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見城徹

自己検証する。自己否定する。それを、繰り返し、繰り返し、自己嫌悪と葛藤の末に、自分の言葉を獲得する。その言葉で、思考して、思考して、思考する。その思考の末に、最後の最後、自己肯定して立ち上がる。認識者から実践者になる。自分の言葉を獲得する。暗闇の中でジャンプする。人生を切り拓く。読書はそのための最も有効な武器だ。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    中川 剛中川 剛

    ↑[才能]について思う事があった時、今でもGOETHE2015年12月号の村上龍・連載コラム「努力という才能」を思い出します。

    途轍もなく畏れ多い事を書く様なのですが、多彩な[才能]をお持ちの見城さんから特に際立って鮮烈に感じるのは、人を感動させる[才能]です。

    2017年以来、何十回とお会いさせて頂く幸運に恵まれてきましたが、一切の誇張なく言える事は、お会いさせて頂いた時間には必ず生半可ではない[感動]があったということです。書いても伝わらないかも知れないのですが、完全に神業だと思います。たった一本のお電話に[感動]で泣いた事も何度もありました。そして、何より、見城さんのお言葉、ご著書、755、世に送り出された数多の作品から鮮やかな[感動]をいただき続けております。

    私が見城さんから人を感動させる[才能]を感じる所以です。

    大変烏滸がましい事を書かせていただきました。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 言ってくれ過ぎですが、有難う。
    人を感動させるのが編集者の仕事です。それには先ず、自分が感動するものに出会うこと。出会わなければ、自分で感動を作り出すことです。
    本も映画も芝居もそう思ってやって来ました。
    これから年末まで五木寛之・著[大河の一滴 最終章]、秋山純・監督[栄光のバックホーム]、横内謙介・脚本演出[つか版 忠臣蔵]と感動が続くはずです。

  • 見城徹
    見城徹

    2025年10月19日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2024年2月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    1974年10月30日。当時のザイール共和国(現・コンゴ民主共和国)キンシャサ。WBA、WBC世界ヘビー級タイトルマッチ。ジョージ・フォアマンに打たれ続けたモハメド・アリの8R残り16秒劇的な逆転KO勝ち。立ち続けていれば奇跡は起こる。僕はまだリングに立っている。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    1974年10月30日、ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで元WBA・WBC世界ヘビー級統一王者モハメド・アリと対戦。この一戦はアフロ・アメリカンのボクサー同士がルーツであるアフリカ大陸で行う初のヘビー級タイトルマッチで「ランブル・イン・ザ・ジャングル」(ジャングルの決闘)という謳い文句が付けられた。当時25歳で、40戦無敗(内37勝がKO勝ち)で「象をも倒す」と言われたハードパンチャーのフォアマンに対して、アリは当時32歳で復帰以降フットワークに衰えが見られ、この試合で引退に追い込まれるのではないかと囁かれた。アメリカの専門家筋の予想は4対1、ロンドンのブックメーカーの掛け率は11対5でフォアマン勝利を支持した。

    フォアマン対アリ戦(1974年)
    試合は、フォアマンが序盤から圧倒的に攻め続けながら、ロープ際でロープに体を預けて防御するアリの戦法(ロープ・ア・ドープ)にはまり体力を消耗(フォアマンはアリ陣営によってロープが緩められていたと主張している)。8Rに逆転KOされ王座から陥落し、41戦目でのキャリア初黒星となった。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    アリに敗北を喫してから1年以上休養した1976年1月24日、ロン・ライルとNABFヘビー級王座決定戦を行い、ダウンの応酬の末5回2分28秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、ジョー・フレージャーとの再戦(5回2分26秒TKO勝ち)を含めて4連勝する。1977年3月17日、勝てばアリへの再挑戦権を得る試合にこぎつける。場所はプエルトリコのサンファン、相手は格下のジミー・ヤングだった。一方的にヤングを攻めたが、試合中盤に失速し、最終回にダウンを喫して12回0-3の判定負け。

    ヤング戦の試合後、疲労と熱中症に苦しみロッカールームで昏倒し、イエス・キリストの存在を感じる神秘的な臨死体験をしたことを契機に、キリスト教に目覚める。28歳でボクサーを引退し、キリスト教の牧師に転身する。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    引退後はヒューストンの自宅近くに教会と「ジョージ・フォアマン青少年センター」を開設。しかし、施設維持費のほか、4度の離婚の慰謝料、12人の子供の養育費、雇っていた会計士の横領事件などによって資金難となり、38歳のときに10年ぶりに現役復帰を決意する。1987年3月9日、スティーブ・ゾウスキーと対戦し、4回2分47秒KO勝ちを収め復帰戦を飾る。

    現役復帰を発表した時は、10年のブランクに加え、体型も明らかに肥満していたため、多くの人々は「正気か」と嘲笑したが、復帰後24連勝を飾りヘビー級タイトル戦線に再浮上する(マイク・タイソンとの対決も期待されたが実現せず)。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    1994年11月5日、フォアマンより19歳年下のWBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーから逆指名され、復帰後3度目のタイトル挑戦に臨む。モーラーのアウトボクシングに9回までフォアマンはスコアカードで大差をつけられ負けていたが、10回に入るとパンチの連打で反撃に転じ、10回2分3秒に右ストレートをモーラーの顎に叩き込みKO勝ちを収め、アリ戦から20年越しとなる世界ヘビー級王座の返り咲きに成功した。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ↑ ジョージ・フォアマンの奇跡の軌跡。
    モーラーをKOでリングに沈めたフォアマンは
    コーナー・ポストに跪き、神に感謝の祈りを捧げたという。アリに敗北してから20年が経っていた。フォアマン45歳と9ヶ月。世界ヘビー級王座への奇跡の復帰だった。ボクシングは奇跡のドラマに満ちている。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2024年2月の親父の投稿のリトークです。

    ジョージ・フォアマン奇跡の軌跡。
    圧倒的なドラマティックストーリーに感動せずにはいられません。
    現実はあまりにも残酷だ。絶望が怒涛の様に押し寄せる。視界の先は真っ暗だ。恐怖に打ち勝ちリングに上がれ。勇気と覚悟があれば良い。戦え。戦え。戦え。
    倒れてもまた立ち上がれ。何度でも何度でも立ち向かえ。耐えて耐えて耐え忍べ。
    立ち続けた者だけが奇跡の瞬間に立ち会えるのだから。生きている限りこの戦いは終わらない。
    I Will Go to War!

    本日も皆様、宜しくお願い致します。