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見城徹

さっきまで吉本隆明[言語にとって美とはなにか]をパラパラと読み返していて、不意に吉本さんから、 「僕の作品を一番解っているのは見城さんだよ」 と言われたことを思い出した。幻冬舎を作って2年後ぐらいの時だったと思う。その時はただただ感激したが、正直何でそんなことを言ってくれるのだろうと不思議にも思った。他ならぬ吉本隆明その人が言っているのである。僕の部下の石原正康は吉本ばななさんと結婚生活を送っていたこともあって吉本隆明さんと話す機会はあったが、僕はそれまでそんなに話す機会はなかった。中上健次がいる和歌山県新宮市に吉本さんを僕がお連れした時があった。長く話したのはその時ぐらいだ。その後、僕が書いた原稿用紙80枚ぐらいの拙い吉本隆明論[自我の自立と思想の非立]を畏れ多くもお送りしたことはあったが、感想は何も言われなかった。読んでくれたかさえ解らない。手紙は4、5回は出したと思う。それらのことが関係しているかどうかは解らないが、大変に光栄なことを言われてその日は眠れなかった。[言語にとって美とはなにか]の「あとがき」にある編集者への謝辞は印象的である。吉本隆明がいかに正直で誠実で繊細で堅牢な人であったかがよく解る。とにかく僕は吉本さんの作品に励まされ、ほぼ毎朝、原稿用紙に向かっている。いつ完成するのだろう?原稿は書いては破る繰り返しである。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年2月5日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2021年4月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    言葉は生き方を決定します。言葉によって人は行為するのです。行為した時、言葉はその人の中で肉体化されるのです。ですから、言葉と行為は表裏一体です。その時、言葉は説得力を持ち、人を動かします。そこに結果が生まれます。言葉→行為→肉体化→結果→新しい言葉。生きるということはこの繰り返しです。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕は21歳の時に「理想」や「夢」に生きるのを止めました。いや、そこから逃げ出しました。だから、「理想」や「夢」という言葉が嫌いです。僕にとって肉体化出来なかった言葉だからです。
    [たべて苛酷にならない夢を/彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを/絶望だということができない]
    吉本隆明の「少女」という詩の一節です。僕は食べて苛酷になる夢を飲み込めませんでした。 飲み込めなかった劣等感と自己嫌悪と向き合いながら、懸命に生きて来ました。
    21歳で死んだ僕に宛てて65歳の僕が書かずにはおれなかったのが文庫版「たった一人の熱狂」のあとがきです。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年4月の親父の投稿のリトークです。

    夢に打ちひしがれて生きてきた。悔しくて、情けなくて、悲しくて、夜も眠れなかった。そのうち僕は夢を語れなくなった。目の前の現実は夢や希望とはまるで対極にある。この現実を純粋なる眼でしっかり見据え、これで最期かも知れない今日と言う一日を、昨日までの弱い自分を殺しながら生きていく。
    今日も親父の755によって僕は言葉を獲得し、それを血肉と化していく。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 鰯を水と一緒にミキサーに入れ、全部砕いてスープにしたカッペリーニです。