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見城徹

企画 編集 アングラ演劇の主演俳優だった金子正次が1981年1月、同劇団の解散公演の楽日に大量に吐血し病院に担ぎ込まれる。一命は取りとめ、既に手遅れ[2]の状態の末期の胃ガンと診断されたが、本人には最後まで病名は伏せられた。金子は東映任侠映画が大好きで[1][2][4]、退院からの二年間、ヤクザ映画を作りたいと精力的に映画製作に取り組んだ[2]。しかし1980年代初頭、ヤクザ映画は完全に死んでいた[1]。1980年、1981年とヤクザ映画は1本も公開されず、1983年、深作欣二、佐藤純彌、中島貞夫監督でリメイクした『人生劇場』も興行が振るわず[1]。最初に競馬のノミ屋を描いた「ちんぴら」(『チ・ン・ピ・ラ』として1984年映画化)の脚本を書き、大手映画会社に持ち込むが、「脚本はいいが、主演は君には務まらない。他のキャストでやってみればどうか」と言われこの話を蹴る[2]。無名の監督、キャストではメジャーの配給ルートに乗せられない[5]。主役しかやるつもりのない金子は映画会社での製作をあきらめ、自主製作にしようとかつての演劇仲間たちに声をかけた。プロデューサーには原宿学校(現・東京映像芸術学院)時代の友人・大石忠敏(川島透)に頼んだ[6]。金子は鈴木明夫の名前で1982年秋「竜二」のシナリオを書き上げ、製作費3000万円は、自己資金と実家や知人からかき集め、配給会社のあてのないまま、1983年1月6日にクランクインした[2]。金子の妻役の花城まり子を演じた永島暎子は「金子さんはもう、自分はもうだめなんじゃないかと分かっていたんじゃないかと思います。金子さんは、松田優作さんと、まだ松田さんが売れない時からの親友で、かたや松田さんは映画界でどんどんスターになって、自分は何をやっているのか田舎の親も誰も知らない。東京でやくざやっているんじゃないかと言われてて、自分の形が映るということをやっぱり映画でやりたかったんでしょうね。だから自分が主役をやるための映画の脚本をたくさん自分でも書いてらして、売れるとか決まってるわけじゃないけれども、とにかく友達のお金集めていきなり作ってしまったという。 やっぱり最後に自分の形が映るということを映画でやりたかったんでしょうね。それだけなんだと思いますけど」と述べている[7]。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    ikutamaikutama

    見城さん、貴重な時間を割いて頂き、たくさんのリトークと拍手、本当にありがとうございます。
    読んだら感想を書く。でも緊張して書けない。だから書くために何回も読む、調べる。書けば小さな決意になる。それが苦しみと向き合う糧になっています。

  • 見城徹
    オジトモオジトモ

    ★シャトー・ムートン・ロートシルト2003(ラベルの画家はイラク出身のサーレフ・バラカート)

    ★ペロ・ミノ、ニュイ・サン・ジョルジ・ラ・リシュモーヌ ・ヴィーニュ・サントネール・キュヴェ・ウルトラ2014

    ★ルフレーヴ、シュヴァリエ・モンラッシェ 2010

    ★ルフレーヴ、バタール・モンラッシェ2019

  • 見城徹
    望月輝子望月輝子

    見城さん、
    私は見城さんが血肉化した言葉によって、
    どんな事が起こっても、
    何があろうとも、
    くよくよすることはあっても、
    立ちあがっていける力をいただいています。静かではありますが最期まで命を使い燃やし続けてまいります。
    日々感謝しています。
    ありがとうございます。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。11月7日。今朝も会員制の鮨店[mikami limited 50]、そのセカンドラインの居酒屋形態の[福や](ここは極上の鮨だけでなく、パスタやハンバーグ、カニクリームコロッケなど洋食も食べられます。勿論、誰でも店に入れるし、値段も安い)を経営する鮨職人・三上雅博がアップしてくれた2019年5月の僕の755をリトークします。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    人間には2つの種類しかない。極限の努力をする人と極限の努力をしない人。苦しくて辛くて七転八倒しなければ努力じゃないんだよ。その上でその努力の質を常に自己検証する。何かを切り拓くのにそれ以外どんな方法がある?極限の努力をしたくない人はそれはそれでいい。人生の価値は人それぞれだから。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    極限の努力をやる人なんてあんまりいないんだよね。だから極限の努力をしている人は独走状態。普通の人は極限の努力なんてしないし、出来ない。だから普通の人。普通の人で幸せならばそれでいい。険しい道なんか選んだって毎日が辛く苦しいだけだ。見たこともない風景に辿り着きたければやるしかない。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年5月の親父の投稿のリトークです。

    極限の努力をする人間でありたい。
    茨の道を選ぶんだ。
    今日、僕は死んでもいい。
    そう思って仕入れをして、全身全霊を持って仕込みをする。
    今まで生きてこられた事がそもそも奇跡みたいなものだから。

    今日は心が透き通っています。
    感謝と涙が溢れます。
    皆様本日も宜しくお願い致します。