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見城徹

丸山くん。君が作った価値はどこにあるのかなあ?価値は自分で苦闘して作るんだよ。人の作った価値に乗っかって何かをやってもダメだ。なかなかのナイスガイだと思うからはっきり言う。勘違いも甚だしい。根本が間違っている。早く気付いて欲しい。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    秋山純秋山純
    投稿画像

    リトークさせていただきました

    見城さん
    ありがとうございます‼️

    いつも心は一緒です

    松谷鷹也が
    横田慎太郎さんと自分自身
    二人の人生を背負って
    バックホームしました

    雨予報が一転して
    曇りすらない、どっぴーかん

    センターへ飛んだ打球を
    ワンバウンドで胸より高い位置で捕球して
    ノーバウンドのバックホーム
    ホームよりわずかに三塁寄りレーザービーム
    キャッチャーの胸の位置やや高めへ
    キャッチャーは滑り込むランナーの前で捕球追いタッチ気味にアウトにする

    横田慎太郎さんが投げたバックホームの軌道と全く同じ

    再現ドラマを撮るつもりはないので
    アウトになるように加減して
    実際に似せてプレーしたわけではありません

    バッター、ランナー、キャッチャー
    誰もが全力プレーです

    センター前ヒットが弾み
    全力で前に走りながら捕球して
    セカンドから全力で走るランナーが
    本気でセーフになろうと滑り込むより
    一瞬だけ早く
    ノーバウンド送球をパーフェクトに捕球したキャッチャーが
    身を捨ててのタッチプレー
    間一髪アウト

    昨日、全員が本気でやったプレーが
    横田慎太郎さんのバックホーム軌道と
    神がかりのように重なった瞬間

    映画の神様と
    野球の神様に
    感謝するしかない奇跡の一瞬でした

    撮影終了後
    ユニフォームから
    横田慎太郎さんご本人のジャージに着替えた写真です

    全てをカメラに捉えた
    相棒の百束カメラマンと


  • 見城徹
    秋山純秋山純

    リトークさせていただいたのは
    2024年8月21日
    奇跡のバックホームを撮影した日と翌朝

    見城さんと僕の755です

    「栄光のバックホーム」
    公式プロダクションノート

    いま、8月21日の奇跡を書いています


    横田慎太郎さんの
    奇跡のバックホームは

    この日
    松谷鷹也の
    奇跡のバックホームでもありました


  • 見城徹
    ikutamaikutama

    かつて755で「地獄の季節」と表現されるほどに、忙しく過ごされているこの季節。深夜まで〔名もなき者〕を鑑賞された後、早朝から2回目の〔サブスタンス〕を見て、新たな感動を探している。そしてその経過を755に投稿した上で、自分の投稿を適宜見直し、自己検証、自己嫌悪し、素直なお気持ちを投稿して頂ける。
    そのお姿、密度の高い思考と温かい心を想像し、朝、1人感嘆のため息が漏れました。本当にいつもありがとうございます。

  • 見城徹
    見城徹

    大森健生監督[Ryuichi Sakamoto: Diaries]
    を観ている。報知映画賞には何の関係もないが、見始めたらやめられなくなった。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    自分は相手に真心を尽くしいるつもりなのに、
    「えっ、こんな対応?」と落胆することがある。そう思うこと自体が傲慢だということは解っているつもりだ。しかし、昨日は挫けた。ずっと待ち続けたが限界だった。自分の誠意が足りなかったと思うしかない。

    往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし
                ーー酒井 雄哉大阿闍梨

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    「人に怒るのは己の未熟。人を恨むのも己の未熟。
    全ては天が見ている」
    そう言い聞かせても気持ちの中で吹きこぼれるものがある。まだまだ未熟なのだ。はっきりしていることがある。僕の中で一つの人間関係が終わった。僕は小さいことにいつもクヨクヨして生きている。それを[未熟]というならそれでいい。

  • 見城徹
    K0183K0183

    見城さん

    「往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし」

    真心を尽くしても理解されない痛み。
    待ち続けても報われない虚しさ。
    「己の未熟」と自らを責めながらも、吹きこぼれる感情。
    そして、終わった人間関係への諦念。

    この痛みの深さを、私も知っています。

    理不尽に耐え続けてきた私にも、相手に誠意を尽くしたはずなのに裏切られた経験があります。「自分の誠意が足りなかった」と自らを責めながら、それでも心の中で吹きこぼれるものを抑えきれなかった夜が、何度もありました。

    見城さんはこの痛みを抱えたまま、また立ち上がられた。
    「小さいことにいつもクヨクヨして生きている」自分を否定せず、むしろそれを受け入れながら。

    見城さんは変わらずリングに立ち続けておられます。
    あの痛みも、失望も、すべてを抱きしめたまま、前に出続けておられる。

    その姿に、私は「忍びて終わり悔いなし」の意味を見ました。

    今は思います——裏切られたことすら、人生の彩になるのだと。
    痛みも、失望も、憎しみでさえも、すべて自分を形作るものなのだと。

    理解されなくても上等。
    報われなくても構わない。
    裏切られても、それすらも自分の人生だと受け入れる。

    それでも、正直に、誠実に、善良に、真心を持って——。

    「人に怒るのは己の未熟。人を恨むのも己の未熟。全ては天が見ている」

    見城さんの背中が、私の灯です。
    私も、理不尽に耐え、無理を突破し、戦い続けます。