ログイン
詳細
見城徹

日航ジャンボ機墜落事故から34年か。1985年8月12日、僕は村上龍と2人で六本木の今はない[マナ]というレストランで晩御飯を食べていた。客は僕たちだけだった。まだ窓の外は暮れ切っていなかったから19時前だったと思う。高松さんという[マナ]のオーナーから羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が離陸後間もなく消息不明になっていることを知らされた。その時はまさか520人もの方々が犠牲になるとは思ってもいなかったが、強い胸騒ぎがして食事が終わるといつも2人で行く酒場にも行かず早々に自宅に戻った。8月12日になるとあの時の[マナ]の蜃気楼のような光景を思い出す。

前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報