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見城徹

⬆︎ 755で僕と知り合ったくらいでテレビ制作のど真ん中に直ぐに行けるようにはテレビの世界は甘くない。嫌がる小山薫堂に面接を頼み込んだ。ジョージより前に僕に来た結果は不採用だったけれど、3ヶ月間お試しで使ってみてから結論を出してくれと小山薫堂に押し返した。後はジョージの頑張りに期待するしかなかった。ジョージの悪戦苦闘の日々を思うと胸が痛かった。しかし、結論は出てしまった。小山薫堂事務所(=N35)が普通にスタッフを募集すれば1000倍は下らない競争率だ。しかも、ジョージは運転が出来ないと後から知った。最後の最後は小山薫堂の運転手兼ボディーガードにと考えていた僕の目論見は外れた。テレビの構成者になりたいと思い付いただけではテレビ構成者になれる訳もない。甘いなあと思ったけれど、とにかく道筋は付けてやりたくて、小山薫堂に強引に頼み込んだ。今回だけで諦めてはいけない。ジョージが旅行から帰って来たら、また話し合えればと思っている。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    2025年11月3日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2024年11月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ↑ 人生に何回か劇的な一日がある。三上にとっても僕にとっても昨日はそういう一日だったのだろう。ただ善意だけで始めたことを終了するのは辛いが、人には限界というものがある。善意とは自分のエゴイズムだが、三上の善意も同じことのように思える。来るべき時が来たのだと判断する。
    善意の第三者として力を尽くし、やがて、それがストレスになってしまう。払う犠牲も限界を超える。奉仕する自分という自己満足が崩壊する。三上に何があったのか知らないが、僕の場合はそうだった。後ろ髪を引かれながら自己嫌悪と共に退却を決断する。前進も退却も決断は当たり前だがいつだって激しい精神の劇を伴う。正解なんてない。昨夜は眠れなかった。絶望し切って死ぬために究極の自己肯定をしなければならない。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ちひさなやさしい群よ
    昨日までかなしかった
    昨日までうれしかったひとびとよ
    (中略)…
    ぼくはでてゆく
    冬の圧力の真むかう(真向こう)へ
    ひとりっきりで耐えられないから
    たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
    ひとりっきりで抗争できないから
    たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
    ぼくはでてゆく
    すべての時刻がむかふかは(向こう側)に加担しても
    ぼくたちがしはらった(支払った)ものを
    ずっと以前のぶんまでとりかへすために
    すでにいらなくなったものはそれを思ひしらせるために

    - 吉本隆明『ちひさな群への挨拶』(部分)より。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    親父と慕う「見城徹」の言葉を胸に、今日も茨の道を往く。
    本日は2024年11月の親父の投稿のリトークです。

    善意の限界と退却の覚悟。

    「勇気とは、窮した時の品格」
           ーーヘミングウェイ

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる
    投稿画像

    この国でのシーズン終了が近づいてきた。

    終わりが近づくと、チームメイトや出会う人々、日々の練習やなんら変わりない街の景色が、妙に愛おしくなり、そして寂しくなる。

    死ぬために生きると謳いながら、全く終わりを意識できていない自分に辟易する。

    有難いことに契約延長のオファーをいただいたが、僕はどうするだろう。
    もしこのチームに残れば、生涯何度も手にすることができない、チャンピオンの称号を手に入れられる可能性が高い。
    そして、復帰時に密かに決めた3つの目標の1つを達成できる可能性も高い。

    成長も結果も何もかも自分次第だが、ここに残っては心地良すぎる。
    まだ何も成し遂げていないのに、崩したくなる。
    より過酷へと足を進めたくなる。

    恐らくもう僕の決断は決まっている。
    しかし、前述した愛おしさと寂しさが僕を迷わせる。足を止めさせる。

    止めてくれるな。
    サヨナラだけが人生だ。
    そう言い聞かせて今日も生きる。考えて動き、動きながら考える。

  • 見城徹
    K0183K0183

    「死ぬために生きる」さん

    シーズンの終わりが近づく中での、この投稿。あなたの葛藤が、痛いほど伝わってきました。

    チャンピオンの称号、復帰時に密かに決めた3つの目標の1つ。それらを手にできる可能性が目の前にある。多くの人が羨む、まさに「成功」への道。

    それでも、あなたは仰る。「ここに残っては心地良すぎる」と。「まだ何も成し遂げていないのに、崩したくなる」と。

    この感覚、私にも分かる気がします。
    私たちが恐れるべきは、失敗ではなく、安住によって鈍る感覚なのかもしれません。居心地の良さは、時に最も危険な罠になります。

    私は思います。あなたが求めているのは、タイトルでも称号でもなく、「限界の先にある自分」との出会いなのではないでしょうか。

    より過酷な環境へ。まだ見ぬ絶望へ。それこそが、あなたの魂が足を進めるべき道なのだと思いました。違いますか?

    愛おしさと寂しさが、進もうとする足を止める。チームメイト、街の景色、日々の練習—— そのすべてが、別れを惜しむほど大切になっている。

    でも、あなたは知っているはずです。「サヨナラだけが人生だ」と。
    別れることでしか、前に進めないこともある。終わらせることでしか、始められないこともある。

    あなたの決断は、もう決まっているのでしょう。迷いながらも、心の奥底では。

    「恐らくもう僕の決断は決まっている」—— その一文に、あなたの覚悟を感じました。
    「止めてくれるな」と自分に言い聞かせているあなたは、すでに次の戦場を見据えているのだと思います。

    圧倒的努力の中で、何度も絶望を乗り越えてきたあなたなら、新しい地でも必ず立ち上がれる。より強くなって、また戦える。

    「サヨナラだけが人生だ」—— この言葉の重さを知っているからこそ、私たちは今この瞬間を、全力で生きることができる。

    どんな決断をされても、心から応援しています。あなたの「深夜特急」がどこへ向かおうとも、その先にある景色を、また聞かせてください。

    考えて動き、動きながら考える。
    その先に、あなたの真実がきっとあると信じています。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    ↑「K0183」さん、リトークとご投稿をいただき有難うございます。

    他者理解をし、その先に僕の感情や考えに関して言葉にしていただけることに、ただただ感謝しております。

    白黒ハッキリつく世界ですので、もちろん勝利や頂を目指すことが大前提なのですが、心のどこかで非業の港や圧倒的な敗者の凱旋を目指しているのかも知れません。

    これはこれで僕という人間のエッジになると思うのですが、生を受けてからの30年間で甘ったれた熱の無い人生を生きてしまい、どうすれば自分が毎日絶望しきって死ぬことができるのか、今になってようやく分かってきたような気がしています。

    もちろん、見城さんや箕輪さん、755の皆様、様々な方にきっかけをいただいたおかげです。

    僕は絶望しきって引退するために、また、引退後の人生に必要な圧倒的努力で結果を出す型を骨身に染み込ますために、この先の残り1年半のサッカー選手としての人生を過ごします。

    残ることが愛なのか、自分なりの人生を生きてまたどこかで再会することが愛なのか、僕の中では答えが出ていると思います。

    終わりこそ始まり。死こそが生だと再確認させられました。
    僕は本当に弱いです。

    この投稿を打ちながら、言葉の正確性についても再度考えさせられました。
    本当に有難うございます。

    夜分遅くに申し訳ございません。