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見城徹
かーる
かーる
見城さん。コメント頂きありがとうございました。感動のあまり、変な声を一人で発してしまいました😅君は体を張ったのか?という御言葉は、確実に私の行動を変えてくれました。単純にこの言葉だけ読んでも重みはないかもしれません。しかし、日々、見城さんの文献や755でのコメントに接した上でこの言葉を目にすると、重く深く刺さりました。「お前本当に頑張ったのかよ?」と言われている気がしました。明日も戦います!

[体を張る]のは書くと簡単ですが、実際にやるとなると覚悟がなければ出来ません。僕は死を覚悟しないと体は張れません。勝負所では体を張って来たと僕は自負しています。ただ20歳の頃、僕は自分の思想のために体を張ることが出来なかった。その自己嫌悪を噛み締めて生きています。自分のためには体を張れますが、人のために体を張るのは不可能に近いことを思い知って今日まで来ました。一回は人のために体を張って死にたいです。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年1月15日。大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2020年10月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    20歳の時は70歳なんて永遠の先だと思っていた。僕は後3ヶ月でその70歳になる。40歳からは早かった。あっという間に50になり、60になり、69になった。つまり、君たちも必ず70歳になるということだ。歳だけは誰もが平等に取って行く。全ての人の最終ゴールは「死」だ。そのゴールのために毎日、歯を磨き、洗顔をし、シャワー浴びる。週に何度かトレーニングをする。毎年人間ドッグを受けるのも誰かに恋をするのも、結局は「死」に向かうプロセスに過ぎない。そのプロセスを懸命に生きる。
    「死ぬ」ために今日も狂いながら生きる。
    人生は一夜の夢。狂ってこそ人生。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2020年10月の親父の投稿のリトークです。

    生きるとは死ぬ事と見つけたり。
    今日も今日とて鮨に狂おう。
    それで死んでも本能だ。
    僕はもう、鮨を握りながら死ぬと決めている。

    本日も皆様宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年1月16日。大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2020年10月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    青春は反逆の季節だ。学校や社会、国家など共同体に従順に過ごす青春など、全力でまともに生きようとしたらあり得ない。当然、そこには自己検証、自己嫌悪、自己否定が常に含まれている。それらを抱えながら、葛藤し、もがく。突破を試みる。それが反逆というものだ。しかし、人はいつか妥協することを覚える。日々の生活は共同体と折り合わなければ成立しないからだ。それを[挫折]と呼ぶか、[成熟]と呼ぶかはそれぞれの胸の中にある。
    反逆の季節は終わっても、心中に自己検証、自己嫌悪、自己否定をいつまで持っていられるか?それがある限り少なくとも小さな人生の戦いは続く。戦いを放棄した時、人は精神的に死ぬのだ。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2020年10月の親父の投稿のリトークです。

    青春時代、僕は反逆しながら生きていた。革命を起こそうとしていた。
    そして己の無力さに散々打ちのめされてきた。失敗と後悔と挫折の繰り返し。
    僕は自分がとても弱い事を知っている。
    だから今日も自分と戦う。弱い自分を殺すために。立ち止まってしまったら、昨日の僕に負けるから。

    本日も皆様、宜しくお願い致します

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    僕は誰よりも臆病で弱い人間だ。
    いつも震えながら怯えながら生きている。
    僕にとって「狂気」こそがそれらを払拭してくれる唯一の武器だ。
    絶望の淵で踊り狂う。地獄の底でも笑ってやるよ。苦しみの中、僕は笑顔で死んでいく。