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見城徹

僕が角川書店を辞めることになるきっかけは、突然やってきた。それは本当に青天の霹靂だった。 1993年8月29日。角川書店の角川春樹社長が、コカイン密輸疑惑で逮捕されたのだ。社内は大混乱に陥った。角川春樹は獄中で代表取締役社長を辞任。 僕は編集部門の全てを統括する取締役だったが、即座に角川書店を去る決意を固めた。角川春樹のいない角川書店に僕は居るつもりはなかった。それが仁義というものだ。 僕を誘ってくれる出版社は数年前からいくつかあった。しかし、最初は20数人の部下が僕に付いて行きたいと申し出てくれて、一人で他社に移籍する選択肢は消えた。ならば出版社を設立するしかない。初めは僕を含めて6人が限界だった。1993年11月12日、五木寛之さんが名付けてくれた[幻冬舎]は新宿区四谷三栄町に設立登記された。100人が100人、すぐに失敗するとの大合唱。僕は42歳。不安と恐怖の旅立ちだった。 あれから25年が経とうとしている。幻冬舎は生き残った。 2018年11月12日。「幻冬舎創立25周年記念出版」として百田尚樹[日本国紀]は出版される。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
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    自分の始末は自分でつける。朝日の社長の前でてめえが死んでみせることが何より肝心なのだ。いまこそオレは、ニセの平和主義、戦後の虚妄を営々と構築してきた大朝日ー「第四の権力」マスコミに躰をぶつけて死ぬのだ…。
    瞑想し物思いに耽っている野村を乗せた車は、交通渋滞もなくスムーズに走り続けた。そしてついに目的地に到着した。
    「先生、着きました」
    古澤の声に、野村が目を見開いた。車が停まり、目の前にあたりを睥睨するかのように聳える高層ビルがあった。
    その巨大な壁のように立ちはだかる建物をキッと見据え、野村は車を降り、第一歩を踏み出した。

       ーー山平重樹[激しき雪]ラストシーン

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    若い人に生きざまは見せた。あとは死にざまを見せるだけ。

                   ーー野村秋介

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    カドカワ時代に一度だけ野村秋介さんと電話で話したことがある。30年ぐらい前だ。僕宛てに野村秋介さんから名指しでかかった来た。ある依頼をされたのだが、僕はそれを辞退した。僕には荷が重かったのだ。その数年後、野村秋介さんは自決した。「そうか、ではいい」そう言った野村秋介さんの声のトーンが今でも耳に残っている。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2020年3月の親父の投稿のリトークです。
    今日は沢山リトークしてしまいました。申し訳ございません。

    野村秋介。1993年10月20日。58歳没。
    朝日新聞東京本社にて経営陣との話し合いの末、「皇尊弥栄」と三唱後に拳銃自殺。野村秋介の壮絶すぎる人生に思いを馳せます。その生き様と死に様に、震える程に痺れます。「激しき雪」と言う言葉が美しいまでによく似合う。
    そんな野村秋介の師は「三上卓」。名前だけですが勝手にご縁を感じています。

    どうか僕に良いも悪いも言わないでおくれ。激しい雪が好きなんだ。僕はただ、そんな風にしか生きられないだけなんだ。狂わなければ、この世界で生きていけないだけなんだ。
    本日も皆様、宜しくお願い致します。