日、友人がプレゼントしてくれた
    クロムハーツのスタジャン。昨日はスーツでしたが着てみました。

  • 見城徹
    見城徹

    2025年11月5日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2024年11月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    1970年11月25日は晴れていた。両親と妹が静岡県清水市の小糸製作所の社宅から神奈川県相模原市に買った小さなプレハブ住宅に引っ越して来て、僕も東京都目黒区柿の木坂の下宿を引き払って合流したばかりだった。僕は慶應義塾大学法学部政治学科の2年生だったが授業には殆ど出ることはなく、鬱々とした日々を実家で過ごしていた。三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して自決。衝撃的なニュースをテレビが映し出していた。呆然としてテレビに釘付けになった。その後のことは覚えていない。翌朝、自転車を飛ばして小田急相模原駅の売店で新聞全紙を買い、駅構内にある[箱根そば]のスタンドで「コロッケうどん」を食べたのだけは何故か鮮明に記憶に残っている。1970年11月25日は衝撃的な日だった。行為することは死ぬことだ。漠然とそう思った。
    1972年5月30日。奥平剛士、安田安之らがイスラエルのテルアビブ空港を銃撃。空港警備隊に蜂の巣のように撃たれながら自分の足元に爆弾を投げて自爆した。この2日で僕の青春は終わりを告げた。僕は狡猾にこの世界で生き延びる道を選んだのだ。三島由紀夫の死から54年。世界はこともなく僕の前に佇み、僕は73歳になって生きている。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜           
                   三島由紀夫辞世


    今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは
                    森田必勝辞世

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    親父と慕う「見城徹」の投稿を毎日読み返し、生きる指針とさせて頂いております。
    本日は過去の投稿より、2024年11月の投稿をリトークさせて頂きます。

    「行為することは死ぬことだ」。
    死の美学。生きる勇気と死ぬ覚悟。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    見城さんが南大井[まき村]で一昨夜飲まれたワイン

    左から

    ドン・ペリニヨン 2015

    ルフレーヴ バタール・モンラッシェ 2019

    ルフレーヴ ヴィアンヴニュ・バタール・モンラッシェ 2019

    この日もドン・ペリニヨンの素晴らしさはさることながら、偉大なルフレーヴの2本は、ピュリニー・モンラッシェ村の中でもすぐ隣にある畑の同じヴィンテージ。

    そこにどんな違いや、ダイナミズムと繊細さ、酸の背骨があるのか、想いを馳せて生きる活力をいただいています。

    いつも有難うございます。