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見城徹

僕は1950年12月29日、静岡県清水市吉川450の小糸製作所静岡工場の社宅で生まれた。[静岡県清水市]であって断じて[静岡市清水区]ではない。生まれて3日目に人生1回目の正月を迎えた。つまり、1951年を迎えた。もうすぐ69回目の正月を迎える。つまり2020年を迎える。その3日前に僕は69歳になる訳だ。クリスマス→誕生日→年末→正月と続いてなんだかいつも慌ただしい。今年も変わりなく過ぎて新しい年を迎える筈だ。後何年生きられるだろう?毎日のように考える。切なくなる。涙が出たりする。やがて最後の一瞬が来る。その時、微かに笑いたい。[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ]。ラストシーンのデニーロの微笑み。「人生なんてこんなもんだ」「人生これでいいんだよ」そう言っているように僕には思えた。最後の最後での自分の人生への微かな肯定。狂わなけば生き抜けなかった人生を僕は微かに肯定出来るだろうか?

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    本日は過去の投稿より、2025年9月の親父の投稿をリトークさせて頂きます。

    恐怖と不安に震える毎日。
    茨の道を進むんだ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    ikutamaikutama

    755で知り、制作過程もずっと見守ってきた『栄光のバックホーム』。書籍も読みましたが、皆様の感想に圧倒されて、ずっと何も書けないでいます。最近、至る所で話題になっていて、その度に、今までの映画とは違う特別な出来事だと感じています。日付はお約束できませんが必ず観に行きます。きっとパンフレットを買って帰ります。感動の嵐に包まれ、ゆずの「栄光の架け橋」が自分にとってずっと特別な曲になるのも予感しています。

    公開日が近づき、見城さんの緊張、胸の高鳴りが伝わってきます。755を通して本当に貴重な体験をさせて頂いています。ありがとうございます。

  • 見城徹
    進藤開進藤開

    見城さん、ありがとうございます。仕事と勉強と見城さんの755の毎日でした。
    土曜日(11/29)に家族で映画「栄光のバックホーム」を拝見させていただきます。感情を解放して参ります。

  • 見城徹
    ジョージジョージ

    自分は汚れてしまったんだと思う。
    清らかで真っ直ぐな物語をいつしか避けてしまう様になった。

    いつからかはわからない。

    それでも『栄光のバックホーム』だけは楽しみにしている。
    見城さん、秋山さんが命掛けで創った映画を真っ直ぐな心で観たい。


    「ちゃんと生きなきゃ」

    人生最高レストランでの見城さんの言葉が毎日リフレインしている。

    僕も公開日にチケットを取りました。
    見城さん、秋山さん、心して鑑賞させて頂きます。