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見城徹

静岡新聞夕刊、僕の連載コラム[窓辺]第9回『折戸の海』(2019.3.4掲載) 人生最大の窮地はMBO(経営陣による買収)による上場廃止を発表した時だった。2010年11月の初旬から臨時株主総会が開かれた翌年の2月15日まで、ケイマン諸島に突如設立された謎のファンド「イザベル」との熾烈な株の攻防戦は今も鮮やかに記憶に残っている。僕が全株の58%は所有していたが、相手に1/3強の株を握られ、敗色は濃厚だった。 上場廃止は株主総会で出席株数の2/3以上の賛成が必要なため、否決されれば銀行から個人として借り入れた数十億の借金を残したまま、正体不明のファンドを抱え、上場を維持しなくてはならない。睡眠3時間にも満たない日々が続いた。最初は狼狽したが、徐々に腹がくくれてきた。やるだけのことは全力でやり切って、ダメなら潔く散るしかない。 「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」 吉田松陰の歌が胸に沁みた。 臨時株主総会の前日、僕は折戸の海岸に佇んでいた。自然に体がここに向かっていたのだ。高校時代、何か悩みや辛いことがあると、放課後、砂浜に出てずっと海を見ていた。この砂浜には僕の青春の涙と汗が埋まっていた。海を見ながら心が澄んで行く気がした。翌朝、会社から臨時株主総会に向かう僕に取材陣がマイクを向ける。 「戦場に行って来ます」 それだけ答えて自分の車に乗り込んだ。雪が積もっていた。 結果は上場廃止が決議され、逆転で僕が勝った。報道陣が取り囲む。答えながら僕は初恋の彼女と歩いた折戸の海を思い出していた。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年2月の親父の投稿のリトークです。
    昨日のリトークの続きです。

    「God is in the details」
    建築家のミース・ファンデルローエの言葉。
    小さな事にクヨクヨしろよ。神は細部に宿るのだ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    1980年1月29日この世に生を受け、今日で45歳になりました。
    北海道小樽市オタモイ1丁目17番21号。
    長屋の団地群。僕は海岸の側の山間の集落みたいな場所で生まれ育ちました。気がつけば随分遠くまで来てしまいました。
    やっぱり僕は鮨職人になるために生まれて来たのだと思います。今考えると全ての事象が僕を鮨の世界へ誘導していた様にさえ思うのです。実は未来が先に決まっていて、人生とはその伏線を回収して行く事に他ならない気がするのです。
    鮨の世界に関わって30年。今日まであっという間でした。
    僕の人生は失敗と挫折と後悔の繰り返し。何度か死にかけながら、なんとか今日まで生き延びてきました。過去の全ては時の流れが物語に変えてくれます。
    僕は色んな物を捨てながら、色んな事を諦めながら、ただひとつだけの鮨に縋り、しがみつきながらこれからも、「往く道は精進にして忍びて終わり悔いはなし」と、声を大にして歩き続けます。

    親父、先日は感動の誕生日祝いを有難う御座いました。感謝で涙が溢れます。

    生涯一鮨職人。三上雅博。

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  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    今際の際「もう少し時間があれば一流の鮨職人になれたのに」と、思いながら死んで行く未来はもう決まっている。完璧な物など存在しない世の中で、完成しないとわかっている物を少しでも完成に近づける様に、悩みながら苦しみながら生きて行く。それが生きると言うことよ。

  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    31年振りに六本木[ラミューズ]へ。
    角川書店(現・KADOKAWA)時代はよく通っていた。いつもギターの伴奏をしてくれたオーナーの内田ノリちゃんは72歳。お互いに歳を取った。
    挨拶に顔を見せてくれた俳優の内田朝日は息子さん。映画[精霊流し]の主演をしていただいた。
    今夜はご飯だけだが、次はノリちゃんの伴奏で歌を歌いたい。