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見城徹

⬆︎ 拡散用に書き直しました。僕は755以外はやっていません。もしも僕の意見にご賛同いただける方はリトークして下さるか、他のSNSに引用していただけると嬉しいです。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)

    人生の岐路に立ったこの三ヶ月。皆さんからしたら大したことのない話なのですが、私の人生に激震が走りました。逃げよう逃げよう、安全な方安全な方と走り回ったのですが、危険な方に舵を切ってしまいました。

    10月から、逃げ回っていた「外科部長」になります。医者はだいたいプレイヤーをやりながらのマネジメントですが、私は特に手術をバリバリ執刀しながらのマネジメントになります。人材獲得(医師獲得)もやってます。

    給料は増えませんが、責任と仕事がグンと増えました。苦しいのですが、苦しいから正しいのだ、と開き直っています。迷ったら正面突破、ですよね!!

  • 見城徹
    見城徹
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    楽しみだった[Ha-Na-Re]。
    前回もやっぱり今回も感動的な美味しさ。
    「梅と紫蘇の冷たいパスタ」。

  • 見城徹
    見城徹

    1年振りのゴルフ。全ホールを歩き通して全身がガタガタ。本番はまだ先。もうやめるつもりだったゴルフだが、また意欲が湧いて来た。茅ヶ崎にあるスリーハンドレッド・クラブを退会してしまったのが今更ながら悔やまれる。石原慎太郎さんと200回以上プレーした思い出の詰まったゴルフ場。後悔先に立たず。早まったなあ。

  • 見城徹
    見城徹

    1985年8月12日。僕は六本木のレストラン[マナハウス]で村上龍と2人で食事を摂っていた。19時過ぎに日航機123便の墜落の報が飛び込んで来た。客は僕たち2人だけだった。店の高松オーナーも村上龍も僕も急に無口になり、ニュースを映し出す店のテレビに釘付けになった。あれから41年が経ったのか?あの時にマナハウスの窓から見た暮れなずむ空を今でも鮮明に覚えている。

  • 見城徹
    見城徹

    「消息を絶った」と入って来た時はまだ空は明るかった気がする。昏くなる間際から真っ暗になるまで気持ちも不安が濃くなって行き、墜落が確定すると絶望が支配した。41年前、村上龍も僕も若かった。話さなければならないことは沢山あったが、
    2人は押し黙ったまま、早々に解散した。